2013年10月31日

ぼくぐらいの‥‥

今日は学生と卒業生からお菓子をいっぱいもらった。
ぼくぐらいのレベル(どういうレベルなんだ)になると、
椅子に座ってじっとしているだけで、四方八方から
キノコグッズがもたらされ、お菓子がもらえたり
するのである。困ったものである。

ただし、注意も必要である。
ぼくぐらいのグレード(だから、どういうグレードなのだ)
になると、「きゃーうれしー」とか、あからさまに
喜んではならない。それは相手の夢を壊すことなのである。
だから、一言、「うむ」とだけ低い声でつぶやいて、
ほんの5ミリほど顔が動く程度のかすかな頷きをする
にとどめねばならない。まぁ、いたしかたあるまい。
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2013年10月30日

再現不能

Kさん(文脈での読解を要す)に何度か、
「せんせい、はなごえです〜(ぐちゅぐちゅ〜←この部分イメージ)」
とか言われて、「そんなはずはないです」とか答えていたのだが、
正しかったのはKさんで、どうやら風邪をひいてしまったらしい。

よくよく考えると、ぼくはどれが自分の声なのか、わからない。
ときどき録音した声を聞くことがあるが、なんか変な声で、
自分の声とは思えない。録音した声というのは、自分が話している
ときに自分に聞こえる音とは伝わり方が異なるので、微妙にちがうのだ。
微妙にちがうと言っても、それは自分だけが感じるちがいで、
ぼく以外のひとにとっては、録音した声が聞こえているのだろう。

ぜんぜん関係ないけど、ぼくは自分の母や祖母の声をいまひとつ
思い出すことができない。あるときまで、数え切れないほどに
聞く機会があった声のはずなのに、ときどきまた聞いてみたくなって、
思い出そうとしても、その音をクリアに再現することができない。
なんでなんだろうね。これはぼくだけか。
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2013年10月29日

人に道を尋ねない

hikari.jpg
いつもなら早く着きすぎて時間つぶしに困るほどなのに、
珍しくせっぱつまって、目的地への道を人に尋ねてしまう。
道を聞いたなんて、もう何年ぶりのことだろうか‥‥と、
ため息をつく。人に道を尋ねるのがめっぽうキライなのだ。

そのくせ、道を尋ねられるのはキライじゃない、というか、
どちらかと言えば好きだったりする。○○への道を聞かれたり
なんかしたら、どう答えるのがいちばんわかりやすいだろうか?
‥‥あっ、あそこに止まった車はぼくに道を聞こうとしている
のだろうか?ドキドキ‥‥などと、要らぬ妄想をしながら
街を歩いていたりする。

どういうつもりでイヤなのか、はよくわからないけど、
人にものを頼むのがキライなのも同じ理由なのかもしれない。
人と仕事を手分けして、いくばくかの負担をお願いして‥‥
なんてことをする暇があるぐらいなら、さっさと一人っきり
で走り出している。そして、たいてい後悔する。
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2013年10月28日

売り場で恍惚の表情

一度に何人もの人が恍惚の表情をしているところなど、
めったに見られるものではない。そのめったに見られない
光景がいつ行っても見られる、ぼくのお気に入りの穴場が、
マッサージチェアの売り場だ。ぼくの知ってる百貨店では、
並べられた3台のチェアにいつもおっちゃんないし
おばちゃんが乗っかっていて、おしげも恥ずかしげもなく、
とろけるような恍惚の表情で寝入っている。

“恍惚の人たち” の顔ぶれは、あるていど一定している。
近所のおっちゃん、おばちゃんグループが、
開店時間から閉店時間まで、入れ替わり立ち代わり
寝っころがっているのだろう。ひょっとすると、開店時には、
あの正月のなんとか神社の一番乗り競争みたいに、
ものすごいダッシュをしてチェアを奪い合いする
おっちゃんとおばちゃんの熾烈な抗争が見られるのかもしれない。
リアル椅子取りゲームですな。

それにしても、あのチェアは売り物のはずで、
売り物の上に乗っかって快感をむさぼるとは、
恍惚の人たちはどういう神経をしているのだろうか。
自分が恍惚の表情をしていることでほかの買い物客が怖がって
近づけないかもしれない、という想像力は働かないのだろうか?
快楽の前では理性の想像力など無力なのだろう。

もっと不思議なのは、そうした占有行為を店員がとがめる
様子もないということだ。恍惚の人たちなどわれ関せず
という感じで店員は仕事をパタパタと続けている。
売り物に傷や汚れをつけられても気にならないのだろうか?
それとも、メーカーもこういう可能性を見越して販売店に
“試供品” をわたしているのかな。ぼくみたいに、
恍惚の人たちを見に来る変な人もいるんだし、
百貨店としては願ったり、かなったりか。
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2013年10月27日

秋の遠足

(須磨で遊んできたので。
特に深い思想はありません、念のため。)

須磨海浜水族園にて。
マゼランペンギンの散歩風景。
suma001.jpg


須磨海岸。煙草族たちは、
スモーキングエリアからダッシュで帰ってくるのです。
ええぞ、さすがぼくのゼミ生。
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波打ち際でなにかがないかと、探している。
suma004.jpg


そうすると、こういうのがいたりする。
キューセンという魚。
suma007.jpg


やっぱり載せた、申し訳なく。
suma005.jpg


明石海峡大橋に夕日が落ちる。
suma006.jpg

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2013年10月26日

藤袴

fujiba.jpg
不思議なほどに蝶を寄せる。
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2013年10月25日

冗談を言っていいときと悪いときがある。

今日は「人間教育プログラム」の打ち上げ。
お好み焼きと焼きそばと、ゲソの塩焼きを食べながら、
ご機嫌で飲んでおりました。

みんなの見解は、なにごとにも遊び心が必要ということ。
それでぼくは思ったのである。入試業務にも、
遊び心が必要であると。

そこでどうだろうか。配布する入試問題に、
「当たり」を入れておくというのは。
当たったひとは解答をはじめる前から合格なのである。
すいません、冗談がすぎました。許して下さい。
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2013年10月24日

リンゴ

戻ってきたら、ドアのところにリンゴの入った袋がかけてあった。
袋を部屋に持ち込むと、部屋中に爽やかな香りが漂った。
リンゴにこれほどの香りがあるとはちょっと驚きであった。
寝室に置けばよく眠れるという話を聞いたような気がするが、
本当なのかもしれない。

リンゴはあこがれだった。
「リンゴ」と聞いただけでほんの少し幸せな気分になれた。
関西に育ったぼくはリンゴが実った木を見たことがなかった。
このような美しい形のものが房なりに実ったさまを
いつか見たいものだと思っていた。

本物のリンゴが実っているさまを見るのが待ちきれなくて、
姫リンゴの苗木を買って欲しいとねだった。
2年目の秋になって、待ちに待った姫リンゴが実った。
ぼくは赤くて小さなリンゴをかじった。
それはさして甘いものでもなかったが、
たしかにリンゴの味がした。
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2013年10月23日

ほととぎす

hototo01.jpg

日の当たりにくい庭の一角を見れば、紫色があった。
ほととぎすが咲いているのだ。しゃがみ込めば、
日本の野花とは思えない色柄、姿形をしている。
自分が植えたものがようやく時を得て花を咲かせている
のに気づかないとは、無責任なことだと思う。

この夏、ほととぎすには一匹の毛虫(ルリタテハの幼虫)が
ついていて、そいつは見る見る間に一株のほととぎすの葉を
食べ尽くしてしまった。なんとかすることはできたが、
ぼくは一匹の毛虫を駆除するのが忍びなくて、
ほとどぎすが食べられるままにしたのだった。
ほととぎすを捨てて、虫をとったのだ。

毛虫は蝶となって飛び去り、葉無しとなったほととぎすは
まるでなにもなかったようにたくさんの花を咲かせていた。
自然のなかでは対立する価値が両立するのかもしれない。
ほととぎすにすれば、ルリタテハの幼虫が葉を食べ尽くす
ことぐらい織り込み済みなのだろう。織り込み済み――
ほととぎすにはできても、ぼくには容易なことではない。
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2013年10月22日

走馬燈

線路沿いに建つ家の屋根は舞い上がり落ちた鉄粉が
錆びて赤茶色になっていることが多い。小さなころは、
こういう赤茶色の屋根を見るのがいやだった。
電車からの景色を眺めるのは好きだったが、
そういう屋根からは目を背けていた。

どこであれ有刺鉄線が張りめぐらされたような様子は
いまでも好きになれない。忘れ去られた土地の一角に冷蔵庫や
テレビといった粗大ゴミが棄てられている光景も嫌いだ。
複雑な配管が剥き出しになった工場群のことなど考えたくもない。
「工場萌え」反対。高速道路や新幹線がひっきりなしに通る
高架の下も好きではない。こういった風景は、それを目にすることで
自分からなにものかを略奪していくように思える。

母方の墓参りに行く道の途中に、ちょうど、
このような風景の集合地帯のようなところがある。
この道を行かねば墓には着けないのでしぶしぶ通るが、
何度通ってもあまり気持ちのよいものではない。
だがややこしいことに、こんなマイナス要素たっぷりの
場所であっても、なにかしら、そこを通ることで
心を浮き立たせるものがあるのだ。
静めるというべきかもしれないが。

人はこの世界に別れを告げる際にさまざまな光景が
走馬燈のように走り行くのを見るというが、
そのときには、この道を歩く自分の姿を見ることだろう。
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2013年10月21日

見えない巻物

あんまりにも立派なことを書き続けると
いたたまれなくなってイヤになってしまうので
気をつけないといけないのだが、今日も
そんな風に聞こえるかもしれないことを書いてしまう。

一昨日の記事で、本では好んで書かれていないことを
探すと書いたが、本を読むように人を読むぼくは、
やはり、なにを言うかではなく、なにを言わないかを、
人と接するときに注意して聞くようにしている。
声なき声を聞きつけようとしている、と言ってもいい。

品のない言葉や相手を傷つけることを言わないようにする、
というのは当たり前のことだが、ひとにはそれぞれ
ポリシーがあって、宗教的なことについては話さない人、
政治的なことについては話さない人、
プライベートなことについては一切話さない人、
家族関係について話さない人。異性関係を話さない人。
特定の時期については話さない人、もっと詳細に言えば、
特定の言葉づかいを執拗に避けるひと‥‥
それはそれは、いろいろある。

人と話しながら、過去から現在に至る巻物の地図を
頭のなかで描いていく。一日一日、話すにつれて、
ジグソーパズルを埋めるように、その地図に
いろんな建物や人や出来事を書き入れていくのだ。
そうするとどうしてもピースを埋めることのできない、
ぽっかりと空いた空白の場所ができてくる。

ぼくはそれを見つめ、なぜそこに空白があるのかを考える。
これを考えるのは個人の趣味だから、求められでもしない限り、
考えたことについて人に話すことはない。
かくして、個研には研究書とともに、目には見えない
巻物がずらりと並ぶことになる。
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2013年10月20日

悪くない思い違い

daigaku07.jpg
高校生たちが大学見学会によくやって来る。
大学見学会には個人研究室の訪問が組み込まれていて、
その日も、はじめて足を踏み入れる空間に、
高校生たちは少し緊張しながら入ってきた。

どう見ても、勉強よりもスポーツが好き、
という感じのグループが入ってきて、ぼくは話かける。
「君ら、ぜんぜん勉強でけへんねんやろ。」
ぼくの失礼な言葉に、高校生たちは「でへへ」と笑っている。
もちろん、哲学書になんか、目もくれない。
「そんなに勉強でけへんかっても入れるかもしれんから、
いつか、また、この大学においでよ。」
やっぱり、高校生たちは「でへへ」と笑っている。

高校生たちを誘導していたUさんが伝えてくれた。
「あの子ら、先生の部屋を出てから、『こういうところ(個研)
からノーベル賞が生まれるのかなぁ』と言ってましたよ。」

それを聞いて、二人で爆笑してしまった。
そして、個研訪問って悪くないなぁ、としみじみ思った。
ぼくがノーベル賞をもらうことはないだろうから、
高校生が感じたことは事実とは合致しない。
事実ではないが、悪くない種類の思い違いなのだ。
きっと、高校生にとって。
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2013年10月19日

未使用語の索引

irogami.jpg
その本にはなにが書かれていたのか、
著者がとくに力を入れて書いたことはなんなのか。
それを探し出すのはもちろん大切なのだけど、
ときどき、書かれていないものを探す。

ふつうなら書かれてよいはずなのに、
書かれないでいたこと。なにも考えないでいれば、
いつのまにか近づいてしまうようなことのはずなのに、
あえて触れないままでおかれたことはなんなのか。
それを探そうとするのだ。

大切な言葉であれば巻末の索引に載っているが、
著者が慎重に使わないでおいた言葉は載っていない。
一度でさえも使うことを許さなかった言葉は載っていない。

ぼくは “未使用語の索引” をつくるのが好きで、
そこから見えてくる別の世界が好きだったりする。
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2013年10月18日

今日も

飲んでいましたのじゃ。鯖寿司。
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2013年10月17日

はらり

卒業生と話していると、「あのときは言わなかったのですが、
じつは○○だったのです」というフレーズを聞くことがときどきある。
ひとりの人間からなにかがはらりとほどけて落ちてくる
瞬間に立ち会えることの “役得” を噛みしめる瞬間でもあるし、
ひとがなにかを言葉にすることのむずかしさを感じる瞬間でもある。

聞く耳をもっていますよ、大丈夫ですよ、などとアピールしても、
なにかが熟さねば言葉は落ちてこない。なにかがはらりとほどけて
言葉になる瞬間がいつになるのか、言葉の主にもわからないのだ。
でも、時間のなかでいつか熟すと考えて待つ。
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2013年10月16日

無題

fence02.jpg
なにも考えたくない日もある。
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2013年10月15日

ほかほかのお布団が好き。

なにをしたらいいのかわからない、というのではない。
なにをやらねばならないかは大方わかっていて、
手を打てば得るものがたくさんあると知っているのに、
手をつけることができないでいる。

こういう悔しい思いを続けるのはイヤなので、
明日からなにかを変えてやろうかとも思うが、
なにを変えたらよいのかわからない。

以前、鷲田先生があまりの売れっ子ぶりに、
布団(ベッドだったかな)の上で眠ることを断念されていた、
と聞いたことがあるが、ぼくは売れっ子ではないし、
ほかほかのお布団がとってもとっても好きなので、
ぐっすり眠るのである。ぐっすり眠って、
どうしたらいいのか、明日、じっくり考えよう。
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2013年10月14日

キンモクセイの香り

先週ごろまで家の周りにはキンモクセイの品のある
香りが漂っていて、外出するのが楽しかった。

幼いころのぼくは車酔いがひどく、とくに、
キンモクセイの香りがする芳香剤(?)を置いている
車に弱かった。人工的に作られたキンモクセイの香りが
こもった車に乗ると、15分もしないうちに気分が悪くなった。

人工的なキンモクセイの香りと自然のキンモクセイ
はちがうのだと気づいて、自然のものを好きになるまでには、
ずいぶん時間がかかった。ひな鳥の「すりこみ」ではないが、
経験は最初のものがけっこうな重みをもっていて、判断が
いったん下されてしまうと、それを覆すには骨が折れる。

とある高校の先生が、「生徒たちが最初に会う
大学の先生がどんなひとで、どんな教え方をするか、
これはひじょうに大切なことだ」、と言っていた。
いまの大学教師は高校生にも話しかけ、教えないと
いけない立場なのだから、けっこう、こちらの身体に
ぶつかってくるような言葉だった。

それにしても、毎年、この次期になると校内を
包み込むキンモクセイの香りがほとんどしなかった。
開架直前の花を台風が散らしてしまったのか。
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2013年10月13日

「清沢満之生誕150周年記念シンポジウム」開催報告

昨日の「清沢満之生誕150周年記念シンポジウム」の様子
もうアップされていましたので、こちらでもご報告です。

昨日も書いたことですが、超ご多忙のなかご講演をいただいた
藤田先生と安冨先生、ご来場いただいた多くの方々、
準備と当日の運営に奔走してくだった事務のみなさんに、
心よりの感謝を申し上げます。

シンポジウムでの基調講演とパネルディスカッションの採録は、
『文藝春秋』のコラム12回分と、朝日新聞インタビュー記事とともに、
冊子化する予定です(ぼくがコラムを書ききったら、だけど)。

清沢満之とは誰なのか、
清沢満之がつくった大学は他の大学とどうちがうのか、
それを、宗門人でも学者でもない一般の方と、
この大学で学んでいる・学んだ学生諸君に知ってもらいたい、
というのが、ぼくが上のすべてのことをしてきた理由なのです。
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2013年10月12日

今日もまた

飲んでおりましたのじゃ。といっても、いつものように、電車を乗り過ごすほどにはぐだぐだではございません。

今日、シンポジウムに来てくださった方には、ひとりひとりお礼を言うことができなかったのですが、この場を借りて御礼を申し上げます。

明日はオープンキャンパス。いつもより一割増しぐらいで頑張ります、とか言ったりする。
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2013年10月11日

kinoko9.jpg
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2013年10月10日

DMとはなんであるのか。

dm04.png
それなりにけなげに生きようとしていると、周りからいろんなことを
教えてもらえる機会があるもので、写真は13日のオープンキャンパスと
11月の公募制推薦入試について告知するDMと呼ばれるもの、らしいです。

去年の4月にC職員から「DM打ちますから」と言われたとき、
「それはダイナマイトのことかえ?」と一瞬思ったぼくはアホでした。
世間知らずでした。その後、ほとんど学習しておりませんが、
能力的に無理なのです、どうぞ、ひらにお許し下さい。

先日、とある事柄について、
(とある紳士)「ぼくは能力がないから無理です。」
(とあるpilz)「こんなん、才能とか能力とかちゃいます。根性です。
        ど根性ガエルです(わかるひとにはわかる)。」
という昭和な会話を交わしたのは、ぼくでした。

はい、すいません。いつものように話がそれました。
で、ぼくがこのDMを載せたのは、まんなかあたりの青年の発言に
心動かされたからであります(要は、ぼくの講義をすすめてるのね)。        
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2013年10月09日

さかなクン礼賛

ぼくはケチだからあんまりひとをほめない。
とりわけ、若いひとはほめない。
ゆえに、学生たちよ、淡い期待を抱いてはいけない。

そんなぼくであるが、このひとはすごいなぁと思う
若い(いくつか知らないけど)ひとが、ひとりいる。
さかなクンだ。

魚学科の教員として、ぼくも魚についてはそれなりに
知っているつもりだけど、さかなクンがなんとかチャンピオン
という番組に出ていたときは、その知識量に衝撃を受けた。
名前や生態を知っているぐらいだろうと思うことで
なんとか衝撃を和らげようとしたけれど、
ちょっと区別できそうもない魚たちを
切り身の味覚で区別していったときの正確さを観て、
もうこらアカン、到底かなわない、と思ったのだ。

そうやって、あれよあれよという間に、
さかなクンは「さかなクン」という新たなキャラクター
となって、オリジナルな職種をつくりだしてしまった。
それは、これまでなかった職種なのだ。
ぼくはこういう、それまでなかった新しいものを
一代でつくりあげたひとを心から尊敬する。

どうでもいい話しだけど、
体操の白井選手が魚の帽子をかぶって、
ギョギョギョッとか言うと、さかなクンに見えると思う。
posted by pilz at 08:36| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

自分でよかった。

重い病気になった人が、「病気になったのが自分でよかった」
と発言していた。その言葉には動かされたのだけど、
自分が同じことを言えるのか?と問われれば、わからない。
風邪ぐらいなら、家族でなくて自分でよかったと思えるだろうが、
非常に重く辛い病気であれば、相手が家族でも、
自分でよかったと言える100パーセントの自信はない。

冒頭の人なら、「辛い病気だからこそ、
家族でなくて自分でよかったのだ」と言うのだろうが、
たぶん、ぼくは「自分でよかった」より、
「なぜ自分が?」ということにこだわって生きている。

相手が誰であろうと「自分でよかった」と言えるような人、
「なぜ自分が?」から「自分でよかった」への完全な転換ができている
人とは、どんな人なのだろう。宗教であれば、そのような人は
人であってすでに人でない、ということになるのだろうか。
完全とか100パーセントとかにこだわる必要なんて、
どこにもないんだけど。
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2013年10月07日

美化と醜化

monshi.jpg
3月まで個研があった校舎に行ったら、なんだか
ひどく古ぼけて見えた。おかしい、そこにいたときは、
きれいだとは思っていなかったにしても、
それなりに住みやすくて、気に入っていたのに‥‥

入り口、階段、天上‥‥どこに目を向けても
あらが見えて、ほんとうにここにいたときもこんなだった
のだろうかと、ちょっと考え込んでしまったのだが、
ぼくがいたときから、きっちりそんな風だったのだろう。
ここにいたときはなにかを守ろうとする意識が働いて、
現実を見ないようにしていたにちがいない。
要は、失望しないように “美化” していたのだ。

と思ったのだけど、事実は逆なのかもしれない。
新しく移った校舎を美化するために、前にいたここを
現実以上に “醜化” しているのかもしれない。

そんな風に考えながら古い校舎の4階から下りてきたら、
ここに個研がある若い先生とすれ違う。
「先生、疲れた顔をしてらっしゃいますね」と笑われた。
ひょっとすると、古ぼけて見えたのか?
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2013年10月06日

共有財産

3人でなにかを心配し続ける。
それがなにかなんて、口が裂けても言えない。
けっきょく、それは取り越し苦労だったことが
最後の最後に明らかになった。

●さんも言っていたけど、これでなんとか、
それなりに安心して、今日は眠ることができる。
なにかにハラハラし続けたことはムダだったわけだけど、
ゆえなく損なわれてはならない大切なものを共有できて
いるという事実は簡単に得られるものではないし、
意味のないことでもない。

ごめん、なにを言ってるかわからないよね。
posted by pilz at 21:31| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

オープンキャンパスと、シンポジウムと、親鸞屏風展示と、私

10月13日(日)のOCで使うパワーポイント資料を作る。
たった2枚のスライドを追加する作業に、朝から今までかかった。
たった2枚枚を追加するのに13時間かかったのだ。
13時間もあったら、ヨーロッパまで行けるわ!
あまりの仕事の遅さに頭に来て、周囲にあるものに
冷たく当たろうかとも思うが、思いとどまる。

で、なにをやっていたかというと、
なにも高尚なことをやっていたわけではなく、
ふだんふつうに使っている言葉づかいの整理をしていただけ。
あまりにも当たり前すぎて、考えもせずに受け入れていることを、
いったん距離を置いて、ばらばらにして、再構成して、
わかりやすく説明できるように表現を選んでいたのだ。
これってまぁ、おおかた哲学しているようなものだよね。

というわけで、10月13日はオープンキャンパスで、
ぼくが担当するのは、以下のものです。
いつもながら、じぶんが担当するものしか書かないのです。

■ 大学説明会 10:00〜
■ 小論文対策講義 13:40-14:20
■ 2教科(英語・国語)型対策講義 14:30-15:00

わたくしのすばらしき小論文講義はこれが今年最後です(たぶん)。
行かない高校生は人生を損していると思う(ウソをつきました)。

なお、前日の12日にはわたくしがコーディネーターつとめる
清沢満之のシンポジウムがございますし、12日と13日は、
井上雄彦氏が書いた親鸞屏風の展示があります。
どちらも、誰でも自由に参加できるものですから、
よろしければ、秋の日に大学にお越しください。
京都市地下鉄の北大路駅の上にございます。

というわけで、明日は入試、入試。
posted by pilz at 22:26| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月04日

3,500字

「人間・清沢満之」シリーズ第8回の原稿に目星がついた。
2月ごろ(だったかな?)から書きはじめて、
1863年に生まれて‥‥という話をしていたと思ったら、
もう清沢は35歳になっている。

その生涯を切り離してひとの思想を描くことはできないから、
生涯を極端に短い紙幅のなかでなんとか描こうとするが、
瞬間瞬間に無数の選択肢を選びながら生きている人間を
書き尽くすことなどとうていできるわけもなく、
ごく一部分を抜き出して満足するしかない。

当然ながら、そういう作業はじぶん好みの部分を
抜き出す作業になるから、ぎりぎりまで史料を駆使するにしても、
その史料をまとめあげる方針をつくるのはぼくであり、また、
どうしても最後に残る余白にペンを入れるのはぼくの思索である。
その意味で、ぼくはぼく好みの清沢像をつくりだしていることになる。
歴史的人物を描写する作家などは、そのひとを改めて
“生み出している”ということになるのだろう。

清沢の余命はあと5年に満たない。
そのたった5年ほどのあいだに、病身のまま大学学監になり、
精神主義運動を主導し、「我が信念」を書くのだ。
ぼくに残された紙幅は、あと3,500字。
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2013年10月03日

さようならを言うのは‥‥

udon.jpg
「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」
と言ったのは、フィリップ・マーロウだけど、
ぼくなら、「誰かを叱るのは、少しだけ死ぬことだ」と言いたい。
「誰かを叱るのは、自分の世界を損なうことだ」でもいいか。

たとえ相手にどんなに落ち度があったとしても、
(たいてい、ほとんど落ち度はないのだけど)
相手が一点の曇りもないような極悪人だとしても、
やっぱり、叱るのは少しだけ死ぬことで、
確実に自分の世界の何パーセントかを損なうことだ。
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2013年10月02日

幕の内男

今日の通勤電車はおかしくて仕方なかった。
前の座席に幕の内弁当をじつに幸せそうにバクバク
食べている青年がいて、それだけでも十分におかしかった
のだけども、その隣に座ったおばちゃんが恐ろしげな顔で
10秒おきぐらいにその青年をにらみつけていて、
いかにも度し難いといった表情で首を横に振っていたからだ。

おばちゃんの “サイン” に永遠に気づきそうもない
脳天気な青年と、怒りにうち震えた般若のような表情の
おばちゃんとの、あまりの落差がおかしかったのだ。

ぼくが隣にいたとしても、般若の面にはならないけど、
青年にはそれなりの違和感をもっただろう。
オカズを膝の上にコロコロされてもイヤだし、
マヨネーズをピュッピュッと飛ばされてもイヤだ。
でも、たぶんそれだけが理由じゃない。

コロコロとかピュッピュッがなくても、電車のなかで
幕の内弁当を食べるひとには違和感をもつと思うのだ。
隠そうとするわけでもなく、マナーでしばられるわけでもなく、
衆人環視のなかで欲望(食欲)丸出しのままでいられる
“幕の内男” のたくましさ(?)に、心のどこかで
ジェラシーを感じているのかもしれない。
posted by pilz at 23:18| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする