2013年05月31日

走る

今日も飲んでおりましたのじゃ。ひとは誰しも立ち位置が違うから、その意味では孤独であらざるをえない。誰もじぶんのかわりに走ってくれるひとなんかいないのだ。でも、走っていれば、ときどきはほかのひとが走っているのに出くわして、走っているのはじぶんばかりではないと思うことができるだろうし、たまさかには、同じ目標に向かって走っていることに気づけることもあるのかもしれない。
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2013年05月30日

つぶつぶのコロッケ

nora.jpg
授業でコロッケについて議論をしていたら、
学生がコロッケの歌を歌ってくれた。
「今日もコロッケ、明日もコロッケ♪」
ぼくよりもずっと歳上の学生なのだけど、
コロッケは食糧難の時代の救世主だった、という話だった。

ぼくにもコロッケにはいろいろ思い出がある。
母をなくしてしばらくは、不憫に思ったのだろう、
おばさんがコロッケを何度かつくってもってきてくれた。
冷凍にして、兄弟で少しずつ食べた。
美味しかったなぁ。

もうひとつ忘れられないのは、一昨年、
ときどき買って食べていた、菊坂(本郷)のコロッケ。
甲高い声のおばちゃんが売っていた。

おばさんのコロッケも、菊坂のコロッケも、
じゃがいものつぶつぶが残っていた。
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2013年05月29日

哀愁

帰ろうとしたとき、隣の部屋をちらりとのぞいたら、
隣人先生がノリとハサミ(?)でなにかをつくっておられた。
遅くまで会議があって、それが終わってから、
明日の授業の資料をつくっておられるようだった(たぶん)。

それを見て、ぼくは得も言われぬ気持ちになったのだけど、
それはあえて表現すれば、「哀愁」なのだろうと思った。

だがこの哀愁という気持ち、いまひとつ説明がつかない。
たとえば、あのとき隣人先生がもっていたのがノリとハサミではなくて、
臼と杵で、隣の部屋からハイッハイッ(餅を裏返す合いの手)、
ペッタンペッタン、ハイッハイッという音が聞こえたのであったなら、
ぼくはまったく哀愁を感じなかった。

隣人先生がもっていたのが七輪と団扇(うちわ)で、
隣の部屋から聞こえたのがパタパタ、ジュージュー(サンマが焼ける音)
という音であったら、なにがしかの庶民性は感じたであろうが、
やはり哀愁は感じなかった。

隣人先生がもっていたのがシャム猫とブランデーグラスで
(当然ながら、そのとき、隣人先生はバスローブを着ている)、
流れてきたのがムード音楽(なんじゃそら)であったなら、
なにがしかのゴージャス性を感じはしたであろうが、
それはやはり哀愁ではなかったような気がする。

この意味では、哀愁は、ハイッハイッペッタン的なものでなければ、
庶民的なものでも、ゴージャス的なものでもないのだ。
では、哀愁とはいったいなんなのか。
(ホント、すいません、隣人先生。)
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2013年05月28日

不思議な体験

hikari.jpg長く生きていると、ときどき不思議だなぁと思う体験をすることがあります。これは、その昔、母と叔母ともう一人誰か(思い出せない)とでホタルを見に行ったときの話です。ぼくの郷里ではホタルなどどこにでもいて、農業用水路から水をひいていた実家の小さな池にさえいたのですが、その日は自宅から離れた田んぼまで出かけたのでした。

ホタルに満足した4人は、なにやらしゃべりながら帰りの道を
歩いていたように思います。ホタルは草むらにいますし、
蛇が怖いということもあって注意はおのずと足元に向かっていたはず
なのですが、なぜだかそのときだけ4人が前もって示し合わせたように
夜空の一点を見上げたのです。西の空には雲がひとつだけ浮かんでおり、
一瞬、その雲からとてつもなくまぶしい光が漏れ出て、すぐ消えました。
車のヘッドライトの反射とかそういうものではありませんでした。
それまでの経験したことのない光であったことは、4人が思わず
「あっ」とか「うっ」とかいう声にならない声を
漏らしたことからも明らかでした。

怪しい光の正体が気にならないと言えば嘘になりますが、
それよりもっと不思議だったのは、4人がその一瞬だけ夜空を
見上げたことでしたし、光を見た後の帰り道で誰も光のことに
触れなかったことでした。そして、ついぞ、その話は話題になる
ことがなかったのでした。ぼくも聞いてはならないような気がして、
聞かないまま、いつしか何十年かの年月が流れました。

母は鬼籍の人となり、叔母とは疎遠となってしまった今では、
あのまぶしい光がなんであったかは確かめようもないことです。
確かめようにも、手がかりは深い霧の向こうに
すぅーっと消えて行ってしまう――不思議な体験とは、
往々にしてそういうものなのでしょう。
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2013年05月27日

粘土

nendo.jpg
ぼくが学生のころ、いつも大教室のいちばん前の席に座って、
授業も聞かず、一心不乱に紙粘土で怪獣をつくっている学生がいて、
ぼくらはそやつを「粘土」と呼んでいた。何度か話しかけようとしたが、
けっきょく、粘土と話すことはなかった。

ひとの悩みらしきものを聞いていると、多くの場合、
いかようにも脱出する方法はあるのだが、その方法を使わない
ようにしているのは悩んでいる当人なのだと感じる。
場合によっては出口はいたるところにあって、一歩でも
足を踏み出せば外の世界に行ってしまうぐらいの状態なのに、
まず足を石膏で固定して、ついでひとつひとつの出口を
粘土で念入りに目止めしているようなひとたちをみると、
悩みとは出口がないということではなく、そこにあるとわかっている
出口を利用できない愚かさの自覚なのだ、とさえ思ってしまう。

当然、そういうひとに「出口はある」と伝えても意味はない。
求められてもいないものを全力で提示し続けることを、
ひとは「徒労」と呼ぶ。なんとおそろしい言葉なのだ。
こうした粘土や石膏の心当たりがじぶんにもあるのではないかと
自問自答してみようともするが、めんどくさいので、
自問自答の働きを粘土と石膏でびっちり固めておく。
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2013年05月26日

身の置き所

sora02.jpg
昼にうとうとしていたら、眠っている場所がわからなくなった。
宅配便の車のような音がしたので、起きなくちゃと郷里の部屋から
起き出るようなつもりでいたら、別の場所なのであった。

ここに住みはじめてもう十年以上にもなるのに、いつになったら、
ぼくの体は「ここにいる」と納得してくれるのだろうか。
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2013年05月25日

縄暖簾の向こうに

昨日は「御大」とか「先生」とかを連呼してしまって、
ちょっと違和感があったので、今日はじぶんに冷水を浴びせかけて、
精神のバランスをとるためのクールダウンの記事。

誤解があっては困るので書いておくと(どういう誤解なのだ)、
ぼくはけちんぼうだから、そう簡単にはひとを尊敬しない。
特殊なふるいにかけて、かけて、かけて、それを通過した
ごく一部のひとしか認めない。じぶんでも、その狭量ぐあい、
小器ぐあいには、あきれている。

といっても、世の中とはばかにならないもので、
そんな小器でも、このひとばかりは容れざるをえない、ぐふっ、
というようなひとにこれまで何人も出会ってきたし、
これからもたくさん出会うにちがいない。

学者には我の強いひとが多いけど、我が強ければ強いタイプほど、
じぶんの「師」を教祖みたいにあがめ奉る場合が多いと感じたことがある
もちろん、こういう場合、「師」と見せかけて、「じぶんの理想」
をいい子、いい子している場合がほとんど、なんだろう。
そして、理想から外れたものをときに無慈悲なまでに攻撃する。

ぼくだけじゃなく誰しも多かれ少なかれ自己中心的なんだろうけど、
いかに自己中心的であっても、いや、いつも自己中心的であるからこそ、
疲れはてて、ときに何事かに全面的に屈服しているみずからの
“けなげさ” に酔いたいのかもしれない。
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2013年05月24日

コンパ

携帯がぶるぶるとなって、御大より電話。
会議があっという間に終わったので、時間はないか?
との問い合わせなのである。

がび〜ん。よりによってこんなときに限って、
今日はコンパなのだ。「学生は放っておいても大丈夫なので、
せんせい、飲みに行きましょう」と言いそうになるが、
すんでのところで、こらえる。

いや、よしんばコンパでなかったとしても、
そのかわりになんやかんやの用件を入れていただろうから、
先生と縄暖簾(なわのれん)に繰り出すことはむずかしかった。
それより、大切な用件を日々もつことができるというのは、
ありがたいことなのだ。

「今日はコンパなのです‥‥」と残念そうに言うと、
笑っておられる。

電話を終わると、いつもは姿勢の悪い背が伸びている。
あるひとの言葉を思い出した。「おそれるひとがいるのは、いいことです」。
ぼくはそう言ってくれたひとの考えをほとんどすべて否定したのだけど、
その言葉に限っては、うなずいたのだった。
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2013年05月23日

朝と夜

遅くなるのがわかっていたのに、朝のうちに記事を書いておかないものだから、いまごろ書いている。遅くなって書くと、時間に追われ、迫り来るものへの圧迫感を振り払おうとするような記事になってしまうようで、健康的な記事にならないのに‥‥あぁ。
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2013年05月22日

精神の老化

今日は、とある飲み会。昨日から結石の発作が厳しくて、
休ませてもらおうかと考えていたのだけど、
なんとか参加することができて、よかった。

ぼくの周りには故障者(?)が多くて、二人がぎっくり腰。
隣人のSさんと、精神は若いままのつもりなのだけど、
体は着実に老化しているね、という話をしていた。

でも、精神が老化する、というのはどういうことなんだろう。
じぶんの周りにいるひとたちの多様な受容性に、
思いをいたすことができなくなることか。
これはコミュニケーションの基礎でもあるよね。

今日の飲み会の収穫のひとつは、想定していなかった
ひとから大路小路を読んでいます、と伝えてもらったこと。
また、変な(?)本の紹介をします。
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2013年05月21日

めんたいきょう

久しぶりに中学のときのアルバムを見ていた。
見はじめると、なんだかんだとなつかしくて、
いつまでも読んでいる。いったい誰がつくってくれたのか、
気の利いたことに、研修旅行のスケジュールがつけてあって、
最後に錦帯橋に行ったことになっている‥‥と思ったら、
「錦帯橋」が「綿帯橋」になっていた。

あの立派な木造の橋(ご存知ですか?)のうえに、
ピンク色の明太子がのっかっている絵を思い浮かべて、
ひとしきり、ゲラゲラ笑う。

ぼくはこういうのぜったい怒らないけど、
怒るひとっているんだろうな。
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2013年05月20日

赤ペン先生

ときどき赤で学生の文章に添削したりコメントをしたりする。
最近は高校生の文章に添削をすることも増えてきた。
そこでいつも困るのは、添削のコメントを間違えてしまうことだ。

添削する場合、添削する者は、添削される者よりも
文字運用能力があるという前提で添削する。だけど、
ぼくのようなぼんくら添削者は、添削コメントをまちがえたり、
あまりに汚い字を書いて、書き直さざるをえなかったりして、
修正液をしゃかしゃかしゃかしゃかするばかりになって、
いっこうに添削が進まない。こうして、
赤ペンを使うのがおっくうになる。

赤ペンをもった者が間違えてはならないというのは、
教師が万事において間違えてはならない、というのと
同じようなプレッシャーなのなのかもしれない。

こういうことを言うと、いまどき教師にそんな期待はしていない
というようなことを言う口の悪いひともいるだろう。
なるほど、「教師だから間違えないと信じている」というひとは少ないが、
「教師だから、もし間違えでもしたら、こっぴどく責めてやる」
といった感じで、教師の間違いをじつは心待ちにしているようなひとは、
うじゃうじゃいるものなのだ。これはとても残念なことなのだが、
この残念な気持ちは、教師をやった者でないとわからない。

で、そんなおもしろくもないことになっては困るというので、
このごろは消せるボールペンというのを使っている。
フリクションボールというものかな。これがもうすぐれもので、
さくさく消えるのだ。先日はFさんに「消えるんですよ〜」と自慢して、
今日はUさん(+G君)にさんざ、持ち物自慢をしておいた。
これぐらいしか自慢できることがないのである。
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2013年05月19日

リンゴ

体調を壊したりするとリンゴが食べたくなる。
(いま体調を壊しているということではないですよ。)
熱が出たときなんか、ほかのものは食べられなくても、
リンゴだけは食べられる。サクっとした歯ごたえで、
かむとじゅわっと果汁が口のなかにひろがる。
できれば、酸っぱいのよりも甘いのがいい。

昔、『アルプスの少女ハイジ』をというアニメを観ていたときに
クララを迎えるためにハイジが住んだ村の屋敷に、
それはそれはみごとなリンゴが鈴なりになっていて、
美味しそうだなと思ったのを覚えている。

ちなみに、『アルプスの少女ハイジ』で印象に残っているのは、
このリンゴと、暖炉の火であぶられて溶けたチーズと、
ヨーゼフのかっこよさ。ぼくにとって「かっこいい」は
NGワードなのだけど、ヨーゼフを形容するときには使ってしまう。

リンゴの話でした。そうでした。
食べることができなくても、リンゴはそこにあるだけでもいい。
香りもいいのだけど、香りがなくても、リンゴがあればいいのだ。
部屋にリンゴが一個あるだけで、少し幸せになれるような気がする。

なにがそんなにいいのだろうか。
マーガレット・ワイズ ブラウンはThe Important Book で、
リンゴにとって大切なのは “round” であることと言っていたような
記憶があるけど、たしかに丸いことは大切な気がする。
球であることは “欠け” がないことだからね。

彼女はいろんなものにとっての「大切なこと」を読者に説明していくのだけど、
人間にとっての大切なことは “You are You” だった。
サクっと言ってくれるけど、むずかしい。
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2013年05月18日

お休み

inu02.jpg
今日は完全にオフの日ということで、遊びに行っていた。
どこへ行ったかって?そういうことを書きはじめると
オフにならないので、今日は書かないのです。
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2013年05月17日

心配

大路小路を誰がみていてくれているのかは、わからない。
誰が「いいね!」を押しているのか?と、ときどき聞かれるけど、
ぼくも誰なのか知らない。読んでもらって、お褒めに与りまして、
ありがとうございますと、虚空に向かって言うばかりなのだ。

事務では何人か読んでくれているひとがいるのを知っているが、
教員のなかで誰が読んでいるのかは、ほとんど知らない。
あっひとり、「いつも読んでいますよ」と言ってくれたひとがいた。
ぼくの前のセンター長。じぶんの仕事が終わってからも、
ぼくの仕事ぶりが心配なのだろう。

つぎのセンター長が誰になるのかはわからないけど、
あれこれ心配になって、大路小路を読まざるをえないようなひと
でないとできない仕事だろうし、して欲しくもない、と思う。
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2013年05月16日

「読むページ」

「人間・清沢満之シリーズ」第三回を脱稿した。
G君が第一回分をHPにあげてくれたので、お知らせしておきます。
教員エッセイ 読むページ」。12回シリーズを毎月15日に掲載するのです。
ちなみに、第四回は清沢の東京大学時代。科研での研究が進んで、
これまで知られていなかったこともわかっているのだけど、
それをあまりに盛り込むと破綻してしまう。どうしようか。

それと、大学のHPについては、学科の教員と学生との対談
Otani Talk」が出色の出来だった。
いつものぼくらの “ふだんぎの会話” が再現されていて、
この大学のリアルな姿を知ることができると思う。

今日は学生に手伝ってもらって個研の配架。
引っ越し以来、廊下に出したままにして迷惑になっていた段ボールの中身を、
書架に配架するのだ。なんだかんだと配架をはじめるのを渋っていたのだけど、
二次元氏に外堀を埋められてしまった。ちょうどいい。
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2013年05月15日

ちゅ〜と抜く

「400CCお願いします」みたいなカードを掲げておられる。
もちろん、「400CC」といっても、中型バイクでもなければ、
巨大なヤクルトのことでもない(おもしろくないぞ)。
ときどき大学構内で献血を求めておられることがあって、
今日もそういう日だったのだ。

献血した方がいいのはわかっている。
人の役に立てるのはわかっているけど、
自慢じゃないが、ぼくは献血したことがないのだ。
なぜできないかって? 怖いのです。
あの、ちゅ〜と吸い取られるときの感じが。
あれをされると、力が抜けるのです。
タスケテ、ママ、タスケテとなるのです。

学生のなかには献血を趣味としているのがいて、
献血カード?みたいなものをいっぱいにしている。
「なぜそんなことができるの?」と尋ねたら、
「ちゅ〜と抜いてもらうと、気持ちイイ」と言った。
「たまに抜いてもらわないと、落ち着かない」らしい。

ぼくはどっちかというと、注入してもらう方がいい。
栄養剤とかね。「1回注入したら向こう半年、センター長として
なんとか無難に仕事ができる栄養剤」というのがあったら、
すかさずアマゾンで注文する。ぼくは抜き取られ型ではなく、
注入型なのだ(なんだそれ)。
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2013年05月14日

青い空

oohama04.jpg
以前、校内を歩いていると、誰かが空を見上げて突っ立っていた。
変わった学生だなと思えば、じぶんのゼミの学生だった。
「どうかしたの?」の問えば、「空がきれいだから」と言った。
そう言われて見上げた空は真っ青だった。

そのとき気づいたのは、いつも空の下に暮らしているわりには、
ぼくは、ほとんど空を見上げることがないということだった。
それからだっただろうか、ときどきは空を見上げるようにしたのは。

今日も北大路駅の6番出口を上がると、比叡山の背後に空が見えた。
澄み切った青空であればいいなと思うが、たいていかすみがかかっていて、
なかなかそういう日はない。あの学生とは、けっきょくうまくいかずに、
さびしい別れ方をした。いまごろ、元気にしているだろうか。
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2013年05月13日

恐ろしいこと

じぶんのメンツを保つためであれば、じぶんの子どもが病気であるとか、
頭がおかしいのだと言ってやましさを感じない親がいるとするなら、
なんと恐ろしいことだろう。じぶんの身の安全を保つためであれば、
じぶんが病気であるとか、頭がおかしいと思い込まざるをえない子ども
がいるとするなら、なんと恐ろしいことだろう。

しかしこういうことはしばしばあって、しかも、
うえのふたつのことはセットになっているような気がする。

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2013年05月12日

キツネ丼、ラブ

ときどき入ったとたんにイヤになってしまう店がある。
飲食店のことなんだけど、色紙をべたべた貼ってある店。
がらっと格子戸を開けて(古いか)そんな店だったら、
そのまま引き返して、なにもなかったように雑踏に消えたくなる。

店にしたって、有名人が来たりなんかしたらうれしいのだろうから、
うれしくて貼ってしまった‥‥ぐらいのこと、
なにも目くじら立てずに、おとなしくキツネ丼とか食べて
いればいいものを、それができないというのも大人げない気がする。

で、なんでそんなに色紙べたべたな店がきらいかというと、
あんまりよくわからない。その店に脚を運んで、
美味しいって言ってくれれば、どんなひとでも同じはずだ、
という気持ちがあるのかもしれない。ぼくは、ひとの肩書きとか
有名であるなしで態度を変えるような人間が苦手なのだ。
悪態をつくなら終始一貫して、生涯、悪態をついて欲しい。
それなら許せるのだが、名刺の右隅にちょこっと書くような
一行いかんで態度を変えるような変わり身の早さがイヤなのだ。

ぼく自身、大学院生からはじまって、助手のような仕事をして、
講師とかになっていまではなんとか教授とかいうものになっているけど、
そのなかではっきりとぼくへの態度を変えていったひとたちがいた。
最初あごで指示をしていたような具合だったのが、
いつのまにか気づいたら、高速ゴマすり器のようになっていた。
そのひとたちの変節のことはよく覚えている。

もちろん、だからそのときの怨念を晴らす、とかいうことはないよ。
なにごともなかったように接する。飲食店でも、
「このサイン、くずし過ぎで読めないよね」とか言いながら、
キツネ丼を食べるのだ。キツネ丼には罪はないからね。
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2013年05月11日

今日は学生たちと春の遠足フィールドワークを予定していたのだけど、
みごとに雨。この春に方々で予定していたフィールドワーク系(?)は、
ことごとく雨で中止になってしまった。われながら怖いほどの雨男ぶり。
母はいつも言っていたものだ。「お前がなにかするときは雨やな。
産んだとき、雨が降ってたやろか、どうやろう」。

こうして楽しいフィールドワークをふいにしてしまう雨だけど、
じつをいうと、ぼくは雨が心底きらいというわけではない。
どちらかというと、好きなような気がする。

ひとがなにかを100%きらいになるのはほとんど不可能じゃないかと
ぼくは思っているのだけど、雨なんか、65%ぐらい好きな気がする。
ぼくには幼児体験があって、いまでも雨音を聞くととても落ち着く。
きらいじゃないものだから、だったら好きなひとにこそ近づきましょうと、
いそいそと雨の方からなついてくる。

そんなわけからなのか、なにか大切なことをはじめるときには、
いつも6月ごろにもぞもぞと動き出すことが多い。
よせばいいのに梅雨時に動きはじめるものだから、ぬれネズミの姿で、
大切な行事に参加したり、大切なひとと出会ったりすることになる。

でも、ぼくの場合は、雨の日にはじまるぐらいがちょうどいい。
雨からはじまれば、初心を忘れることも少なくなるだろう。
6月には、ホタルを見に行くのだ。
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2013年05月10日

瓊花(けいか)

keika.jpg
鑑真ゆかりの地、中国揚州の花。
唐招提寺にて。
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2013年05月09日

「すいません」

遅刻常習の学生に「なぜいつも遅刻するのか?」
と理由を問おうとしたら、こちらの言葉を最後まで聞こうとせず、
「すいません」を繰り返す。その姿を見て、意気消沈する。
こちらは理由を聞いているのであって、「謝ってくれ」
と言っているのではない。

じっさい、「す・い・ま・せ・ん」と発話したところで、
遅刻が遅刻でなくなることはないし、そうやって有利になることなど、
なにひとつない。こちらとしては、情状酌量の余地のある理由が
ないかどうかを聞いているのにすぎないのだから。

ひょっとすると、これまで学生はそうやって口先だけで
数々の“窮地”を逃れてきたのかもしれないが、残念だけど、
この大学はそういう場所ではない。そういう了見でよいのかどうかが、
きっちり問われてしまうところなのだ。

そしてもっとやっかいなことを言ってやろう。
そうやって問うのはぼくではなくて、君自身なのだ。
誰も自分からは逃げられない。
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2013年05月08日

ゴキ山君について。

なぜかゴキブリの飛行の話になった。
ゴキブリはじぶんが飛べることをふだんは知らないが、
ここぞというときになるとIQが上がって(じぶんの能力を認知して)
飛ぶらしいよ〜と学生が言っている。心のなかで眉につばをつける。

じぶんが飛べることを知らないかどうかはわからないが、
ゴキブリはじぶんがゴキブリだということは知らないだろう。
たとえば、ゴキ山君がかさかさ歩いているときに、
その前をちょっと気取ったゴキ村君が横切ったとして、
ゴキ山君はゴキ村君が同種のゴキブリだとは知らないだろう。

なら、前を横切ったのが麗(うるわ)しのゴキ田さんであったら
どうかって?きっと、かさかさ追いかけていくだろうけど、
それは同類だからとかそういうことではなく、フェロモン
という化学物質につられて追っかけているだけなのだろう。
要は、フェロモンを出しているのがゴキ田さんであろうと
なかろうと、ゴキ山君にはどうでもいいことなのだ。
(でもこれ、人間もあんまり変わらんような。)

IQが上がるというのについては、
IQが上がると表現するのが適切かどうかはわからないが、
ふだんは隠れていたものが危急存亡のときに発現する
というのは、もしかしたらあるのかもしれない。
ひとが事故なんかに遭ったときに注意能力が高まって、
視界のなかのものが超スローモーション(コマ送り)
になるときのように。

ちなみに、ぼくの学生のなかに、事故じゃなくても、
ひとがものを落としそうになったときに、
対象がスローモーションになって、落ちる途中のものを
キャッチすることができる、と言っていたひとがいた。
ウソを言わない学生だったから、じじつだったのだと思う。
今度会ったら、たしかめてみよう。
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2013年05月07日

大浜地区

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大方のひとは興味がないだろうけど、昨日の記事の続き。
歩き回って、土地の古老からいろいろ話を聞いていたのですね。
じぶんの耳で聞いてじぶんの脚で歩かないと、書けない性分なもので。

写真上。大浜地区の往時を示す旧警察署。
建物の前に気圧計が立っている。1959年の
伊勢湾台風の災禍を忘れないように、ということだろう。
写真中。伊勢湾台風後につくられた防潮堤。
これができるまでは清沢の書斎から海が見えたという。
写真下。現在の大浜港。港がコンクリート製になったのは
やはり伊勢湾台風以後で、それまでは石積みだったらしい。
この地区が「寺町」と呼ばれていることは、知らなかった。
それについても、いろいろ話を聞いた。

ちなみに、清沢が生まれたのが1863年だから、
今年は、生誕150年の年に当たります。
posted by pilz at 23:36| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月06日

清沢満之出生の地

kiyozawa01.jpg

先日、出張で清沢満之ゆかりの寺に行ったのだけど、
どうしてももう一度行きたくなって、
ほかの清沢ゆかりの地と合わせて、行ってきた。

なになに、なににこだわったのかって?
そういうことはここでは秘密なのだ(だったら、書くな)。

写真は、清沢の出生地(現在の名古屋市東区黒門町)を示す立て札。
なぜか、暁烏敏(あけがらすはや)の名前がない。
佐々木と多田は愛知県の寺の住職になっているから、
二人を優先したのかもしれない。この下にはこれの英訳があるが、
ちょっと微妙な訳で、修正した方がいいと思った。
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2013年05月05日

中坊公平『金ではなく鉄として』

中坊公平氏が死去されたらしい。
ぼくの胸のなかにある星空から、ひとつ星が落ちた気がする。

以前、「尊敬するひとは誰ですか?」と立て続けに聞かれて、
答えられなくて困ったことがある。おばあちゃんと言うのも変だし、
恩師の名前を出すわけにもいかない。カントと言っても、
おおかたのひとは目を白黒するだけだろうから、聞かれても、
「はぁ」とかなんとか言ってごまかすしかなかった。

そんななかで、中坊公平氏はその答えの候補に
なんどもあがったひとだった。森永ヒ素ミルク事件、
豊田商事事件での被害者救済、豊島訴訟‥‥
氏がなんとしても守ろうとするものに、ぼくは共感した。
じぶんにもそんな力があればいいのに‥‥と思った。

とはいっても、ぼくはさして知りもしない方を英雄視することも、
もちろん非難することならなおのこと、も〜だいっきらいだから、
中坊氏もまたその候補から消えてしまったのであった。
だって、ぼく、中坊さんのことぜんぜん知らんねんもん。

そんな中坊氏関係の本でいちばん読みやすいと思っている
ものをあげておきます(聞き手・構成は武居克明)。
posted by pilz at 23:28| 京都 | Comment(0) | 好きな本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

旅気分10%上昇

tea.jpg
今日はこれを買った。ぼくと同じぐらいの年齢の方だと、
これとか冷凍ミカンを見ると、たちまちにして旅気分が10%上昇して、
8%やさしくなれるだろう。といっても、これは墓参りの途中で、
お寺の売店で買った甘茶なんだけどね。
posted by pilz at 22:54| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

『黄金のウナギ』

哲学科教員ブログでCKPさんが映画のことを書いているので、
こちらでもなにか書けたらいいのだけど、詳しくないのだ。
たまには映画館へ行けばいいのに、まったく観に行かない。
どれほど行かないかというと、ラーメン屋に行くのと同じぐらいしか
行かないのですね(数年に一回しか行かない)。

映画館には行かないが、映画がきらいなわけじゃない。
好きな映画もたくさんあるのですよ。そういうのはたいてい、
誰でも知っているような映画なので書かないけど、ひとつ、
印象に残っているマイナーっぽいのがある。
「黄金のウナギ」という、たぶんチェコの映画。

だいぶ前に一度、NHKで放送しているのを観たのだけど、
独特の空気感があった。その空気感をうまく説明できたらいいな‥‥
と思っていたら、村上春樹が一昔前のポーランド映画
についてエッセイを書いていて、その表現がぴったりだと思った。
ここにそれを引用しようかと思ったんだけど、
いまは村上春樹の本が手元になくて、書けないのだ。
ちなみに、この文章は村上春樹のエッセイ風に書いたつもり
‥‥ぜんぜん似てないですよね、ごめんなさい。

そうだ、Fさんがどこぞで書いていた記事を読んで、
『英国王のスピーチ』のDVDを買ったのだった。
それを観ることにしよう。楽しみ。
posted by pilz at 23:09| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

「花より根」

「花が怖いのです」と学生が言っている。
どんな花でも怖いというわけではないようだが、、
“花らしい花”は怖いらしい。「桜も怖い」と言っておる。
花は顔だから、顔を突き出して自己主張しているのが怖い
のだろうと、いい加減な解釈をしておく。後から別の学生が、
「花はよく顔認証されるよ〜」と言っていたから、
あながちまちがいではないだろう(ホントか)。

ただ、ここでもう少し付け足しておけば、自己主張
している顔が怖いのではなく、いたずらに自己主張を
続けなければ安心できない心根(こころね)が怖いのだ。
そんなものにはできることなら目を向けたくないだ。
花より団子ならぬ、花より根ということだよね。
今日しゃべったことを早速記事にしてしまって、
まことにあいすまぬことである。
posted by pilz at 23:46| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする