2013年04月30日

幻の焼き肉店

あるとき、どこだかわからない場所で焼き肉を食べたことがある。
その日ぼくは奈良にあるらしい沖縄料理店を探していて、
どうしても見つからず、あげくのはてに道に迷って、
あまりにも寒かったので乗ればどこかに着くだろうと、
よ〜知らんところからバスに乗り、うとうとしてしまった。

はっと気づいたら終点で、ますますよ〜わからん道沿いに、
なぜか一件だけ派手な焼き肉店がど〜んと建っていて、
あまりにもひもじかったぼくはふらふらと入って行った。
そこでなぜか、めったにないことに90分食べ放題の焼き肉を食べた。
どんな味だったかは覚えていないが、ウェイトレスに上ミノを注文したら、
なぜか、女性の目がギラリと光って怖かったことを覚えている。
店を出たら、ちょうど変な色のバスが来ていて、
乗ればなんとかなるだろうと思って乗った。

バスのなかはもやがかかったようになっていて、
?と思ったが、やっぱりあんまりにも疲れていて、ぐ〜すか
しばらく眠っていたら、はっと起きると、そこは奈良駅前だった。

先日、奈良であの焼き肉店のことを聞いてみたら、
「やっぱり出ましたか‥‥えっ?変な色のバスにも乗ったのですか?
‥‥この時期には開店するらしいですよ。えぇ、上ミノはダメです。
注文するとまずいことになります。じつはあの焼き肉店の辺りは‥‥」
なんてことは、もちろんまったくないのである。
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2013年04月29日

余裕

電車のなかがやけに観光っぽいなぁと思ったら、
今日は祭日なのであった。祭日に遅くまで仕事をするなんて
やなこったなので、最低限のことだけをして、今日はさっさと帰宅。
なんと16時半に家に帰る。その後、家で草むしりをして、
アスパラガスを植えて、文藝春秋の記事を書いて、
うつらうつらしてもまだ時間が余っている。

風呂にも入って、音楽を聞きながらこれを書いているのだけど、
まだ、21時35分なのですよ。どんだけ時間的余裕があるのか。
あんまりにも時間が余っているので、餅つきでもはじめよう
かと思うが、さすがに、明日のことを考えてやめる。
少しずつこのブログが所帯じみてきたように感じる。
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2013年04月28日

藤本とし『地面の底がぬけたんです』

大谷大学の学生であれば、卒業するまでに読んでおいて欲しいな
と思う本が何冊かある。薄い文庫で読める代表的なものをあげれば、
『歎異抄』『キリスト者の自由』『ソクラテスの弁明』といったところ。
すぐにはわからないかもしれないけど、いつか効いてくる。
それと、ちょっとぼくの好みに偏って、文庫でもないけれど、一冊。
図書館では借りられるの?

――――――
著者の藤本としは、若くしてハンセン病に罹患(りかん)し、
手足の指、ほぼ全身の身体感覚、視覚を失った女性。
穏やかな語り口のなかに、隠しきれない気品を漂わせている。
構成は、第1部の随想と第2部の口述筆記。

とりわけ随想38篇は珠玉の佳品。幾重にも積み重なった
内省と葛藤の襞(ひだ)からようやく滲み出した一滴一滴を見る思いがする。
外向きの感性の喪失がかえって豊かな内向きの感性を生み出したことは
事実だとしても、それはやすやすと、時の経過につれて自然に、必然的に、
著者のうちに生まれたようなものでは決してない。

「闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、
どこかにあるもんじゃありませんねぇ。なにがどんなにつらかろうと、
それをきっちりひきうけて、こちらから出かけていかなきゃいけません。
‥‥自分が光になろうとすることなんです。それが、闇の中に
光を見出すということじゃないでしょうか。」(第2部、322頁)

いつか自分が光になれるという保証など、どこにもない。
ましてや、あなた自身が光になりなさい、と人を諭(さと)すことなど、
できはしない。それでも、そのような人がかつて確かにいたことは、
今を生きる者のかすかな励みになるかもしれない。
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2013年04月27日

木漏れ日のなかで

fuji.jpg
学生が「なつかしい」という感覚が好きだと言っていた。
なつかしいという感覚をいつか味わいたいがために、
いまなにかをするというのもある、と言っていた。

ぼくもなつかしい話をするのが好きだ。
ぼくの先生たちがそうしてくださったように、
ぼくも個研で、好んでなつかしい話をする。

「なつかしい」というのは過去のなにかに心が惹かれている
ことを言うのだろうから、なにかをなつかしむとき、
ひとはそのことを好いている。恋をしている。
その過去のことはじぶんがかかわったことだから、
なつかしいとは、じぶんを好きになれている、
ということでもあるのだろう。

なつかしいことを話すとき、ひとは輝いている。
いまにいたるまでには数々の失敗もあっただろうから、
それは直射日光を当てたような輝きではないけれど、
柔らかな、木漏れ日を浴びたような輝き。
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2013年04月26日

現場

renga.jpg
じぶんの “現場” を忘れてはいけない。
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2013年04月25日

無茶振り

「人間・清沢満之シリーズ」第三作目の原稿を
そろそろ書かないといけないのだが、まだぜんぜんなのだ。
書こうと思うことは考えてあるけれど、そのとおり書けるかどうか。
どの写真を掲載するのかも考えないといけない。

というわけで、明日はとあるところに小旅行出張。
どこで電車を乗り換えないといけないとか、何分に出発するとか、
G君に任せっきりで、な〜んも考えていないのである。
なんかあったら「うむ」とか「おっほん」とか言っておけば
あとはG君がやってくれるだろうから、それで事足りるのである。
こういうのを「無茶振り」と言うのかどうか。
posted by pilz at 23:15| 京都 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

恥ずかしくて、本当のことなんか言えない。

まともなこと、正論が苦手だ。どうどうと正論が言える人もいるらしいが、
そういう人がしゃべっているのを聞くと、恥ずかしくて、鳥肌が立つ。
じぶんの気持ちをまっすぐに伝えようとする歌詞や台詞など、
恥ずかしくてとても聞けない。まちがえてそんなものを聞いた日には、
恥ずかしさを通り越して、純粋な恐怖さえ覚える。

聞くのがイヤなくらいだから、言うのはもっとキライだ。
わかり切った正論をとうとうと話すじぶんなど、想像しただけで
即刻死にたくなる。もし「ものすごい正論を言うじぶんのビデオ」
というのが密かに作成されて、無理やりそれを見せられ続けたら、
10分以内に失神するだろう。

授業のときなど、さすがに授業内容でウソはつけないが、
合間の雑談はウソで塗り固めることにしている。
ほとんどの学生はそれがウソであることに気づかず、
真に受けて眉をひそめる。

コース説明のオリエンテーションなど、毎年ほぼ100パーセント、
ウソしか言わない。まともなことなんか、ちっとも言ってやらない。
変化球しか投げない。だれが直球なんか投げるかってんだ。
ひねってナンボの世界(?)なのだ。誤解されるか、
極めてまれに真意を鋭く察知されるか、ギリギリの勝負を楽しんでいる。

結果、やはり真に受けて、ほとんどの学生はぼくのコースに背を向ける。
他コースの同僚からは 「デマゴーグ」と呼ばれ、
同コースの同僚からは黙認されている。それでいいのだ。
万人に好かれる人徳者なんて、ウソ臭いにもほどがある。
ちなみに、今書いていることもウソなので、真に受けないでくださいね。
posted by pilz at 23:07| 京都 ☔| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

どちらでも地獄

「地獄があった方がよいか、ない方がよいか?」と聞かれる。
う〜んと考え込む。あれば、まちがいなく地獄に行くから、ない方がいい。
が、もしなくて、このままなにもなくすまされてしまうのも困る。
地獄があって、これまで積んできた悪事を責め立てられた方が助かるのだ。
でも、なんかわからんもんに金棒とかで殴られるのもイヤだし‥‥
というわけで、あってもなくても、どちらでも地獄。
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2013年04月22日

歓迎会

今日は部署の歓迎会。いましがたまで飲んでいましたのじゃ。歓迎会にもかかわらず、いっこうに歓迎の言葉を述べず、ぼくの安泰のために尽力して欲しいとかそんな失礼なことを言ったような気がする。まぁいい、そんでええのや。
posted by pilz at 23:29| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

クワガタの匂い

insect.jpg
バスから降りたら、クワガタの匂いがした。
少年のころ、まもなくコクワガタが出てくるころにかいだ、あの匂いだ。

クワガタを見つけたときの、ぞっとするほどの感動はよく覚えている。
地面を揺り動かされるのはイヤだが、いまでもときどき、
心を揺り動かされないではやっていけない。
もちろん、よい意味で。
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2013年04月20日

寄生虫のイデア

わ〜い天然物だ〜と喜んでブリの焼いたのを食べていたら、
なんか糸っぽいものがくっついている。(・_・?)と思って、
お箸で引っ張ったら、びろろんとのびましたな。

ミミズの親玉のようなそやつは、
もしイデアの国に “寄生虫のイデア” があるとすれば、
こんな形をしているにちがいないというぐらい
理想型の寄生虫でした。もちろん、
食欲は急降下しましたな。

ほかほか湯気を放つ焼きたてのそやつと残りの切り身を前にして、
どうするかと悩みましたが、ブリに罪はないのです。
そばでべつのブリを食べているひとにも罪はないのです。
ぼくはそっと糸状のものを皿の端に寄せて、切り身の残りを食べ、
そばのひとが食べ終わるのを待ってから、
おずおずとその事実を告げたのでした。

ぼくは寄生虫がきらいというわけではありません。
もちろん寄生されたりするのはイヤですが、怖いもの見たさというか、
見るだけならそんなにイヤでもありません。
目黒の寄生虫館なんか大好きですしね。

それに、ぼくも地球に寄生しているような気がせんでもないし。
なかには、「人間もいて地球、だから人間なしに地球はない」
なんておっしゃる方もおられるかもしれませんが、
そんなことはないと思いますよ。この場合、
なにをもって「地球」と言うか、が問題になりますが。

地球になぜじぶんがいて、いないということにならなかったのか?
べつにいなくてもよかったのに‥‥
そんなことがとても気になるひともいるようです。
かなり由緒正しい “哲学体質” かと思われますから、
そういうひとは哲学科で勉強するのもよいでしょう。

台所から、「15センチもある〜」という声が聞こえます。
きっと計るのだろうな、と思っていました。
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2013年04月19日

白いハト

いつも電車を乗り換える駅にはたくさんのハトがいて、
せっせと巣を作っている。なかに一匹だけ真っ白のがいて、
いつもほかのハトからつつかれ、追いかけまわされている。

白いからじゃけんにされるのかどうかわからないが、
目立ちやすい白いハトが生き残るのはむずかしいと聞いたことがある。
ひとは色の白さを美しさと同じような意味で使うことがあるけど、
白いハトのように真っ白であるというのは、自然のなかでは
多くの場合、あまり自然なことではないのかもしれない。


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2013年04月18日

おのずから

学生としゃべっていて、大路小路を知らないのが
なんにんかいると気づき、ゼミ連絡のメールにurlを入れて送る。
urlを入れたのはほんのじょうだんのつもりなのだが、
しないでもいいつまらぬことをした、と反省する。

砂漠に落ちていてもきらきら光る石であれば
おのずからひとの目にとまって見つけられてしまうだろうように、
すぐれた者はどんなに隠そうとしてもおのずと明るみにでる。
逆に、魅力のない者はどれほど自己アピール
(例えば、urlを入れる)しても認められることがない、
という考えがぼくの心のどこかにあるから、
じぶんの考えに合わないことをしてしまった、
ということなのだ。
posted by pilz at 23:20| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

カメラ

文章を書く時間がないときには、撮りためた写真を引っ張り出してきて、
それを貼ってメッセージにしようとする。写真を選んでいると、
最近撮ったような写真がほとんどないことに気づいた。
とりわけ、一眼レフで撮った写真にはここ最近のものがない。

理由はわかっている。もっている一眼レフが半分壊れていて、
いつしか、撮る気がうせていたのだ。だけど、新しい写真を載せないようだと、
キノコ写真ブログとしての「大路小路」の名が、いつキノコ写真ブログ
になったのか知らないが、ともかく、すたるのである。

というわけで、なかなか沖縄電池を充電できないこともあって、
ふらふら立ち寄ったネット上のカメラ店で、ハッ(゚Д゚)!!と気づいたときには、
新しいカメラをポチッとしてしまっていた。GWにはなにか撮ってきて、
それをここに載っけるのだ。写真はいいから文章を書け、文章を。
posted by pilz at 23:36| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

二人

suma.jpg
足をばちゃばちゃしていた。
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2013年04月15日

哲学的テーマ

2年生ゼミの学生たちに、以下のような哲学的テーマの
どれについて考えてみたいかを問った。

心と体
他人の心
人生の意味
正と不正
自由
死刑


芸術(美)

これまでの経験から、人気が集まるのはてっきり「神」か
と思っていたら、圧倒的に「自由」で、これは意外だった。
ちなみに、上記のうちひとつだけ、一票も入らなかったものがあった。
さて、どれでしょうか?

その答えは‥‥
posted by pilz at 23:49| 京都 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月14日

「折れたくない。」

bicycle.jpg誰しも、できることなら折れたくないものだけど、ふくざつな人間関係のなかで生きていれば、そうもいかない。

ぼくだって、けっこうな歳になったけど、この歳になっても、しばしば折れるし、もっとひどくなると、地面にめり込むかと思えるほどに落ち込む。

でも、いつも学生に言っているけど、失敗したり、
折れたり、地面にめり込むことは悪いことではないと思う。
決して折れないひとなんて、病的なナルシスト以外にはいない。
あらかじめパーソナリティが曲がったり折れてでもしていない限り、
折れるのは当たり前で、むしろ、もんだいなのは、
折れたままで、のめり込んだままで、もういちど立ち上がらないこと。
折れてもまた立ち上がれることこそが、大切なのだと思う。

で、もんだいはどうしたら、また立ち上がれるかということ。
‥‥う〜ん、よくわからない。ぼくは、ぼくの知っているひとで
とてつもない苦労をしながらも人生をまっとうしたひとや、
いままでお世話になったひとのことを思い出して、
立ち上がっているような気がする。
(「中高生からの問いに」vol.7)
posted by pilz at 23:34| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月13日

intermission

intermission01.jpg

かいこがまゆをつくるように
私は私の夜をつくる。
夜を紡いで部屋をつくる。
ふかい菫色の星空のもとに
一人だけのあかりをともして
卵型の小さな世界をつくる。
(永瀬清子「夜に燈ともし」より)
posted by pilz at 22:54| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月12日

ちびた鉛筆

鉛筆を好んで使っていたころがあった。
新しい鉛筆を最初に削るときには爽快感があった。
使い続けていくとだんだん短くなって、書きにくくなる。
もう削るときの爽快感もない。

そうしてすっかりちびてしまった鉛筆は、
いつも、いつのまにか、なくなってしまった。
もう削れない、というほどちびてしまった鉛筆を
もっていた記憶はない。あの鉛筆たちは、
どこに行ったのだろう。

あるとき、これまで使ってきた、ちびた鉛筆すべてを
筆箱に残しているひとに会って、すごいひとだと思った。
そのひとは、ぼくの嫁さんになったのだけどね。
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2013年04月11日

指輪

ラッシュ時の満員電車に座っている。
前に女性が立ち、カバンを押さえる手がぼくの目の前にくる。
ちょっと変わったデザインの指輪がはめられていて、
珍しいことに、というか、きっと生まれてはじめて
指輪がかわいらしいな、と思う。

ぼくはそれまでほとんど興味を示さなかったものに、
一度でも良い印象を抱いた場合は必ず、それ以降は、
それを好意的にみるようになるという性質をもっているから、
あっこれでアクセサリーを認めることになるな、とわかった。
そういう意味では、この女性は、ぼくの趣味判断を
ひろげてくれた恩人になるのだろう、と感謝した。

そんな “恩人” にささやかな感謝の意を捧げていたら、
電車は駅に着き、女性は体を反転し、降りるそぶりを見せた。
と、その瞬間、ぼくの足をぐにっと思いっきり踏んで、
なんにも言わずにそそくさと降りていきやがったゆかれた。
せっかくアクセサリーが好きになりかけているのに、
どないしてくれんねん、この気持ち。
posted by pilz at 22:49| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

感想文と小論文

今日は桜が満開の小高い丘にある高校で授業。
それにしてもきれいな桜やったなぁ。
いい高校やったなぁ。
帰りに雷鳥の卵とかなんとかいうのを買う。
おいしかったらいいのだけど。

こういうのを感想文と言います。
決して小論文ではないのですよ。
posted by pilz at 21:42| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

自己肯定と自己否定

カバンいっぱいの本を持ち帰り、一冊も読まないままに、
学校で読むかも知れないと学校へ持って行く。また家に持ち帰る。
先週はこれを繰り返した。読む確率は低いとわかっているのだが、
万が一にも読むことがあって手元になければ悔しい思いをすると、
往復3時間以上もかけて10キロちかい本を持ち運んでいる。

バカだなと思うが、重いものを運ぶつらさは耐えられても、
本を読めないという悔しさには耐えられないのである。

どうしてこんなことになるのだろうかと考えたら、
重さに耐えることは「じぶんが○○できている」状態で、
読めるようにできたはずの本を読めないということは、
「じぶんが○○できていない」という状態なのである。
posted by pilz at 23:43| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

「雨はこんなにも優しいのにね。」

どこでもキャラクターはいるものらしく、先日、
とある寺(「とある」と言うこともないのだけどね)に行ったら、
なんにんかキャラがいて、こういうことになっているのか、とびっくりした。
ひこにゃんとくまもん以外のキャラはあんまり知らんのだけど、
そのうちひとりが「ぶっとんくん」であることは知っていた。
(ちなみに、ぶっとんくんはその寺独自のキャラではない。)

超有名な、観光スポットでもある寺だから、ぶっとんくんたちは
いろんなひとたちからもみくちゃにされて、さわられまくっている。
しょせん、ぼくなんぞ、生まれのよさからくる上品さだけでもっている
ようなものだから、こういうことを言うのはどうかと思うのだけど、
“四方八方からさわられる” というのはどういう気持ちなのだろう?
一方で、ほんの指先にでもいいから誰かに触れて欲しいと願いながら、
切なく生きているひとはたくさんいるのだろうに、などど、
雨が落ちはじめた境内を、クラスの旗をもって1年生を誘導しながら
考えていた。雑念ばかりでゴメン、新1年生たちよ。

そしてもうひとつ考えていたのは、
以前読んだ、三原順の『はみだしっ子』の一場面のこと。
母親に捨てられ、世間の人々にうとんじられたひとりの少年(アンジー)。
路上に投げ飛ばされたアンジーに、突然の雨が降ってくる。

街の人たち 「(逃げまどいながら)きゃあ降ってきたわ。ぬれちゃう!」
アンジー  「(クスッと笑いながら)みんな雨から逃げてくよ‥‥
        雨は‥‥ボクなんかにでもふれてくれて‥‥
        雨音まできかせてくれるのにね‥‥
        (てのひらを開き、そこに雨粒を受けながら、泣きながら)
        雨は‥‥こんなにも優しいのにね‥‥」
posted by pilz at 21:44| 京都 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

くたくたの名刺

一般社会人のように名刺交換をするようになってしまった。
もらった名刺をみると、いろんな工夫があって楽しい。
この1年で印象に残ったのは、カニがデザインされた、
山陰の方の高校の先生の名刺。この先生がというより、
このデザインを採用した高校の遊び心に拍手喝采をした。

もうひとつ、べつの意味で印象に残ったのは、
くたくたの名刺をくれたひとのこと。
どのくらいくたくたかというと、四隅が丸くなっていて、
ところどころ、紙がももけて(けばだって)いた。
あまりにも四隅がないので、ぼくは最初、
手漉きの和紙製のおしゃれな名刺かと思ったが、
ふつうの紙製の名刺だった。

いったいどうすれば、そこまでくたくたになるのだろうか。
1週間ほど野ざらしにしたあと、ズボンのポケットに2週間入れて、
朝夕欠かさずラジオ体操第1と第2をすれば
それぐらいになるのかもしれない。ちなみに、
この名刺をくれたひと自身も、うわさには聞いていたが、
かなりくたくたのひとだった。(こんなこと、書いてもいいのかな。)
つまり、この名刺は現実の人物を正確に表現しているのだ。

こちらの印象に残るという意味では、
このくたくた名刺が、昨年度のNo.1だった。
ひょっとしてあのくたくたのひと、
これを計算してくたくた名刺を渡しのだろうか。
だとしたら‥‥
posted by pilz at 23:31| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

2013年度オープンキャンパス学生スタッフ募集!

oc.jpg

2013年度のオープンキャンパスの学生スタッフを募集しています。
今年度、何度か開催するオープンキャンパスをつくり上げる仕事です。
(まず登録して、参加可能な日に参加してもらいます。)
すでに登録しているひとも、登録は年度ごとに必要です。

若葉祭での学生スタッフ募集の様子(youtube)。
先生方も、学生にお声をかけいだければ幸いです。
よろしくお願いします。

posted by pilz at 23:03| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

慶事

4月1日から、K先生が鈴木大拙館の館長になられたらしい。
大拙といえば禅というひとが多いが、『日本的霊性』以降の大拙独自の思想は、
大谷大学という浄土思想系の研究環境がなければありえないものだった。
だけど、どういうわけか、大谷大学ではほとんど大拙研究が進まず、
日本の大拙研究においても日陰の身だったわけだから、これは慶事だと思う。

K先生が大学におられたころ、なぜかぼくはK先生に目をかけていただき、
ことあるごとにお世話になった。また同時に、いましている仕事の先鞭?
となった仕事をはじめることになったのもK先生の命によるものだった。
そんなこんなもあるのだけど、先生、館長就任、おめでとうございます。
いずれ、記念館にご挨拶に参ります。
posted by pilz at 23:45| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月04日

ハクセキレイ

駅で電車を待っていたら、ハクセキレイがいる。
白と黒の、尻尾をぴょこぴょこしながら歩く小鳥だ。
ハクセキレイはそんなに近くに寄ってこないはずなのに、
いやになれなれしくて、電車が来ても、一羽だけ、
飛ぶことなくずっとひとのそばにいる。

なぜだろうと思いながら電車に乗って、
なおも逃げないハクセキレイを見ていたら、はっとした。
片脚の指の部分というか、それがないのだ。
一本の脚が棒のようになっている。この脚では、
びんしょうに動き回るエサは捕れないだろう。
だから、小鳥にとってはめいっぱいの危険をおかして、
人間からなにかをもらうことで生きていこうとしているのだ。

当たり前のことなのだろうが、ハクセキレイからすれば、
人間とは、命を賭した戦略の対象にしかならないものなのだ。
以前、インドの駅で近づいてきた女性のことを思い出した。
posted by pilz at 23:38| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

新入生

今日は新入生たちといっしょに真宗本廟(東本願寺)に行った。
仏教系の大学だといつも寺にお参りしたり、お経を読んでいる
と思っているかもしれないけど、そんなことはないよ。
東本願寺に来るのはこれが最初で最後だろうし、つぎにこういう
セレモニーに出席するのは、たぶん、卒業式になると思う、
と哲学科の学生たちに伝えた。なんせ、ぼくがそうだったから。

新入生たちの顔ぶれをみたら、オープンキャンパスで話したひとが
なんにんもいた。今日はとくに声をかけはようとはしなかったけれど、
わかっていないわけではない。
posted by pilz at 23:09| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月02日

「というか」

「逆に」というのが流行っていると誰かが言っていた。
流行っているのというのがウソかホントかは知らないが、
「というか」と言うのが口癖のひとは多い。

「というか」は逆接の言葉だから、おそらく別の意見を言うのだろう
と思って注意して聞いていても、「というか」以下の意見は
こちらが言ったことのままだったりする。こちらが意見を言うたびに
これを繰り返すから、せっかく注意して聞いていたのに、
注意のエネルギーを返せ、と言いたくなる。

「逆に」が「というか」を強めた表現であるとすれば、
「逆に」を使いたがるひとは、相手の意見を聞いていないひとか、
そうでなければ、じぶんに注意を向けて欲しいひとなのかもしれない。
posted by pilz at 23:56| 京都 ☔| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

「人間・清沢満之シリーズ」

今月から『文藝春秋』にシリーズものの記事を書くことになった。
題して、「人間・清沢満之シリーズ」。今月から一年間、
12回にわたって短い文章を書き続ける。

ぼくは真宗学者ではないので、そういう書き方はできないが、
哲学と思想史を少し勉強したから、そこで得た方法や知識をつかって、
清沢の生涯をあとづけたい。珍しいものにはなるだろう。

『文藝春秋』に清沢の記事を書くことにはいくつもの意図がある。
誰かが気づいてくれれば、と思う。
posted by pilz at 22:44| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする