2013年08月31日

心置きなく泣ける場所

いつだったか、けっこう遅い時間に個研でぼんやりしていたときに、
二人の学生(女性)がドアをノックしたことがあった。
こんな遅い時間にどうしたの?と聞くと、これから賀茂川まで
二人して泣きに行くという。なにか一大事でもあったかと思えば、
定期的に “泣く会” を催しているらしい。

賀茂川は総じて浅い川で、ところどころに飛び石があり、
橋がなくても渡れるようにしてある。川の真ん中の飛び石だと、
泣いても水音にかき消されて聞こえない。よく考えていると感心し、
同時に、歳若い学生であっても、夜半、水音にかき消されない限り
泣けないのか、と複雑な気分にもなった。

人前でどうどうと涙を流せる大人が珍獣よろしく取り扱われる昨今。
誰はばかることなく泣ける場所があるのは、少数の幸せ者だけ
なのかもしれない。二人が卒業して数年。一人は母親になったという。
心置きなく泣ける場所を見つけられたのだろうか
‥‥今でもときどき思い出す。
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2013年08月30日

明日はなんの日

小さな研究会の研究発表会を終了。
会のメンバーが年々忙しくなっていく。
どう考えてもみんなぼくよりも忙しいようで、
大変だなぁと思ってみている。

清沢の発表原稿書きが終わって、明日からは
「人間・清沢満之シリーズ」の第7回原稿を書くのだ。
ちなみに、明日はAO入試日。
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2013年08月29日

人間を信用しない目

人間を信用しない目に出会うときがある。じっと目を見つめ、
話しかける。「ぼくの言ってること、わかる?」
「(うなずきながら弱々しく)‥‥はい」。

うなずくこと自体がウソである、と目が語っているのだ。
人間を疑い、内心で嘲笑する。ウソの鎧(よろい)をまとい、
もはや人間には何事も期待しはしないという決意に満ちた目。

集中力を高め、その目の奥に、これまで起こった出来事の
歴史を一瞬のうちに読み取ろうとする。もちろん、
なにも見えない。それっきり会えなくなるひとも、ある。
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2013年08月28日

アンダーライン喪失

個研には本を置いているわけだが、どう気をつけていても、
年に数冊は紛失する。たいていは誰かに貸してそのまま
行方知れずになるのだが、たしか誰かに貸したという記憶はあっても、
それが誰だったか、思い出すことができない。もちろん、
何パーセントかの紛失が生じることは織り込み済みだし、
買い換えればよいことで、そのためのお金など惜しくないのだが、
打ち明ければ、ひとつがっかりすることがある。

ぼくはじぶんが読んでおもしろい、勉強になると思った本しか貸さない。
つまらないと思った本は、「読んでも時間のムダだからやめておいた
方がいい」とはっきり言う。あまりに主観的な‥‥と思うひとも
いるかもしれないが、じぶんが貸す本ぐらい勝手にさせてもらう。
おもしろいと思った本には必ず鉛筆でアンダーラインが引いてある。
さらにおもしろいと思った箇所には余白部分に◎が書き込んである。
それは最初に読んだときにおもしろいと思った箇所、
そのとき抱いたじぶんの気持ちを示すものなのだ。

ときどきぼくはどんなところにアンダーラインを引いているのかと、
好きな本を開けることがある。かつてのじぶんに会おうとするのだ。
未熟だと思うときもあるし、何年も前にこんなことに気づいていたのか
と自画自賛することもある。そうして、しみじみじぶんを懐(なつ)かしむ。
アンダーラインを引くことによって、ぼくは著者のみならず、
じぶん自身とも対話することができる。当たり前のことだが、
買い換えた真新しい本にアンダーラインは引かれていない。
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近況

月曜日、火曜日と無理をいってお休みをもらった。
ぼくが出張以外で休むと、ぼくの近くにいる先生たちは
「ぼく、休んだ → ぼく、倒れたにちがいない」という回路が
起動するようで、心配されてしまった。メールボックスをみても、
ぼくの体調を気づかう文字が躍っている。

こういう心配を呼び起こしてしまうのは、
土曜日にぼくが体調を壊していた(土曜日の21時に復活)ことと、
つねひごろのぼくの心がけがいけないからなのだけど、
そうではないのです。そうではなく、月曜日と火曜日は、
明日からの研究会での発表原稿を書くために
わがままをいって、休ませてもらったのです。

おかげさまで、なんとか原稿の見通しはつきました。
というわけで木曜日、金曜日は研究会にまいります。
ご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。
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2013年08月27日

善知識

daigaku06.jpg
人間関係で判断に困ったとき、
「あのひとであればどう判断するだろうか?」と、
許可も得ていないのにかってに登場いただく、
〈脳内の常連〉とおぼしきひとたちがいる。

そのひとりはカントで、ひとりは祖母。それぞれ、
ぼくにとっては一定の範囲内での押しも押されぬ権威者として、
脳内にどっかと鎮座ましましている。祖母はカントなんて名前、
それどころか、哲学という言葉も知らなかったけれど、
祖母のおかげでぼくは哲学と、そしてカントに出会えた。

もうふたりは大学の恩師。とくに学生との関係で迷ったときに
思い出して、「先生ならどうなさるだろうか?」と思いをめぐらす。
記憶のなかにしまってあるふたりの言葉に検索をかけて、
類例がないかどうか、参考になるものがないかどうか探しはじめる。

そうすると、ひとりはやさしいままに微笑みながら、
ひとりは暖かい心を押し殺して明晰に、語りはじめる。
ぼくはふたりの言葉にじっと耳を澄ます。
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2013年08月26日

後ろ向きのまなざし

あたりまえだけど、学生もいろいろ。教師と学生の関係はいわゆる
「師弟関係」だけだと考えている方もおられるかもしれないが、
ひととひととの関係だからそんな単純ではない。

学生のなかには、「じぶんの方が能力のある人間であること、
より高級な生まれの人間であること」をぼくに知らせるために、
ぼくのゼミを選ぶようなものもいる。会って最初に、
聞きもしないのに親の職業を告げてくる学生がいて、
その職業はたいてい同じだ。権威主義的な傾向の非常に強い
ひとだと思うが、それじたいは悪いことじゃない。

こっちとしては学生がじぶんよりも優秀だったらうれしいし、
さっさと抜き去って、活躍してもらえたらと切に願っている。
そしてもしできることなら、じぶんが抜き去ったひとたち、
後に残されたひとたちがそれをどんな風に感じているかを考えられる
ような、“後ろ向きのまなざし” もわずかにもち続けているなら、
なお魅力的だし、じぶん自身(学生自身)を知ることにもなる、
と思っているのだが、これはぼくの趣味の問題なんだろう。
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2013年08月25日

Common Mushrooms of the Northwest

mush.jpg
CのNさんのお土産。『北西部でよく見られるキノコ』。
「北西部」というのはアラスカや西カナダ、北西アメリカを指す。
色がきれいに出なかったけど、現物の本はもっときれい。

カナダから輸入されて日本で食べられるようになったマツタケは、
もともとカナダあたりでは名称がなかったらしく、
White Matsutake(日本産より白っぽいからね)になったりしている。

ずっとヒラタケの英語名称はOyster Mushroomだと思っていたけど、
これの写真をみて、やはり考え方を変えた方がよいのかなと思った。

キノコには個体差とか、発生地による性質の差があって、
この著者も、カナダでは明らかに有毒のものがヨーロッパでは
がんがん食べられているとか、カナダでは問題に
なっていないもの(Angel Wings、スギヒラタケ)が
日本では死者を出したりしているらしい、ということで
けっこう記述に困っている。そういう難しさはあるけど、
かなり最新の研究結果を反映していて、感心した。

ちなみに、Nさんがいちばん好きなキノコ(ハタケシメジ、
このごろは「丹波シメジ」という名称でも販売している)は、
この本では、Fried Chiken Mushroomでしたよ。
アメリカやカナダのひとの味覚はちょっとぼくには解せん。笑
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2013年08月24日

誰に話しかけるのか。

今日はオープンキャンパスだった。
いつもならここに告示をしておくはずなのに、
すっかり失念していた。しまった。

自己推薦書の書き方の講義に、おまごさん連れ、というか、
おまごさんに連れられたおばあさんが入ってこられた。
私も入っていいのですか?という顔をされたので、
どうぞどうぞと招き入れる。おまごさんと並んで、
うれしそうに教室のいちばん前の席に座られた。
授業を理解しようと、一生懸命聞いておられる。

ぼくは昨年からオープンキャンパスの講義では、
高校生に話しかけるのではなくて保護者のおとうさんか
おかあさんに話しかけるようにしているのだけど、
今日はそのおばあさんに向かって話しかけていた。
ぼくの話を家にもち帰ってもらって、おまごさんと
いろいろ話ができたら‥‥なんて思いつつ話したのだけど、
2回しか頷(うなず)いてもらえなかった。惨敗。

――
今日も、手伝ってくださったたくさんの方々、
とくに在学生や卒業生たちに御礼を。
ぼくはぐだぐだった。自己管理がなってないのである。
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2013年08月23日

sudare.jpg
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2013年08月22日

「批判」の意味

「批判的にみなければならない」と発言したら、
「批判的」というのを「否定的」や「非難的」の意味にとられて、
あわてて訂正することになった。「批判」とはもともと
「区別する」の意味なのに‥‥と一瞬思ったが、
国語辞典を見れば、なるほど、ほとんど「否定的」の
意味で説明してある。

ぼくが「批判」のもともとの意味を知ったのは、
大学のゼミで読んだテキストからだった。
「批判」と名のつく難解なテキストに四苦八苦する
有象無象(うぞうむぞう)をよそに、すらすらとテキストを
読みこなし得意気に解説するちょっと “哲学的な”
同級生がいて、ついには自分独自の解釈を図示するに及んだ。

あるとき、指導教授を訪ねた。進学するかどうかで迷っていた。
本題を切り出すことはできず、同級生のことを話して
お茶を濁そうとした。同級生への悪意を抱きつつ。
「あの解釈、おかしいですよね?」話の乗り半分に
頷いてもらえるかと思えば、指導教授は頑として
首を縦に振らず、歳若い学生の解釈の妥当性を認めた。
「あの解釈はな、おもしろいんや」。

相手が誰であろうと、認めるべきことは認め、
認めてはならないことは決して認めない
――カントの「批判」の意味を体感した瞬間だった。
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2013年08月21日

どうしようもないことも、ある。

運動会の競争で順位をつけない小学校がある
と聞いたことがある。詳しい事情は忘れたが、
順位はつけず、走った全員に参加賞を渡す
ということであった。足の遅い子が傷つかないように、
という配慮なのだろう。

学校がなにを学ぶ場であるのか、間違いなく言える
ほどの自信はないが、そのなかには、
努力して達成することの喜びだけでなく、
努力してもいかんともしようのないことの確認も
含まれているのではないか。どんなに勉強をしても
かなわない頭のいいのがいて、
どんなに練習をしてもかなわない足の速いのがいて、
どうしても負かされてしまう喧嘩の強いのがいること‥‥。

じぶんの力で、じぶんの努力でなんとかできることは
思いのほか多く、努力してもぎ取った果実の味は
格別に甘いにしても、じぶんの力ではどうしようもない
こともまたある。ときには負けることも甘受しなければならず、
そのこと自体は決して恥ずべきことではない。
生きるための工夫はそこからはじまるのだ。

町内の草刈に行った。ピチピチバッタがピチピチと
逃げ回っている。少年たちに手荒にいじりまわされ、
バッタは死んだ。「動きよらへんようになったで」。
少年たちは取り返しのつかないことをしたのだ、
もう誰もバッタを再び動かすことはできない――
そのようなことも、ある一定の時期に知って
おかねばならないのだろう、過度に傷つかない程度に。
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2013年08月20日

今日はなんの日?

今日も飲んでおりましたのじゃ。明日も大切な仕事があるのになぜ飲んだくれているのかと考えないでもないのですが、日々の仕事に大切でないものなどないので、そんな堅いことを言っていたら、飲む機会がなくなってしまうのです。今日はG長におごってもらったので、G長記念日といたします(すいません)。
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2013年08月19日

夏の幸せ

スイカの美味しい夏だった。今年はたくさんのスイカを食べた。
スイカを食べるときは、できればトマトやマクワウリ(わかりますか?)
といっしょに流水でコロコロして冷やしたものを食べたい。
もうその風景を見るだけで涼しい気分になれる。

そうやって十分に冷えたスイカにがぶっ!とかぶりついて、
口いっぱいに頬張る、これが夏の幸せなのだ。スプーンで
少しずつじわじわと‥‥なんてことでは幸せは半減する。
その辺りに飛び散らかすぐらい派手に食べるのがちょうどいい。
ぼくの祖母なんか、いつもスイカを種ごとがぶがぶと
怪獣のように食べていて、毎夏、気合いが入っていた。

それまで見向きもしなかったスイカを好きになったのは、
祖母がいなくなってからのような気がする。そういえば、
苦手だったトマトの丸かじりを美味しいと思えるようになったのも、
トマト好きの母がいなくなってからのことだった。
夏の幸せには、すでにいない人の顔が見え隠れする。
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2013年08月18日

明日のことは明日が責任を負う。

kumo.jpg
今日で盆休みは終わり。けっきょく、ひとつの課題に
盆休みすべてを費やしてしまったが、しかたない。
大切なことだったのだから。

待っていてくれていたつぎの課題たちを明日から。
今日はもう、さっさと眠るのだ。
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2013年08月17日

「守ってあげられなくて、ごめん。」

不条理な事件でひとの命が奪われるたびに、
この言葉が繰り返される。だが、たとえ細心の注意を払おうと、
命を守り切れるという保障など、どこにもないのだ。

それでも、言わずにおれない気持ちはわかる。
じぶんだけが死なずに生き永らえていること、生きているのが
あなたではなくこの私であること、そのこと自体が、
死者にたいする圧倒的なアドバンテージだからだ。

生きていればそれなりに辛いことがあり、
あるいは一寸先は闇と言ってよいのかもしれない。
だがそれにしても、生者にはなにごとかが起こる可能性がある。
一方、死者には一切の可能性がない。死者には一寸先さえないのだ。
この死者に対する “圧倒的な優越感” が、生き残った者を
蝕む呵責(survivor's guilt)の源になる。

未だ死なずにいる自らを際限なく責め立て、貶め続ける呵責の念は、
他方で、記憶のなかの死者を美化し、崇拝の対象とする。
膨れ上がった呵責の念がじぶん自身を破壊することのないよう、
彼岸や盂蘭盆会はあるのだろう。今年は誰も夢枕に出てこなかった。
それでよいのかもしれない。
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2013年08月16日

ときには所帯じみた文章も書くのだ、の巻

台所の流しのところに蟻が来て困っている。
甘いものだけに寄ってくるのかと思っていたら、昨日なんか、
うっかり落としておいた “カニかま” に集(たか)っていた。

なんか今日は所帯じみた文章でよいですなぁ。
ぼくはいつも家庭感がないと学生にやいやい言われているので、
たまにこういう記事を書くのは、なにやらいい気分なのだ。
だけど、学校で家庭感なんかどうやって出すのだ? 
授業のたびに「今朝はうちのワイフがさぁ‥‥」とか
「昨日焼いた上ミノが絶品でねぇ‥‥」
とか話すのか? やなこったい。

失礼しました。蟻の話でした。
ここ1ヶ月ほど蟻は台所に波状攻撃をしかけてきていて、
こっちも放置するわけにはいかないので、
殺生はイヤだなぁと思いつつ、始末していたのだ。
始末するたびに、先日来『進撃の巨人』を観はじめたぼくは、
もうこれは壁外調査に出てきた調査兵団を薙ぎ倒す巨人の
やっていることほとんど変わらんやろなと思うのである。
蟻からしたら、ぼくは規格外の超巨人なんだろう。
蟻を食べたりはしないから、“知性をもった巨人” だな。

なになに?「なにを言っているかわからない」って?
また話がずれました。蟻をどうするかでした。
昨日の記事でも書いたように、さすがにお盆とあって、
始末せずにすむ手がないかなぁと思っていたら、ありました。
台所を襲撃する蟻たちは、ぼくが爪先で台所をこつこつと叩くと、
あわてて逃げていくのです。聴覚でというより、
振動を感知するのでしょうな。

こつこつすると逃げはじめるのですが、
あわてて逃げると言っても小さな蟻。彼らからすれば
死にものぐるいのスピードで逃げているのでしょうが、
ぼくからすれば “撤退” に時間がかかるのです。
今日のお昼も、全員を見送るまで30分以上を費やしました。
で、そうやって遅い昼ご飯を食べたのでした。
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2013年08月15日

小さな戒め

semi01.jpg
幼いころ、お盆だけは虫を捕りに行ってはならない、と言われた。
日頃、言うことを聞かない近隣の腕白小僧たちもこのこの戒めは
守っていたようで、この時期に行けば、ライバルのいない森のなかで
クワガタやカブトムシは捕り放題だったけど、ぼくも、
決してこの時期には捕りに行こうとしなかった。

なぜ捕りに行かなかったのだろうか。
親の命令が怖かったから、というのではきっとなかった。
初夏のころからはじまる “虫捕り狂想曲” に疲れてしまって、
そろそろ飽きてしまう時期だったことがあっただろう。
お盆という非日常に、虫捕りに行く欲望がうせてしまったこともあった。
子ども心に、この時期ばかりは殺生(せっしょう)をしてはならない
ような雰囲気を感じていたのかな、といまになっては思う。

盆に虫を捕りに行ってはならないという理由が、
先祖の魂が小さな生きものに乗り移ってお盆に戻ってくるから、
だと知ったのは、ずいぶんあとになってからのことだった。

朝、新聞を取りにいったら、ポストにアブラゼミがとまっていた。
ちょっとだけつかまえようと手を伸ばしたら、
ジージーと飛んで行った。
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2013年08月14日

パティシエでも匠でもなく、神として。

cake.jpgバスの向かいに座るうら若き(死語か?)女性。カバンからなにかを取り出し、泡状のものを手のひらにとる。それを額と左右の頬と、あごと鼻の頭にのせる。ほとんど、生クリームがのったデコレーションケーキ状態。

ぼくの隣に座るおっさんたちは、ちらちらデコレーションケーキの方をみている。

ぼくはその生クリームがおかしくて仕方がないが、
うら若き “パティシエ” はおっさん連など眼中にないようで、
恥ずかしがるわけでもなく、5つの生クリームをつけたまま、
また得体の知れないアイテムをカバンから取り出す。

それがなんなのか、ぼくにはわからない。それを
まぶたの上に上手に塗りつけて、ハサミのようでハサミでない、
なんか知らんがパカパカしたものでまぶたをパカパカ挟んでいる。
(ちなみに、その作業中も生クリームはそのまま。)
なんか口元がくちゃくちゃしているなと思ったら、
その緻密な作業をガムを噛みながらやっている。ぼくは確信する。
それはまごうことなき匠(たくみ)の技なのだ。

なおもパカパカしたもので挟み続けると、
それまで一重でしかなかったまぶたが、二重になっている。
Creatio ex nihilo! と、ぼくは心のなかで叫ぶ。これは、
たんなる匠の仕事ではなく、神による「無からの創造」なのだ。

ちなみに、生クリームは最寄りの駅に着くまでそのままであった。
なんで生クリームをなんとかしたうえで次の作業に移らんのやろか。
そこには、ぼくにはわからない深い理由があるのだろう。
(こんな記事を20分かけて書いた日にはどっと疲れる。)
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2013年08月13日

逢魔が時

signal.jpg
学生は大変、という思いが年々強くなっている。
アルバイトは忙しいし、勉強もしないといけない。
下手に指導教授を選んでしまったら、
休みになってもろくろく遊ばせてもらえない。

とくに3年生の後半から4年生の時期はむずかしい。
もうすぐ、長く続いた学生という繭のなかでの生活が終わって、
外の世界に出て行かねばならないのだ。
就職活動は簡単ではないし、卒論もある。

学生たちは弱いじぶんと向き合わなければならない。
じぶんが弱くなった‥‥というわけじゃない。
これまでみないですんでいたじぶんの弱みが、
簡単でない状況のなかではっきりみえるように
なってきてしまった、ということなのだ。

わかり切った説教をされるぐらいなら、
ひとと会わずにすませたい。前になんか進みたくない。
失敗が怖い。できることなら逃げ出してしまいたい‥‥
ぼんやりとした不安が押し寄せてくる。

理性で不安を抑えることはできないから、
説得されてなんとかなるものでもない。
それでも、それ以外にはやることもなくて、
きっとなんとかなるよ、と伝え続けることになる。
ほんとうのことを言えば、健康で卒業してくれれば、
それ以上のことはないと思っている。
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2013年08月12日

どんぐり

今は少なくなったのかもしれませんが、年齢差のある子どもたちが
いっしょに遊ぶ場合、年少の子どもにハンデをつけたりしますよね。
たとえば、鬼ごっこをする場合、1年生は捕まっても鬼にしない、とか。
そういうのないですか。ぼくの郷里ではハンデをつけられた
子どもたちのことを「お茶漬け」と呼んでました。
どうして茶漬けなんて言い方になったのでしょうね。
ささっと食べられるものだからメインにはならない、
という意味でしょうか。

あるとき、ぼくの学生たちに、あなたちの郷里ではどう呼んでいた?
と聞いたことがあります。おどろいたのはそういうハンデという考え方
なんかなかった、というひとが多かったこと。
ハンデなしにどうやって下級生たちと遊んだのでしょうか。
あからさまにハンデというかたちはとらないで、
暗黙のうちにそれなりに手加減していたのかもしれません。

とてもいいと思ったのは、「どんぐり」と呼んでいたという学生がいたこと。
どんぐりってとってもいいと思いません?なにがよいのかは
うまく説明できないのですが。
posted by pilz at 22:28| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月11日

夏の一日

koudou01.jpg
早くにすませておけばよかったのに、ぎりぎりまで放置しておくものだから、
やっと盆休みに入ったというのに、原稿の締め切りに追われ、気が気でない。
今年こそはひそかに沖縄に行ったろかともくろんでいたのだが、
なさけなくも、今年もいつもと同じ夏なのである。

しかも今年は例年になく暑い。京都で39℃だなんて、
そんなことなら、32℃の沖縄で “避暑” ができたではないか。

「ぎりぎりになるまでしない、というのは小学校の夏休みの
課題以来なんにも変わっていない」とOさんが言っていたけど、
事務部長にできないことが、ぼくにできるわけがないではないか。

前倒しで課題をさばけるひとというのはどういうひとなんだろうかと
考えていたら、そうだ、高校生を対象にした高大連携の育成プログラムを
チューターとして手伝ってくれている学生たちがそうなのかもしれない。
前回、第一日目のプログラム日は大学のレポートの提出日だったので
「どうしたの?」と聞いたら、「早めに書いた」と答えたので、
ぼくはその答えに心底 “びびった” のだった。人間としての
格のちがいに気づいたのだ。(ちょっと大げさかもしれんけど。)

明日は、そのプログラムの第二日目。暑い日になりそうだけど、
高校生にとっても、大学生(院生を含む)にとっても
楽しい夏の一日にしたい。
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2013年08月10日

オレンジ色

orange.jpg
危なかった。「ブログを更新する」という考えを
しばらくのあいだ頭の中から消してしまっていた。

というわけで、苦し紛れの写真。
先日のOCで生まれてはじめてオレンジ色を着たときに
じぶんでじぶんの姿に驚いて記念に撮ったもの。
生きていれば、いろいろあるんだ。
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2013年08月09日

「井上雄彦氏作・屏風『親鸞』特別展示会」開催

いまの助教のような仕事をしていたときには、
けっこう『少年ジャンプ』を読んでいた。
『スラムダンク』というのが連載されていて、
バスケットのことはあまりわからないままに読んでいた。
絵がうまいというのと、若者の人間的成長を描くのが
ひじょうに巧みで、漫画にそういう言葉を使うの
かどうかはわからないけど、名著だと思った。

その後、同じ漫画家が『リアル』や『バガボンド』
(原作は吉川英治の『宮本武蔵』)を描いていた。
「バガボンド」というのは「漂泊者」という意味なんだけど、
武蔵の魂の漂白というか、挫折しながら成長してゆく
精神の成長の描き方が巧みで、すごいなぁと思った。

その漫画家、井上雄彦氏が描いた親鸞の屏風が
10月と11月に大学の図書館で展示されることになった。
企画立案はG君(新聞社のG君ではない!)。
こんなのがじぶんの大学までやってきてくれるなんて、
学生がうらやましい、というのが正直な気持ち。

詳しくはこちらを。

鈴木大拙が評価したように、宮本武蔵の晩年の思想には
禅思想に近いものがあって、『バガボンド』に出てくる
沢庵和尚なんかまさにそれなのだけど、親鸞は浄土思想だから、
そのちがいを、井上氏がどう描いたのかがとても楽しみ。

11月10日(日)には、この屏風に関する対談があります。
真宗学科の学生ががんばっているようです。
こちらも、よろしければお越しください。
posted by pilz at 20:50| 京都 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

「清沢満之生誕150周年記念シンポジウム」開催

大谷大学では、東京巣鴨に開校された大学が現在の地に
移されてちょうど百年目を迎える10月12日(土)に、
「赤レンガ記念イベント」の一企画として、
いくつかのイベントを準備しています。

↓クリックしてご覧下さい。
PDF-0005-1308081434.pdf

そうしたイベントのなかから、
部署が関係している、ふたつのイベントをご紹介します。

ひとつめは、「清沢満之生誕150周年記念シンポジウム」です。
テーマは「清沢満之―その精神(にんげん)にせまる―」。
清沢はとてつもない振り幅をもった波瀾万丈を生きたひとですが、
その清沢の、ひとりの人間としての魅力に迫りたいと思います。

パネリストは藤田正勝先生と安冨信哉先生。
コーディネーターは、ぼく。コーディネーターは頼りないのですが、
パネリストがとびっきり立派な方々なので、ご来聴ください。

明日は、もうひとつのイベントをご紹介します。
これは、ちょっとすごいイベントだと思う。
posted by pilz at 15:16| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月07日

重なり合いつつ移行する

omina02.jpg今日から暦の上では秋、なんてこった。バス停の前に黄色いオミナエシが咲いている。夏がすっかり終わって、秋らしくなってから咲く花かと思っていたが、そうではないらしい。オミナエシにはたくさんの虫が集まっていて、見ていてあきない。花粉がよいのだろうか、蜜がよいのだろうか。「どちらなのだい?」と聞いてみようか。

もくもくと湧き上がる入道雲の下、秋空でもないのに
赤トンボが群れをなして飛んでいる。ひとつのことがはじまり、
旺盛(おうせい)になって、やがて衰え尽きてから、
ようやく新しいことがはじまる。あることが0からはじまり、
100になって、またいつか0になって終わって、
ようやく別のものが0からはじまる――
こういう考え方になじみすぎているのだろうか。

たくさんだとこんがらがるから区切る。
たくさんが同時並行となれば骨が折れるから一本線にする。
そんな方向になれているから、逆に、たくさんのことに
同時並行的にかかわれることが一種の才能として尊敬されたりもする。
だけど、ぼくが考えている以上に、もともと物事は全体として
重なり合いつつ移行しているのかもしれない。
赤トンボが肩にとまった。
posted by pilz at 22:43| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

いつも前から歩いてくるひと

ときどき向こうから歩いてくるひとがいる。誰だか知らない。
脇目もふらず、まっすぐ前を向いてどうどうと、
ゆったりと歩いている。こちらに興味を示す様子はない。
決まって手ぶらだが、ときどき小さなウェストポーチらしきもの
をつけていることもある。毛むくじゃら系だが、
それなりに荒っぽくまとまっている。背丈は大きくない。

彼に最初に出会ったのは、ぼくが19歳のときで、
大学の構内でのことだった。ぼくは一目でその顔を覚えた。
なるほど大学とはこのような人間が闊歩するところなのだ、と思った。
あのときから彼の風貌はまったく変わらないままで、
ときどき忘れかけたころに前から歩いてくる。
いつも前から歩いてきてすれ違うばかりで、
後ろから来て抜かれたことは一度もない。
posted by pilz at 22:28| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月05日

あきらめさせる、ということ。

学校と言えばもっぱら学生を勇気づける場で、
教員も叱咤激励して学生を勇気づけることに専従する
スタッフのように考えているひともいるかもしれない。
だが少なくともぼくの場合、いったいどうすれば
上手にひとをあきらめるように仕向けることができるのか、
と頭を抱えることの方が多い。

可能性を信じなければならないことは百も承知だが、
そのひとのためにも周りのひとのためにも、現実と資質を見比べて
きっぱりあきらめてもらわざるをえない場合があるのだ。

勇気づけることがむずかしいのはもちろんだ。
じぶんがひとを勇気づけたことがあるかどうかは知らないが、
そのためには勇気づけようとする者と勇気づけられる者との
あいだに相応の信頼関係が必要なのだろう。

だが、考えるのだ。あきらめさせることは、
たとえ信頼関係があっても不可能なのではないか、と。
とすれば、あえて恨みを買うのがわが仕事ということになる。
posted by pilz at 23:17| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月04日

Big Valley

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posted by pilz at 23:06| 京都 ☁| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

「〜おこしやす谷大へ〜 おもしろ先生探してみようカード」

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二次元氏が載せるよ〜うに、と迫ってきたので、載せます。
明日のオープンキャンパスで準備されているプレゼントだそうです。
冊子のものもあるのですが、これはカード版。
教員のおもしろ自己紹介と、裏にはゼミの授業の紹介があります。

授業とか専攻内容だけではなくて、その “おもしろそうな人柄” から
先生に興味をもってもらおうという、谷大らしい “人間単語帳” です。
じつはぼくら教員もこれによって、これまで知らなかった同僚たちの
知られざる一面を知ることができました。おもしろいですよ。
地下鉄で一枚一枚、一人一人読み込んで、楽しんでください。^^
posted by pilz at 21:35| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする