2012年11月30日

近況

mogura.jpg
ピコピコ。

12月2日は今年最後のオープンキャンパス(大学説明会)なのです。

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2012年11月29日

満足

こういうことを言ってよいのかわからないのだけど、
1年生のときに授業を担当した学生のなかには、
このひとが学業を続けるのはむずかしいだろうなぁ‥‥きっとすぐに
やめてしまうだろうなぁというような見当をつけてしまうひとがいる。

で、そういう学生はその後しばらくぼくがかかわることなく
何年かたって、あぁやっぱりやめてしまったのかなぁと思っていると、
あるとき、大教室での授業かなんかで、ふつうに進級して
マジメに授業に出ていたりするのを見つけたりする。

じつは、ぼくはひそかにじぶんの推測の多くが現実になると
思っているようなひとなのだが、こと学生にかんしては、
推測をはずしまくっている。この事実は、ぼくが教師の仕事が好きで、
満足している理由のひとつになっている。
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2012年11月28日

「カワウソが大好きです。」

kawauso.jpg

ブログを書くのも、いろいろむずかしい。
いちばんむずかしいと思うのは、思いもよらない誤解を招くことだ。
読者のなかには、ぼくが書いたおちゃらけた文章にも、
それが暗にじぶんを非難しているのだとかなんとか思い込んでしまうような、
“世界の全事象を過度にじぶんの問題として考えるひと” がいて、
いつのまにか恨みを買っていて、愕然とすることがある。

そういう愕然ぶりがどのぐらいのものかといえば、たとえば
ぼくが「ラッコには努力の跡が見られない」とラッコに辛辣なことを書いたとして、
この「ラッコ」をじぶんのことと思い込んだ見知らぬ暴徒に翌朝なぐり込みを受ける
ぐらい、寝耳に水の話しなのだ。
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2012年11月27日

長野出張

今日は長野出張ですのじゃ。高校訪問なのですじゃ。

終わってから京都へとんぼ返りして、K課での飲み会なのですじゃ。

前回のK課での飲み会の帰りには、学生時代でさえしたことのない
失敗をやらかしてしまったのですじゃが、
今回は紳士的に飲む、と誓っているのですじゃ。
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2012年11月26日

カウンターバランスへの備忘録

震災が人間にまつわることへの信頼を揺さぶってしまってからは、
どうしてもそれへのカウンターバランスとして、絆であるとか、
ひととひととの関係であるとか、みんなで力を合わせてなにかをする
ということが、信じるに値する人間の特徴として強調されるようになった。
それはそれで一種の防御反応として健全なものなのだろうと思うけど、
ふたつ気になることがあるので、とかく不用意なじぶんのために書いておく。

ひとつは、「みんなのために汗を流さないといけない」、
「みんなのために汗を流すひとこそ、いいひとなのだ」的な考えには、
慎重に対処する必要があるということ。こういうことを言うひとは、
いつなんどき、「みんなのために汗を流さないひとは非常識である」とか、
下手をしたら、別のものも流さないといけない、
なんてことさえ言い出しかねない。

もうひとつは、なにかをするにはひとりで考える時間が必要だということ。
ひとと関係をもつことは大切だけど、失敗を反省したり、自己点検したり‥‥
つまり関係について頭を冷やして考えるときはひとりがいいと思う。
そういう “ひとりのインターバル” がほどほどにあって、
そこで頭を冷やして考えることができてこそ、ひととの関係も維持できるのだ。
これまでなんにんか、誰かといっしょでないと勉強できないというひとがいたが、
そういうひとは例外なく勉強のできないひとだった。
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2012年11月25日

その一瞬の美

ときどき、なにが美しいと思うかと聞かれることがある。
芸術美とか人体の美はほとんどまったくわからないのだが、
いつも、これは掛け値なしに美しいと思う一瞬がある。

めいめいがおのおのの楽器を調整し続ける騒然とした会場。
やや遅れてやって来た指揮者が位置につき、
やがておもむろに振り上げた指揮棒の先を虚空に留める。
楽器は鳴りをひそめ、会場は水を打ったように静寂に包まれる。
すべての視線はわずかな突端に注ぎ込まれ、静止する。
弛緩していたものがとつじょ一点に集中する、
極度に張り詰めた瞬間。
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2012年11月24日

文芸奨励賞

今日は文芸奨励賞の授賞式がある。もう例年のことなのだけど、
今年もぼくがけしかけた学生が選ばれてしまっていて、まったく困ったことである。
そもそもぼくのゼミには優秀なのが多いし、ユニーク(カメ吉、
この言葉の意味を調べるべし)なのが多くてどうしてもこういうことになってしまう。

だいたい文芸奨励賞のコンセプトからして、あまりにもひねったものとか、
リアス式海岸のように曲がりくねったものは選ばれにくいだろうから、
その意味で、こういう表現に秀でたぼくの学生には不利なたたかいになるのだけど、
それでもなんにんかが選ばれるのは、「応募してみる」ということができているからだ。

残念ながら世の中はそんなに甘くなくて、やってみてもほとんどが失敗に終わるが、
ぜったい無理だと思えたことでも、まれに芽が出て、花が咲くことがある。
こうして咲いた花の、いかにうつくしく、いとおしいことか‥‥
でも、当たりまえだけど、種を蒔(ま)かなければ、その可能性もないのだ。
ぼくの仕事は、旗振りと、受け入れられなかったときのケア係。
posted by pilz at 09:06| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月23日

とある学会の風景

キラキラした言葉を使うとか、流ちょうにしゃべるとか、
ながなが話すとか、大きな声で話すとか、にこやかな笑顔で話すとか、
問われたら間髪入れず答えるとか、べつにそんなこと、
「ぼくにとってはどうでもいいことです」と方々で言うのだが、
どれだけ伝わっているのだろうかと思う。

こういうことを高校生や大学生に話すたびに思い出す風景がある。
国会中継かと思えるほどやかましい連日の学会が、
あるひとが話すときだけ、水を打ったように静かになったことがある。
蚊の鳴くような声で話しはじめたのたのは老人であったが、
なんどか発言をするうちに、誰もが、その声を聞き逃さないでおこうと、
じょじょに耳を傾けるようになっていって、最後には、
みながその発言の行方に固唾を呑むようになっていた。

そこにあったのはなんであったのだろうか、といまでも思う。
それは、とつとつと(くちごもりながら)話す老人の言葉からうかがえる
知識のたしかさへの信頼と、老人が、その言葉と行動において乖離しない
誠実なひとであるという信頼であったのだろうか。

もちろん、こんな信頼を勝ちとるのは骨が折れるというか、
ぼくにはムリな話しで、上記のようなことを方々で話しても
それこそ、どうでもいいひとの言葉として聞いてもらえない、
という残念な結果になる。
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2012年11月22日

某所

tree02.jpg
一日眠って、明日は元気を出して。
posted by pilz at 22:57| 京都 ☁| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月21日

口惜しい

缶入りコーンスープを買ってしまう。
「じっくりコトコトとろ〜りコーン」という名前らしい。
なんでこんな長い名前なのか、なんで形容詞が三つもついているのか。
なんでひらがなとカタカナばかりなのか、なんでひらがな→カタカナ→
ひらがな→カタカナの順なのかなどと考えるが、答えは出ない。

じつはぼくには缶入りコーンスープにかんして夢があって、
「いつかコーンをひとつも残さず飲んでみたい」とつねづね願っているのだが、
今日もやっぱりあと一粒が出てこなくて、いつものように缶を傾けたり、
チューチュー吸ってみたりするのだが、どうしても底にへばりついて出てこない。
ぼくはこの一粒が口惜しくてしかたないのだ。

追記:今日、広口缶のものがあることに気づいた。
posted by pilz at 20:55| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

疲れすぎて眠れないということがあるのか?

疲れすぎて眠れないということがあるのかどうか、考えていた。
そういう話を何度か聞いたからなのだが、疲れて布団に入ると
さっさと眠ってしまうぼくには信じられない話なのだ。

もしそういうことがあるなら、どうしてそんなことになるのだろうか。
ひとつは、眠ることにもそれなりのエネルギーがいるということか。
疲れすぎておおかたのエネルギーを使い果たしてしまっているなら、
眠るためのエネルギーが残っていないということにもなる。
そういうことなら、歳をとってエネルギーの総量が減ってしまうと、
なかなかゆっくりとは眠れない、ということにもなりかねないだろう。

もうひとつ考えたのは、疲れすぎて眠れないというのは、
じつはあまりにも脳が活動を継続しすぎて、
勢いあまってにわかにはストップできない状態にあるということだ。
「頭が冴えすぎて‥‥」ということのはなはだしい状態か。
この考え方だと、歳をとってエネルギーの総量が減ってしまうと、
脳の活動量も減って、むしろ覚醒を続けることがむずかしくなる。
posted by pilz at 22:20| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

ヒラタケ

道すがら、ひとの家の庭木にみごとなヒラタケの群生を見つける。
家人はその物体が食用であることに気づいていないらしい。欲しいのだが、
かってに庭に入って採って「○○大学准教授、ヒラタケ欲しさに不法侵入」などという
見だしが朝刊に載っては、学生たちがかわいそうだなと、思いとどまる。

ヒラタケは冬のキノコ。ヒラタケに続いては、もっとも寒さに強いキノコ、
「ウィンター・マッシュルーム」と呼ばれるエノキダケが生えるのだ。
(この文章になにかを考えさせるものはない。ごめん、ダッフィー。)
posted by pilz at 23:28| 京都 ☀| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月18日

「人間が大好きです。」

ningen.jpg
この言葉に惹かれたというひとがやはり多かった。うれしくもあり、悩ましくもあり。
それにしても、全員が笑っているというのは幼教ならでは‥‥かな。
posted by pilz at 23:33| 京都 ☀| Comment(4) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月17日

焼き栗

だいたい教員(pilzを含む)なんていうのはそうじてやっかいな生きもので、
教員がいっぱいつまった会議室(=モンスターハウス)でなにかを説明するなんてことは、
七輪で焼かれてシュウシュウ湯気を出しはじめた大量の焼き栗を前に話すようで、
いつはじけるかわかったものでなくて、危なっかしくてしょうがない。

あちこちから、「すきあらば刺すわよ的レーザー」とか
「曖昧なことを言ったら黙ってまへんで、かましまへんねんな光線」が飛び交っていて、
なんとも精神衛生上、とてもとてもよろしくない雰囲気をかもし出している。
その態度も、それがひとの話を聞く態度ですかいと、いっぺんぐらいは
説教してやろうかとまじめに思ってしまうようなのも多い。

そんなやっかいな教員たちであるが、ちょっと高校生と話したりすと、
朝までの不機嫌はどこへやらで、にこにこしながら会議室に戻ってきたりする。
この場合、なぜ教員がご機嫌になるのかを正確に考えねばならない
ということもあるのだが、まぁ、今日のところはよしとしておこう。
posted by pilz at 22:36| 京都 ☔| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月16日

落葉

maple.jpg
明日は指定校制推薦入学制度の実施日。いまごろは、たくさんの高校生がどきどきしながら、
不慣れな宿で一夜を過ごしているのだろう。
posted by pilz at 22:05| 京都 ☀| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月15日

能力の条件

なぜかとつぜん携帯のブラインドタッチができるようになった。
こんな小さなキーをブラインドタッチするなんて高校生以外にはムリと
思っていたのに、あるとき気づいたら、さくさく打っているじぶんがいて、驚いた。
「おれって、あんがいできるひとなの?」とニヤニヤしはじめるが、
まことに残念なことに、すでに携帯の時代は終わっているのである。

時流に合わない変化はたんなる変化であって能力の伸長とは言わないとしたら、
なにごとをするにもひとの三倍も四倍も時間がかかってしまうじぶんには
ほとんどなんの能力もないような気がする。
posted by pilz at 22:42| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月14日

イチョウ

ityou.jpg
今日は冷え込みましたね。
京都府立植物園のイチョウがそろそろ見頃ですよ。
posted by pilz at 22:59| 京都 ☀| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

ダッフィー

duffy.jpgディズニーランドに行ってきたひとたちからテディベア的なものをもらう(写真、うまく撮れていません)。

そうか、これは「ダッフィー」という名前なのか‥‥そうか、ミニーが作ったものだったんだ‥‥

「センセイになるべく似たものを選びました」と言っていた。そういえば、「センセイは茶色い感じや」と学生にも言われたことあったなぁ‥‥それとも「クマ」なのか。まぁよい、余計な詮索はケガのもとなのだ。

どうもありがとう。
大切にして、ときどき話しかけたりします。
posted by pilz at 23:44| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

差し引き

seta.jpg午後から母方の祖父ふたりの墓参りに行く。一方の墓には、母方の祖母も眠っている(ちなみに、よく話題に出す祖母は父方の祖母)。

年に何度かは参ることにしているが、なぜ参るのかと考えてみたら、生前、浴びるほど受けた恩義をわずかなりと返したいからなのだ。冷たい石の塊(かたまり)が恩返しを受け取るわけもないのに、そこに食べ物や花を供えるといった不思議なことをするのは、そうでもしなければ、なにも返せないままに見送ってしまったことからくる呵責(かしゃく)の念をなだめることができないからだ。

あのときの草餅は美味しかったよ。あのときのぜんざいも美味しかった。
食べ物のことばかり思い出しているな‥‥

そんなことを考えながら墓を掃除していたら、
小学校のころ、おおかたのお年玉を祖母に預けていたことを思い出した。
祖母は晩年、認知症が出たりしたこともあって、
よくよく考えてみれば、そのお金がぼくに戻ることはなかったのだ。
「おばあちゃん、ちょっとだけ呵責の念を差し引きますよ」と
心のなかで話しかけたら、「うはは」と祖母が笑った。
posted by pilz at 22:27| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月11日

言葉の羽根

kleine.jpgネット上に書かれた言葉や文章には羽根が生えているのです。ここに書いた文章も、ぼくの知らないところまで飛んでいって、会ったこともないようなひとたちの目に触れることになるのでしょう。

ここに書くぼくの文章は論文ではなくエッセイですから、明確な結論がないものがほとんどです。おそらく、じぶんで考えようとする習慣、じぶんで解釈しようとする習慣のないひとにとってはただ曖昧なだけの文章でしょうが、なかには興味をもつひとがあるかもしれないとも思っているのです。

では、興味をもってもらってなんになるというのでしょうか。
これは書くのがひどくはばかられることなのですが、ここにある言葉が
誰かのそばに舞い降り、なにかを選んで前に進むときに力を貸しはしないか、
その羽根で選択のときの重みを軽くしてはくれないか、と
夢のようなことを願っているのです。

もちろん、ぼくの願いとは逆のことが起きる可能性もあります。
「大谷大学入学センター長」のブログになっていますので
責任上、まずいかなと不安を感じることもないではないのですが、
そこは、一種の “賭(かけ)” だ、としか言いようがありません。
無限にあるネット上の文章からどれを読むかは読者に任されているとしたら、
そうした賭をすることも許してもらえる‥‥んじゃないかな‥‥

書くということがぼく自身にとってどういう意味をもつかについては、
ここに書いたので、あわせて読んでもらえればうれしいです。
(「中高生からの問いに」vol.4)
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雨の日の妄想

FBをみていたら、ブログの記事がアップされていないことに気づく。
ブログの設定がかってに変わっているようなので、これはいかんと設定を戻す。
設定欄には「twitterとの連携」というのがあるので、これはいいと
この機会にtwitterをはじめることにして、連携する。
まめにツィートする(この表現でいいの?)ことなんてぜったいないが、
これなら楽ちん(死語か?)なのである。

こんなことを言うと、「なんのための楽ちんさなのか?」とか
「データから楽ちんであることの根拠を述べよ」とか言う向きもあるかもしれないが、
五月蠅いのである。誰がなんと言おうと(誰もなにも言っていない)
今日はひさしぶりの休みだから遊ぶのである。
人生にはメリハリが必要なのである。

ともかく、twitterと連携して、これでまたぼくのファンが
全世界に広がってしまって(ちなみに、FBの友だちは19人)、
収拾が付かないことになるやもしれぬ、と考えるが、
それもまたぼくの運命、いたしかたない。
posted by pilz at 10:11| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月10日

磨りガラスの向こうに

window01.jpg目を痛めてしまい、たくさんの方からご心配をいただいた。傷は少しずつ癒えてきているらしいのだが、ほんとのことをいうとまだあまり見えない。片目が見えないことがこれほど不都合だとは思わなかった。

壁にぶつかったりするのは大したことではないのだが、とつじょ世界が磨りガラスの向こうに引っ越してしまった日から、手元にあるものがクリアに見えないだけではなく、ものごとをクリアに考え(ようとす)ることができにくくなってしまった。

「目を大事にせなあかん」というのは、片目の光を失っていた祖母が
くり返し幼いぼくに伝えたことであった。あるとき、ぼくの目に虫が入って
なかなかとれなくなったことがあった。「とれへん」と伝えたら、
祖母が近くに来て顔を寄せ、瞬間、なにかがぬらりと目をぬぐった。
祖母がぼくの眼球をなめて虫を取り出したのだ。
いまでも、目にゴミが入るたびに思い出す。
posted by pilz at 22:44| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月09日

屈折万歳。

学校で立食パーティーのようなものがある。
別部署のFさん(同級生)がふらふらと徘徊していたので、呼びとめて話す。
「ブログでFさんのこと、2回書きましたよ」と言うと、知っていた。
「センセイのブログは屈折しているから好き」などと言っておる。

たしかに書き手の屈折ぐあいがほどよく反映したブログになっておるのだが、
きっと同級生も少なからず屈折しておるとぼくはにらんでいるから、
屈折したひとに屈折していると評価されるのは、ええのか悪いのか、
ようわからんようになる。ようわからんようになったので、
K部長に聞こうかとも思うが、よしておく。
posted by pilz at 22:53| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月08日

幼時経験

学生たちから「かんざし学」の “講義” を受ける。
かんざしというのはおおかた過去のもので、いまも使っているのは
舞子さんとかぐらいなのかと思っていたら、学生たちが使っていた。
とくべつなものではなく、ふつうに使うものらしい。
こうやって留めるのだと実演してくれている。
そうか、そういう風に留めるものなのか‥‥

ただ不思議なもので、講義を受けながら、幼いころ、
母に「鏡台に近づいてはならない」と言われたことを思い出して、
知ってはならないことを知ろうとしているような気もしていた。
不条理なことであっても、幼時経験を覆すのはむずかしい。
posted by pilz at 23:42| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月07日

朝からこんなことを書くべきではない。

世界に誰も尊敬できるひとがいない、という状態はどんな状態なのだろうかと思う。
本心かどうかはべつにして、このごろ、とくにそういうことを公言するひとが増えてきて、
暗澹(あんたん)たる気持ちになる。そういう気持ちになるのには、いくつか理由がある。

ひとつは、そのような公言によって、目の前にいるぼくもまた切られてしまうからである。
そのような公言には、尊敬されるべき人物になるべし!という周囲への要請も
含まれているのかもしれないが、当方、世界ではじめて尊敬できる人物になるほどの
器量はもちあわせていない。

ふたつめは、そのように公言する人物自身が、たいてい尊敬されるに値しないからである。
このような発言が周囲にどのような打撃を与えるかを想像する能力のなさはおくにしても、
こういった人物はたいてい、周囲のことを、人間のことを知らない。
知らないのにそれなりに知っているとカンチガイしたり、たまたま「わかった!」
と思ったものに、たとえそれが “笹舟” であっても、全体重をかけたりするものだから、
おかどちがいに全体重をかけられた笹舟は「ぼくの浮力ではムリです」と
ぶくぶく沈むばかりなのである。そして、いくつか笹舟を沈めてしまったあかつきには、
もう尊敬に値するものなどない、というふうになるわけだが、そういう結論は、
周囲の問題というより、じぶんの未熟さによるものなのだ。
周囲の人間は、じぶんの未熟さをみるだけでも手一杯なのに、
なお、そういう未熟さをみなければならない。

みっつめは、ひとを尊敬しない者は誰よりもさきにじぶんを信頼していないからである。
ひとはじぶんの考える理想を尊敬するのだとしたら、理想はじぶんのエッセンスでもある。
なにかを尊敬したり誰かを尊崇することは、他者を尊敬することであると同時に、
ある意味で、じぶんへの尊敬であり、尊崇でもある。じぶんを大切に思うことである。
「誰も尊敬できない」という公言は刃(やいば)となり、発言者自身をめがけて
降り落ちてくるのだ。そのような現場を目の当たりにしなければならない。

あ〜またえらそうなことを書いてしまった。
さぁ、今日も会議、会議。
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2012年11月06日

無題

shadow.jpg
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2012年11月05日

造花の話――11月「部署レポート」課題

T局入り口にある造花の蘭のことを書いたあと、
ふたつおもしろい話を聞いたので、ご披露を。

ひとつはSさんから。
前にT局配置だったときには、鉢植えが3つ(2つは生の花)あって、
この蘭の造花にも、造花と気づかず水をやっていて、
せっせと水をやり続けた結果、一部カビが生えて黒ずんでしまったという。
(現在、pilz、目の不調により、カビ箇所、未確認。)

もうひとつはFさんから。
Fさん実家の造花はあまりにもほったらかしにされた結果、
もともとは “咲いていた” のに、日光があたって変色し、
ホコリが積もってぼろぼろになって “枯れた” らしい。

高校生諸君、ここからどのようなことが考察できるか、考察してみよ。
「考察」であるから、みずからの視点を示し、筋道を立てて
明確な結論を導かねばならない。なおこれは11月の
「部署レポート」の課題でもあるので、G君とN君は、
いつでも答えられるよう、答えを用意しておくように。(* ̄m ̄)
posted by pilz at 10:36| 京都 ☁| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月04日

クライマー引退

一昨日はじぶんのことを「防御力が強い」なんて言ってしまって、
アホかと思ったりしていた。今日はじぶんのことはいいけど、
防御力が強いというか、“高い城壁” を誇るひとは、いる気がする。
垂直に近い、ほとんどつかまるところのない絶壁を見上げるような思いのするひと。
ときどき壁面につるつる滑るコケが生えていたり、
ひどい場合には、壁を登ろうとするくせ者を撃退するための
狙撃用の銃穴がしつらえられていたりする。

でも、高い城壁を誇るひとほど、それを登ってくるひとを
来る日も来る日も待ち続けているような気もする。
ぼくも若いころはそういうのを登ろうと試みたけど、
もう歳なので、やめておきます。よぼよぼ。
posted by pilz at 23:04| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

自然

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2012年11月02日

こじ開けるキャラ

できるだけのことはじぶんでやってみたいと思っているけど、
じぶんでどこまでもできるかというと、そういうわけにもいかない。
ほうっておくといずれ停滞してしまって、もう可能性がないと殻を閉ざしてしまう。
殻を閉ざしたのはじぶんじしんのはずなのに、いつのまにか、
自力では扉を開けることさえできなくなってしまうこともある。

ありがたいことに、ぼくのように防御力が強い人間でも、それを打ち破る
ことのできるキャラ、こじ開けることのできるキャラが何年かに一度、現れる。
ぼくの鎮座する奥の院までずかずか上がり込んでくることのできるひとが現れる。
ぼくはそういうキャラをこれ幸いとばかりに周囲に配置して、
定期的にじぶんの殻を破ってもらっている。
posted by pilz at 23:35| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする