2013年01月31日

センス

ego.jpg大学に来てまもないのに、もう大学のことを的確に理解している教員がいることに気づいて驚く。

どこにでもあるような大学ではなく、しかも、じわじわ効いてきて生涯にわたって影響を及ぼすような性質の大学だから、そうそうかんたんに理解できるものではないだろうに、よほどセンスがあるのでしょうか? と隣人先生に話す。

学生時代からいる(いっとき逃走した)ぼくだって、
わかってきたと思えるまでけっこう時間がかかったのに‥‥
と言えば、ずいぶん高飛車な言い方になってしまうか。
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2013年01月30日

大吉

daikichi.jpg
昔から「当たる」とか「当たらない」という種類のものが苦手で、近づかないようにしている。
が、不思議におみくじには強くて、引けばほとんどいつも大吉で、
幼いころ、おみくじは全部、大吉なのだと思っていた。
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2013年01月29日

「陸封型」と「降海型」

マス類のなかには「陸封型」と言われるものと「降海型」と言われるものがある。大方のマス類には、川の上流で産卵して、降海した稚魚が海で大きくなるというパターンがある(鮭参照)のだろうけど、ときどき、遡(さかのぼ)った上流で居ついてしまうようなのがいて、そういうのは「陸封型」と呼ばれる。たとえば、降海型であるはずのサクラマスの陸封型は「ヤマメ」と呼ばれ、陸封型のアメマスは「アマゴ」と呼ばれたりする。なぜ陸封型がいるのかはわからない。海よりも源流をめざすのが好きなタイプがいるのかもしれない。山里で育ったぼくは長くじぶんを完全な陸封型であると思ってきていて、昨日の記事にも書いたようにベースはそうなのだが、少しずつ “海への意識” が加わってきたことも事実なのだ。
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2013年01月28日

源流からの距離

「昔からここ(近く)に住んでいると、賀茂川のよさがわからんのですが」と言われて、「そんなことはないですよ、賀茂川はやっぱりいいです」というような答えをしたが、その理由を説明するのはむずかしい。ぼく的には、賀茂川(→鴨川)が中央を南北に流れていない京都(市内)は考えられず、そうでない京都で働くことは考えられないのだが、その理由は、ぼくが “源流からの距離” をいつも気にしながら生きていることに関係している。でも、そんな抽象的なことを言ってもわからないよね、ダッフィー。
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2013年01月27日

尋源館

jingen.jpg
巣鴨に開校された大学が現在の地に移転開設された1913年に建てられたもの。

かつては1階に講堂があり、筆者はそこで入学式の日を迎えた。
たとえいかなる権威であろうと、じぶん(筆者)を理解できる者など、
おるはずもあるまい‥‥掲げられた肖像画をうらめしく見上げ、にらみつけた。
大方のことをあきらめた、ニヒルな青年だった。
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2013年01月26日

「いかんが」

本を読んでいたときに大路小路によさそうな話題を思いついたので、
忘れないうちにと、しおりに書いておいた。で、いま、
さて今日はゆっくりブログを書こうかとしおりの文字を読もうとすると、
これがミミズがのたくったような文字で判読できない。

目を凝らして読もうとしても、「いかんが」としか読めない。
昔のランナーが思い浮かんだが、そんなことを書いたはずがない。
それは書いたはずがないのだが、かといって書いたはずのことも思い出せず、
他人に責任転嫁するわけにもいかず、じぶんの字の汚さに怒っている。

これは今日ぼくがやらかした失敗なわけだが、誤解をいとわず言えば、
失敗の原因が100%じぶん以外の他人にあると確信できて、
他人を憎悪できるというのは、ある意味で幸せな場合もあると思う。
それほどぼくらは、というか、少なくともぼくは、日々、
あまりにも多くのことを「やらかしてしまう」のだ。
posted by pilz at 22:56| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月25日

『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(井村和清)

祥伝社のノン・ブックシリーズの一冊として1980年に発売され、その後、
文庫化されたものです。100万部以上を売り上げたかつてのベストセラーであり、
ご存知の方も多いでしょう。

著者は井村和清。医師であり、「飛鳥」と「まだ見ぬ子」の父親でもあります。
病に犯され、死を覚悟し、亡くなるまで井村が書き続けた文章がこの書の主な内容です。
徐々に進行するみずからの病を医師として冷静に見つめ、その一方で、愛する人たち
――両親、妻、子ども、病院の同僚たち‥‥への思いを切々と綴っています。
その思いは、やがて遺されてしまう者への慈愛に満ちたものです。なかでも、
飛鳥への思いを綴った部分は、父親の子どもへの思いを素直に語ったものとして、
白眉の文章だと思います。

ひねりはありません。特別に名文というわけでもありません。
それでも、読む者の胸を打つ逸品です。この書をもとにして制作された番組のビデオ
(NHK特集「妻へ飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」)も、発売されているようです。
美しい映像と宇野重吉による朗読が溶け合った見事な作品でした。
もし幸いにして入手可能なら、ご覧いただければと思います。
posted by pilz at 23:26| 京都 ☀| Comment(0) | 好きな本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月24日

知ることは、いとおしむこと。

風邪を引いてからなので遅すぎるのだけど、ミカンを食べる。
いつものように白い筋(なんと言うのかな)をきれいに取り除こうとするが、
先日、どこぞのひとがこの白い筋がミカンの甘み成分を運んでいるとか
言っていたことを思い出して、君のおかげで甘いミカンを食べられるのかと思い、
にわかに、邪魔ものだった白い筋がいとおしくなる。

ミカンの筋に限らず、周囲にある大方のものが関係しあいながらあるのなら、
なにかひとつのことを知ることは、それをいとおしく思えたり、
許せたりすることにもつながっているのだろう。そうなればいい。
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2013年01月23日

大きなお世話

「だったら、○○のあいだは○○と○○をして、それからは○○するようにしないといけないよ。○○先生には、ぼくから連絡しておくから‥‥」。われながらバカだなあと思う。こんなパーフェクトな答え方をしてしまったら、それに乗っかる以外にすべがないじゃないか。そして“権威”に裏づけられた模範解答は、そこから逸脱するものを追い詰め、裁くのだ。学校は追跡し、問い詰め、裁くような場所ではない。

寸分たがわぬ模範解答が求められるときがあるにしても、相手が求めているのか、それともじぶんの不安を解消するためなのかを、答える前にちびっと考えるようにしよう、と日記には書いておく。
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2013年01月22日

答え

リンスを塗ったくると翌朝なにになるかというと、「風邪をひいて熱を出す」というのがその答え。くくっとじぶんで笑ってしまったが、笑っている場合ではないのである。ピンチなのである。
posted by pilz at 21:43| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

雑草

ippon.jpg
手入れが行き届いた駐車場。花を咲かせられた “雑草” は一本だけだった。
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2013年01月20日

「菌類」

油断していて昔のくせが出てしまう。ほんの一瞬のことだったから、
気づかれていなかったろうとほっと胸をなで下ろしていたら、
NさんおよびKさんにチェックされていて、あわてる。

それにしてもこの2日間はつらかった。
「○○」と書いた紙が貼られた机にひとり座って、
せわしなく働いているひとたちの姿をみる――という仕事は、
ぼくにとってはじつに落ち着かない仕事だった。ぼくは一日、
所在なくブログをみたり、居眠ったりしていた。

今度こんなことがあったときは、「○○」は拒否して、
なんと書いてもらおうか。「近づくと咬みます。」はどうか。
「珍獣」も悪くないが、「玉虫色」でもいいか。
なにを聞かれても、なんとでもとれるような返事しかしないのである。
でも、いちばんいいのは「菌類」かな。
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2013年01月19日

天使

なんか容器があったので、ボディーシャンプーだろうと、
塗ったくって体を洗って風呂から出ようとして見たら、リンスでしたな。
どうりで、どうしてもこうしても泡立たなかったはずだ。
髪にリンスをすれば “天使の輪” ができると聞いたことがあるが、
全身に塗ったくったぼくは、なにかがコーティングされて、
朝起きたら天使になっているのかもしれない。
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2013年01月18日

光の世界

高校の先生と老眼談義。老眼のせいかはわからないが、
月がにじんで見えて、ショックを受けたという。
ぼくも星を見るのは好きだから、いまごろだと、
オリオン座付近の星たちが見えなくなってしまったら、
冬の楽しみがひとつ、ぽろりと抜け落ちてしまう。

今日からはホテルでの連泊。カーテンを開けて空を見上げても、
京都市内の夜空に、星はほとんど見えない。

夜空の星と一口に言っても、ふたつの発想があると思う。
「星が光っている」というのと、「光の世界に小さな穴が空いていて、
そこから光が漏れている」というもの。ぼくの発想はごくふつうの前者。
光の世界がべつのところにある、という発想はどうしてもできない。
posted by pilz at 22:57| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月17日

ゼミ終わりに落ち込むとき (2)

もうひとつは、じぶんが目立ちすぎた場合。
ゼミは学生のための舞台なのだから、ぼくがしゃしゃりでて、
しゃべり続けるなんてもってのほか、というのがぼくの考え。
そうしなければ成り立たないようなら、ゼミとして失敗であり、
ゼミ運営の失敗はほかのだれでもない、ぼくの責任。

どうしてもぼくが話さねばならないにしても最低限にとどめて、
あとはかってに学生たちが議論を進めて、ぼくが空気のような存在‥‥、
というより、学生がぼくの存在など忘れてしまうぐらいが、
ちょうどいい。(完)
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2013年01月16日

ゼミ終わりに落ち込むとき (1)

べつに考える必要もないのだけど、考えてみれば、
ゼミが終わって落ち込んでしまう場合には、いくつかパターンがある。

ひとつは、怒ってしまったり、叱ってしまった場合。
怒るのは大人げないにしても、叱るのは立場上しかたない、
といってくれるひともいるかもしれない。なんてやさしい方。

だけど、叱るというのはどうも上から目線の感じがして、
じぶんってそんなエライのかなぁと考えはじめると、
もういけない。mikan.gif
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2013年01月15日

「明日」

授業で、学生に「死ぬことのなにが怖いのか?」とたずねてみたら、
「明日がないこと」だと答えた。一瞬、(・_・?) となったが、
なるほど、言われてみればそうかもしれない。

この場合の「明日」には、きっと、いろんな意味が含まれている。

『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラの
“Tommorow is another day” はなんと訳すのがよいのかな。
あまりにも古い映画ですまぬ、若者よ。
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2013年01月14日

謙虚がよろしい

akafuku.jpg
「大路小路」で書いたり載せたりすることには、いつも意味があるとは限らない。
が、毎日書くことには意味がある、と書こうと思ったとたんに、
パソコンからはブログにつながらん。サーバーがダウンしているのだ。
だいたい、エラそうなことを言おうとすると、足元をすくわれる。
くわばら、くわばら。(その後、つながりました。めでたし、めでたし。)
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2013年01月13日

知恵熱

朝から絵本を読む。どこかで使うのだ。
うかつにも涙が出てしまった本もあった。
泣ける本は避けて、数冊選んだ。

シルヴァスタインと谷川俊太郎を選んだのは、はじめてかな。
最後の一冊には、小さなころ、大好きだった本を一冊。
うまく使いこなせるとは思えないけれど、まぁいい。
積年の願いをはたすのだ。

本を選んでいたら、なぜか熱が出てきた。
知恵熱なのか。
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2013年01月12日

選択肢の誤り

道ばたの寺院に石の羅漢が並んでいる。けっこうな数があり、
五百羅漢ということなのか。どれも同じ石から素人が彫ったようなものだが、
それなりにいろんな形、いろんな顔があって見入る。

気がつけば、われを忘れて、どれがよいかと好みのものを探していて、
けっこうな時間が経っている。さしてちがわないようなものが
一定の数そろうと、だれがなにを言ったわけでもないのに、
それを与られた選択肢のように思ってしまって、ちがいを見切って
好みのものを選ばないといけないと考える癖があるらしい。

そうやってじぶんに見る目があることを感じようとしているのか‥‥
いずれにせよ、テレビを観て笑えた義理ではない。
posted by pilz at 23:03| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

感動

今日はゼミのコンパ。「感動した話」について、それぞれ話してもらう。そのうちのひとつは、4年で7回財布を落として、7回とも戻ってきたというもの。聞いていて、戻ってきたこともさることながら、7回も落とすことができたことに驚き、そのようなひとに卒論を書かせたじぶんに激しく感動する。
posted by pilz at 23:32| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月10日

区切り

tsuri.jpg
お祭騒ぎは今日で終わり。
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2013年01月09日

『無人島に生きる十六人』(須川邦彦)

無人島が好きということもあってか、事実に基づいた漂流記が好きです。
いったいこれまでどれほどたくさんの方々が漂流し、
命からがら絶海の孤島にたどり着き、ぎりぎりの生活をしながら、
何年、あるいは何十年の望郷の思いを胸に抱きつつ、
願い叶わず死んでいったことか‥‥。
失礼しました。今日はそういう話は書かないのです。

というわけで、ここでは、しゃれこうべだらけの吉村昭の『漂流』や、
読むからに寒いシャクルトンの『エンデュアランス号漂流記』(全員帰還したけどね)
は漂流記の名作とわかっていてもその辺にうっちゃっておいて、
この本をご紹介します。楽しく読めるからです。
読めば元気になること、請け合いだからです。

読んで楽しい理由は、16人全員が帰郷できたこともありますが、
それだけではありません。揃いも揃ってみんなが前向きなのです。
いじいじするヒマがあるぐらいなら、みなで取り決めた仕事に汗を流すような、
規律正しい生活をしています。そうして、ついには、みんなで勉強会まではじめて、
おかげで島を出るころには、遭難前には文字も書けなかった人たちも
手紙を書けるようになっていた‥‥というから驚きです。「この年になって、
はじめて、生きがいのある一日一日を、この島で送ることができました。
心が、海のようにひろく、大きく、強くなった気がします」。

持ち前のものがゼロにならないよういかに守り切るか――
を漂流記の本質だと思っていたのですが、限界状況の島で生き残る、とは、
なにか新しい力を積極的にプラスしようとした場合に可能になることのようです。
posted by pilz at 11:14| 京都 ☀| Comment(0) | 好きな本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月08日

新カテゴリの発表

「どんな記事がいい?」と聞くと、もうちょっと長めがいいらしい。
約束はしないが、長くできるような記事があれば、長くしてみよう。
「他にはないですか?」と聞けば、本の紹介みたいなのがいい‥‥と、
担当者の二次元の目がギラリと光った。

ぼくはギラリ目が怖かったので、担当者の要請を聞き入れることにした。

というわけで、新カテゴリ「好きな本」(そのまま)シリーズを追加します。
内容は、個人的に好きないろんなタイプの本の紹介でげすな。
どこぞに書いたものをコピペするだけかもしれないけど、
ぼくが紹介するぐらいだから、読むと人生を左右しかねないぐらいの、
ただならぬ本ばかりなのだ。(ほんとうなのか。)
posted by pilz at 16:47| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月07日

初詣

卒論を添削しつつ旧年が終わり、卒論を添削しつつ新年がはじまる。
――というような年末年始が続いている。時期を問わず、
添付ファイル送り放題となったのだから、学生からしたら気楽なことである。
が、ぼくはそんな君らのせいで、おちおち初詣も行けんのである。
まぁ寒いから行かないのだけどね。

この時期の教員は誰しもそうだろうが、隣人先生も大方そんな調子らしく、
「4本も見たら、1日終わるわ〜」と言いながら、
カチャカチャ、キーを打っている。

なんとかいま手持ちの添削を今日中に終われば、提出期限は3日後。
今日以降は、これぞという有効な手だてもなく、頼むから卒業してください、
どうぞ安心して郷里に帰ってくださいませ、パンパン(柏手)と、
学生たちにお願いをする、“祈願の時期” に突入するのだ。
posted by pilz at 11:42| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

てぃんがーら

「ゆめぴりか」という北海道の米を食べる。
いつも食べるご飯よりもつややかな感じがするので、
ぴかぴかしているから「ぴりか」と言うのかと思えば、
「ぴりか」はアイヌ語で「美しい」の意味らしい。

こういう美しいご飯を昔のひとは「銀舎利」と読んだのだろうが、
「舎利」はもともと仏陀の遺骨の意味で、そこから遺骨とか骨の意味になった。
「銀」とは、「銀河」の由来がそうであるように、
(天の川の)白さを意味するのだろうが、昔のひとは、
「白さ」ということで骨をイメージしたのだろうか。
ヨーロッパのひとだったら、「milk」って言うのかな。

今回、「ぴりか」という美しい響きの言葉を知ったけれど、
ぼくがとても好きな響きの言葉がもうひとつある。
それは「てぃんがーら」という沖縄の言葉。
天の川(天の河原)を意味する。
posted by pilz at 23:12| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月05日

天国鍋

botan.jpg卒業生から連絡が入る。近くまで来ているのだという。玄関に出れば、猪肉とボタン鍋セットをもった卒業生が立っている。隣の町(和束町)にある猪肉専門店から分けてもらってきたらしい。

鴨が葱を背負って‥‥という話は聞いたことがあるが、さすがにぼくのゼミの卒業生ぐらいになると、ボタン鍋セットを背負って自宅までやってくるのだ。

ぼくはボタン鍋が好きで、猪肉が好きなのだが、猪肉は当たり外れがあって、うまく処理していないものだと、その獣臭さに悶絶する地獄の鍋になる場合がある。ぼくはこれまでいくどとなく、京都でも、東京でも、石垣島でも地獄鍋の修羅場をほうほうのていでくぐりぬけてきたのだが、今回の肉はじつに美味しくて、とりわけ、その脂身などは絶品であり、天国鍋なのであった。ありがとう、温まった。
posted by pilz at 22:41| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

パイナップルとアンデルセン

パイナップルを食べていて、ふと、思い出したことがある。
ぼくがとてもとても幼いころは、そのあまりのかわいらしさに、
よく外国人観光客から、写真を撮らせて欲しいとせがまれたらしい。

で、そういう観光客のひとりは、かわいらしい子どもを撮らせて
もらったお礼にと、パイナップルの缶詰をくれたらしい。
いまどきパイナップルの缶詰に感動するひともおるまいから、
セピア色の写真をみるような話なのだが、ぼくは思うのだ。

そのかわいらしい(ひつこい)ぼくの写真は、
北欧のとある国のとある家庭(きっとアンデルセン家)の、
暖炉のある部屋に置かれたフォトフレームに収められていて、
「美しい国日本で出会った妖精」とかなんとか名づけられ、
家族みんなに愛でられているのやもしれない、と。
そう、アンデルセン家のひとたちからすれば、ぼくは
日本の幼児のイデア(理想的典型)となっているわけである。

生きていると、意外なところで、意外なしかたで
責任を負ってしまっていて、ままならぬと思うことがある。
(まじめなのか、ふざけているのか、明確にせよ。)
posted by pilz at 23:41| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

氷のないスケートリンク

スーパーに行ったら、氷を使わないスケートリンクができていて、
なにかよくわからない特殊なボードのうえで子どもたちがすべっている。
氷のないスケートリンクなんて、水のないプールみたいなもので、
考えられないと思っていたのだが、ぼくの考えがかたすぎるのかもしれない。
そのうち、プールも、水ではなくてべつのなにか、たとえば
水よりも体が浮きやすいもので、おまけに浸かっただけで美容効果がある
とかいったものにならないとも限らない。

便利なのかどうかわからないが、本は紙ではなくなっていっているし、
ガソリンのいらない車はふつうだし、水のいらない洗濯機もあるらしい。
こんな調子でいけば、校舎のない学校とか、教員なしの教育とか‥‥
とかいうのはちょっと怖いので考えないでおく。
posted by pilz at 23:13| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月02日

後ろ姿

snoo.jpg
力作が消えてしまって頭に来たので、スヌーピーで冷やす。
posted by pilz at 23:26| 京都 ☀| Comment(2) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする