2013年11月30日

今日は

3、4年ゼミの秋レクリエーション(つまり遠足)と、コンパでありました。どこに行ったかとかそういうことは、そう簡単には言えません。すべては明日、明らかになるのです。いまは、幹事の奮闘により、楽しい一日になったとだけ申し上げておきまする。
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2013年11月29日

宿題

「アルバイトをしてもしても服を買うお金が足りない」
とこぼす学生に、「学生なんだから、服なんて清潔なものを着ておげは
いいんじゃない?」と言ったら、思い詰めたような顔をして
「かわいらしい服はいましか着られない」とポツリと答えた。

なんでもない一言だったけど、忘れられない言葉でもある。
ばかにならない体力を使って、予習のための時間を圧迫して、
苦労して入った大学の学業にかんして自分を窮地に追い込んでも
よいほどに、かわいらしい服を着ることが大切であるとする信念を
目の当たりにして、ぼくはまったくうろたえてしまったのだ。
いまでもときおりこの言葉の意味を考えようとするが、
まっすぐに考えようとするとすぐなにかが邪魔をする。
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2013年11月28日

シロクマ赤ちゃん詰め合わせ

白浜のアドベンチャーワールドでシロクマの赤ちゃんが生まれたようです。
以前、撮ったお兄さんかお姉さんシロクマの写真を。
ぼくはあんまりとくていのものを「かわいい」とは言わないのだけど、
これは超絶的にかわいかった。
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2013年11月27日

お星さま

夜の街を歩く。お父さんに肩車をしてもらって子どもが
星空を見上げている。澄み渡った空には星座を構成する
星たちが瞬いている。想像力とはまことにたくましいものだ。
わずかな点を線にし、線を絵にして、絵を人間的な物語にする。
闇を闇のままに、混沌を混沌のままにしておけない
なにものかが想像力を突き動かすのだろう。

それは不安なのだろうか?
それとも、もっと違うものなのだろうか?

「お父さん、お星さま、よう見えへん」。
得体の知れないものを “さまづけ” するのは趣味ではない。
だが、なんでもかんでも難癖をつけるほど堅物でもない。
そこのところの事情を説明するのが、むずかしい。
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2013年11月26日

今日も

飲んだわけではないにしても、日が変わってしまいそうなので書いておきますのじゃ。今日はシナノスィートをもらって、マサラドーサを食べたので、シナノスィートマサラドーサ記念日。わかりにくいことを書くな。そうだ、「進撃の巨人」を読んだ日でもある。
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2013年11月25日

似て非なるもの

前に書いた文芸賞奨励賞の表彰式があったので、そのことを。
前に書いたときには、なんとなくぼくのゼミ生たちが
文芸に不利のようなことを書いたけど、その訂正なのだ。

あのね、まちがえないに越したことはないけど、
まちがえたと思ったらさっさと訂正して、ごめんなさい、
と言えばよいのです。それでおおかた、許してもらえます。

で、表彰式のときにはじめて作品を見せてもらったのだけど、
けっこうな出来のものでした。どういうところがいいかというと、
まず視点というか、切り口がいいのだ。切り口が斬新で、
しかもその言語表現が適切なものだから、
ひとつの作品として、評価せざるをえない。

そして、授賞式のときにはそれぞれがコメントを言ったのだけど、
どういう考え方をもってその視点をとったのかという
目的意識がしっかりした普遍的(いまだけのものでなく、
ひとりだけのものでない)なもので、しかも、
それをみんなの前で適切に簡潔に説明するものだから、
隣人先生も「たのもしいなぁ」とほめていた。

要は、「偶然、珍しい視点になった」というのではなく、
「明確な目的をもって別の視点をとった」ということなのだ。
両者は似て非なるものだ、とぼくは思う。
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2013年11月24日

エリート意識

つくづく尻馬になど乗るものではない。
彼氏をなじる彼女の尻馬に乗って彼氏を非難したり、
親をあしざまに言う彼の尻馬に乗って親をなじったり
しようものなら、いつ彼氏や親に向けられていた刃(やいば)が
そのまま回れ右をして自分に向くかわかったものではない。
くわばらくわばらである。本人が否定してよいからといって
他人も否定してよいことにはならない。

とはいえ、ふらふらと尻馬に乗ってきた善良な当方に
刃を向けるひとの気持ちもわからないではない。
ぼくらは多かれ少なかれ、特定のものについては自分がいちばん
知識をもっており、不可侵の権限があるという“エリート意識”
をもっている。そういう意味で、彼女にすれば彼氏を批評する
のは彼氏の “世界的権威” である自分だけの特権なのであり、
彼にすれば彼の親を批評するのは彼の親の宇宙一の理解者である
彼にだけ許される行為なのだろう。

そんなことはどうでもよい。
ぼくが尻馬に乗ることに違和感をもつ理由はふたつ。
ひとつは、かんたんに尻馬に乗るということが、
自分の頭でものを考えようとしない思考の怠惰さを示しているから。
もうひとつは、相手の意見を尊重しているようでいて、
じつはまったく相手の人格を尊重していないからなのだ。
この際の「人格」の意味については、説明を拒否する。
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2013年11月23日

ふっつり

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何年か前にコンパで撮った写真を見ていたら、
とつぜん大学をやめてしまった学生が写っているのを見つけた。
コンパへ行く路で、いっしょに歩きながら、その学生は
家庭の事情について冗談っぽく話していた記憶がある。

そのときはそれほど深刻な話とも思わずに聞いていたが、
ひとしきり楽しく飲んだあと、ふっつりと、
それ以後、一度も学校に来なかったのであった。
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2013年11月22日

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2013年11月21日

門脇健『哲学入門 死ぬのは僕らだ!』

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同じ学科の先生から本をいただいたので、
その辺りのことを少し。

鷲田先生からは、これまでたくさんの著作をいただきましたが、
先日は『おとなの背中』と『パラレルな知性』を。
鷲田先生については、もう現代日本の “知の巨人” という感じで、
八面六臂のそのご活躍について、いまさら私がなにかを
言うまでもありません。

アマゾンの「鷲田清一ページ」を見ても、
48件の登録がありますが、これは著作の一部にすぎません。
どれかを紹介することはできませんので、本屋さんに行ってもらって、
お好みの一冊を探し出していただきたく思います。
きっと、どの本を選ばれても、読みはじめると、
こちらの思考を刺激、ときに挑発してくるような言葉に出会い、
考えはじめると、つぎのページをめくることができなくなる‥‥
なんてことになってしまうでしょう。

門脇健先生からは、『哲学入門 死ぬのは僕らだ!』を。
本を読んだ門脇ファンたちが「門脇先生の授業の補講のようだ」
と言っておりましたが、“門脇ワールド” というか、
“The KADOWAKI” といった感じの本です。

なになに、表現がわかりにくい、って?そうですなぁ。
門脇先生を3時間ほどコトコトと煮込んで、その後、
先生本体を取り出して、残っただし汁をさらに2時間
煮詰めると、この本になります‥‥よけいわからない?

この本を書かれるきっかけになったのは、ぼくが
管理人をしている我が哲学科の共有ブログ
「哲学科教員ブログ」であったようです。
本には、ブログで見たことのある文章がたくさん登場します。

「哲学科教員ブログ」のはじめのころから
門脇先生の文章を見ていますが、50歳をすぎて、
こんなに文章がうまくなっていくひとがいるのだな‥‥
というのが、ぼくのいつわらざる感想なのでした。
例えばこれは、そのブログのいちばん新しい記事なのですが、
おもしろいですよ。ちなみに、「たぬき」先生による
哲学エッセイの白眉はこれです。

「哲学科教員ブログ」がはじまって8年ほど、
そのあいだになんと1500近い記事を書いておられるのが、
CKPこと、門脇先生なのですが、すさまじい継続力です。
こういう種類の、さまざまな継続のなかで引き出しを増やし続け、
文章力も磨かれたのでしょう。言うは易しですが、
簡単にできることではないと思います。
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2013年11月20日

新世界

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ごちゃごちゃ加減ががまんならなかった。
不潔な側溝に目を背けたくなった。
作り置きした料理をケースからとって食べる
父がいやだった。他人が握った寿司が好きではなかった。
真っ昼間から博打に興じる人たちに吐き気をもよおした。
異形の人たちに恐怖を感じた。すれ違う人にぶつからないよう、
身を縮めるようにして歩いた。

そんな街に行きたくなって、いてもたっても
いられなくなった。じゃんじゃん横町は心なしか
さびれていたが、通天閣に通じる通りは、
あの頃よりも華やかになっている。たこ焼きを食べ、
串カツを食べ、通天閣に登って街を見下ろした。
ありんこのような人たちを見ながら、なぜまた来たくなったのか、
なぜいまこの街に心ひかれるのか‥‥と考えていた。
楽しいのだ。目に入るものすべてが新鮮で、
わくわくさせるのだ。ぼくはごちゃごちゃした街を撮った。

インドもそうだった。帰ってすぐは、
あんなごちゃごちゃして油断ならないところ、
二度と行くもんかと思ったが、いまではすっかり
懐かしくなっている。時が感情を濾過してくれたのだろう、
その濾過はときにぼくを苦しめもするけど‥‥

といっても、時間という物がぼくの外にあるわけではない。
それはぼくの内側にあって、きっとぼくの一部分を
占めているものなのだ。だから、ぼくは自分で自分を、
なかなか地道によく頑張っておる、えらいぞ、
立派だ、と褒めてやる。
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2013年11月19日

無題

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2013年11月18日

リンゴの街

今日は出張。2人に運転してもらってぼくは車中の人でありました。リンゴがなる街で、美味しいリンゴをいただいたので、今日はリンゴ記念日となりました。ありがとうございます。明日、皆でいただきます。
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2013年11月17日

2013年度 大谷大学教育後援会 文芸奨励賞 入選者発表

ぼくのゼミから文芸奨励賞に入賞者が出るのは、
毎年の恒例で、すでに書くまでもないことなのですが、
他のゼミのことをほめて自分のゼミをほめないのも
いけないので、書いておきます。

今年は入賞者が3人でした。3人、おめでとう。
じつを言うと、5人を予定していましたので、
やや不満もあるのですが、よしとしましょう。

で、なぜ、ぼくのゼミから毎年入賞者が出るのか
不思議に思う方がおられるでしょう。なかには、
文芸奨励賞のなかにぼくのゼミに優位な仕組みがあるのか?
と勘ぐられる方もおられるかもしれませんが、
それはちがいます。ぼくのゼミの学生には理路整然と考え、
理路整然と表現するように指導していますから、
ぼくのゼミであれば文芸に優位ということはないのです。
あまりに論理性が立った文章は文芸には向きません。

とすれば、なぜ結果が出るのか?
答えは簡単。ぼくがゼミまで応募用紙を持って行って、
一人ずつに配って、やれ書け、それ書け、必ず書け、
とうるさくけしかけているからなのです。

なになに?そうやってけしかけることの狙いはなに、って?
「やってみれば、花咲くこともある」の実感。
やってもみないで咲く花なんか、あるものか。
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尋源館竣工百周年記念作品「百 One Hundred - The Shades of Jingen-kan」



大学の尋源館が建てられて100年を記念して、
とあるゼミの学生たちが中心になって
メイキングされたものです。

一度ごらんください。
尋源館を中心にして、大学の雰囲気が
よくわかると思います。

伴先生の指導によるところ大なのでしょうが、
人文情報学科の松川ゼミはがんばっているなぁと、
いつも感心させられます。
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2013年11月16日

ときどき無性に旅に出たくなる。

ときどき無性に旅に出たくなることがあります。
ひとりで行きたいと思うこともあるし、
誰かと行きたいと思うこともあります。
ここに行くならあの人と行きたいなぁとか、
あそこに行くならあの人と行けたらいいなぁなどと、
ぼんやり考えるのも楽しいものです。

いっしょに旅に行きたいなぁと思う人は、
当たり前だけど、自分の好きな人なのだろうなぁと思います。
(恋愛の話をしているわけではないので、念のため。)

好きな人となにかを共有したいと思っているのでしょう。
それは、きらめく星空であったり、きめ細やかな砂浜であったり、
そびえ立つ山並みであったりします。景色だけではないのでしょう。
波照間島、南大東島、与那国島‥‥

そういう景色を感じている “素の自分” を相手と共有したい、
という思いもあるはずです。“旅に出る” とは、
常日頃まとわりついているものを切り離して、
いつもとは違う背景のなかで浮かび上がって
くる自分を見つめ直す機会でもあるのですから。
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2013年11月15日

夜が長くなって。

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2013年11月14日

秋、学生が学校に来ない理由

秋が深まるにつれて、学生が休みがちになってきた。
こちとら、学生がいてナンボの身の上としては、
こういう事態はよろしくない。そこで、
学生がこない理由を以下に、トンデモ哲学的に
考察してみることにした。ヒマだね。

@学園祭があったから。
学園祭は、「学校に対する帰属意識をもっている人」と、
「学校に対する距離感をもっている人」を残忍に振り分ける
モノサシにもなるのだ。学園祭を楽しめる人は、
多かれ少なかれ学校に対する帰属意識をもっている人だし
(さらに細かく言うと、帰属意識の濃淡に応じて、
学園祭の運営にかかわる人と、学園祭を見に来るだけの人
との区別がある)、「学園祭?フンッ、誰が!」という
感じで参加しようとしない人は、学校自体に対する距離感・
嫌悪感をもっている人なのだ。学園祭は、学校自体の
象徴でもある。距離感をもっている人は、
学園祭の後、ますます学校に近づかなくなる。

A木の葉がヒラヒラ散っているから。
繊細な心の持ち主のなかには、この季節が運んでくる
そこはかとない喪失感に影響を受け、
生きるエネルギーが低下する人もいるかもしれない。

Bクリスマスが近いから。クリスマスの準備に忙しくて、
勉強どころではないのだ。勉強よりも恋なのですね。

C担当教員が嫌いになってきたから。
決してこのようなことはないと思うので、次。

D前期の経験を踏まえて、ダイガクというのが、
ちょっとやそっと休んでも大丈夫なところだと
わかってきたから。実際その通りなので、実に痛い
ところをついている。そのぐらい要領が良くないと、
世の中、わたっていけないということは言える。

E朝寒くて起きられないから。
たまに「低血圧で起きられませんでした」なんて
真顔で言う学生がいる。低血圧と朝が弱いことの
因果関係が学問的に説明されているのかどうか知らないが、
それを聞いた瞬間、こちらの血圧が上がっている
ことは間違いない。

どれか正しいものがあるのでしょうか?
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2013年11月13日

これからも牛脂注入肉をじゅーと焼いて、美味しく食べるのだ。

食品偽装の話があちこちで聞かれるようになって、
牛脂を注入してしてつくった肉がそうでない肉として
売られていたとかなんとか言っている。

表現がむずかしくって困るのだけど、
作った肉をそのままの肉であるかのように言って
商売をしてはいけないよね。

けど、こういうときにぼくが心配するのは、
牛脂注入肉自体がダメだと思われはしないか、
ということ。ぼくが心配しなければならない筋合い
でもないのだけど、こういうのを作っている会社自体が
いわれもない不当な扱いをされはしないか、ということ。

問題を指摘するとか、あらさがしをするというのは、
けっこう簡単にできることのように思えるので、
無責任にやってしまって、特殊な事例を普遍的な事例と
考えたり、部分の事例を全体の事例としてしまったり‥‥
ずさんな判断をする場合がほんとによくある。
注意しているつもりなのだけど、ぼくも、
学生相手にこれをやってしまう場合がある。

とりわけ、「合成」とか「形成」とか、
「注入」とかいう語には、「偽物」という “悪玉” の
バイアスが入ってしまうような気がする。

だけど、悪いのは牛脂注入肉をそうじゃない肉として扱う
ことだったり、その脂肪が怪しい脂肪だったりする
事例であって、牛脂注入肉自体が悪いわけでも、ましてや、
牛脂注入肉を製造しているメーカーが悪いわけでもない。
まぁ言ってみれば当たり前のことなんだけど。

だから、ぼくはこれからも牛脂注入肉をじゅーと焼いて、
美味しく食べるのだ(だから、どおってことはないけど)。
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2013年11月12日

校了

「人間・清沢満之シリーズ」第9号を校了する。
タイトルは「浄土」だったが、書いた状況は地獄だった。
這うようにしてたどり着いた‥‥というのが、
いつわらざる今の気持ち。

先日、とある方から、「いやぁせんせいは、
さくさくコラム書いておられますなぁ」と言われて、
そういう風に見えるのか、と愕然とした。
命を削っている‥‥とまでは言わないにしても、
やっぱり、なにかをギリギリ削りながら書いているのだ
と、どこかに向かって叫びたくなる。

ただ、それはぼくがなにか特別に立派なことをしている、
ということではなく、「わかりやすい文章を書こうとする」
というのは、いつもこういうタイプの作業なのだろう。
こと、凡人にとっては。
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2013年11月11日

不在

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今日は休みます。
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2013年11月10日

すべてを捨てる

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珍しくアッシジを扱った番組があったので観た。
アッシジは、アッシジのフランチェスコの住んだ街。
誰も信じないだろうが、フランチェスコは
ぼくが敬愛するひとのひとり。

裕福な家庭に生まれ放蕩を尽くした彼は、あるとき、
すべてを捨てるという決断をする。イエスの生き方に
ならおうとしたのだ。すべてを捨てて、「小さき者」に
なることを彼は求める。我が物を捨て、貧しさのなかに
生きることによってようやくひとを愛することもできる
と彼は考え、生涯それを実行した。

だが、ときどきこうも考える。貧しい家庭に生まれたなら
フランチェスコは聖人になっただろうか。
貧しいなかで苦労して得たわずかのものであるなら、
彼は捨てることができただろうかと。「金持ちが神の国に
入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。
イエスはこれを比喩的な意味も含めて言ったのだろうが、
貧困に生まれた者が捨てることは金持ちが捨てること
よりもはるかにむずかしいと思うのだ。

金銭にせよ、名誉にせよ、地位にせよ、愛情にせよ、
一度得たのであるなら、生まれながらにしてもっていた
のであるなら、たとえ捨てても「一度は得たことがある」
という気持ちが残る。だから捨てやすいのだ。
だが、一度も満足には得たことのない(と感じている、
そう思い込んでいる)者が手のひらに握りしめたわずかのもの
を捨てることができるのだろうか。せめてそれを死守しよう
とするのではないか。それがなんであろうと。

フランチェスコは「小さき者」になることを求めるが、
手中にあるわずかの物さえ捨てられない者、
「小さき者」にはなれないと苦悩する〈より小さき者〉の立場に、
ぼく自身はむしろ近い気がする。
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2013年11月09日

器(うつわ)

待てない。待てないのである。何事も鷹揚(おうよう)に
構えておればよいものを、それができない。
やるべきこと一覧表のチェックリストに“レ点” を打つ
のがこの上ない喜びだったりするぐらいだから、
よほどのせっかちなのだ。

せっかちだと言うのは、じつは大切なことを
隠しているのかもしれない、と思う。
せっかちの理由はわかっている。器が小さいのだ。
「そんな些細なこと、いいよ」とは言えずに、
細かなことの因果関係を、おもちゃにじゃれる子犬のように
飽きることなく追っかけ続けようとする物心ついた
ころからの性(さが)は、いまさらもう、どうしようもない。

待つことにたくさんのよいことがあるのは知っている。
なかでも、待つことによって時間を与え、
時間を与えることによって相手が考え、
なにかをする可能性となることが大切だと思う。
この意味で、さきに言った器とは、自分の可能性ではなく、
“相手の可能性を容れる器” の意味なのだ。
ややこしい言い方をすれば、そうした器自体が
自分の可能性になる。
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2013年11月08日

コミュニケーション

前に「未使用語の索引」というのを書いたが、
ぼく自身が使わないようにしている言葉に
「コミュニケーション」という言葉がある。

あまりにも手垢がつきすぎているわりに、
意味がわからない、ということもあるが、きっと
それ以外の理由もあって、使おうとしはしない。

コミュニケーションというのは、
「結びつける」とか「つながりをつける」とかいう
意味の言葉を語源としていると思う。
そして、ひととひとを結びつけるというのは、
コミュニティーをつくっていることでもあるから、
コミュニケーション能力と言えば、
集団を作る能力でもあるのだろう。

だけど、言葉巧みにひとを結びつけるのに最も長じている
のは詐欺師なのではないかと、ときどき思う。
こういうひとたちは上手に集団をつくりあげて、
それはそれは見事に集団の構成員から利益を得る。

大切なのは目的が適切なコミュニケーションであって、
目的の薄暗いコミュニケーション能力ほどやっかいな
ものはないと思う。で、自分ではコミュニケーション能力
はなくても崇高な目的をもっているはずだ、
と心秘かに思っているのだが、その保証はない。
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2013年11月07日

観念

mudai.jpg
レントゲン写真に白く映るものにスケールが当てられた。
‥‥(しばらく無言)‥‥
「観念されましたか?」
「観念しました。」

「観念」は仏教語に由来するのだろうけど、
その詳しい意味を特定できるほど、ぼくは仏教に詳しくない。
詳しくないが、なんとなく、じぶんではなく、
じぶんを支える声の言うとおりにしようと思った。
じぶんひとりではなにもできないのだ。
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2013年11月06日

無題

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「この家は、我等の此の世に於ける浄土なりき」
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2013年11月05日

犯罪者の顔写真が好き。

犯罪者の顔写真を見るのが好きだ。放っておけばいつまでも見ている。
ぼくには若干の霊能力があるので、捜査に協力しようとしているのだ‥‥
というのは真っ赤なウソで、「なるほど、これなら人を傷つけそうだ。
この目は普通じゃないもんな」などと一人納得している。
昔の友人に似ているのを見つけて、「そう言えば、あやつは
人をだますのがうまかった」などと思い出してもいる。

少なくても自分には似ていない。これが何より大切なことだ。
違う世界の人たちであることを確認して、
自分が善人であると安心しているのだろう。
posted by pilz at 23:16| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

尋源館ライトアップ

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これまでここで何度か名前を出した尋源館が
ライトアップされています。そのうわさを最初に聞いたとき、
あまり期待しなかったのですが、実際に見ると
ずいぶんと美しいもので、驚きました。

10日までライトアップされていますので、
一度、近隣の方にはおこしいただき、ご覧いただきいと思います。
卒業生の方は、9日にホームカミングデーがありますので、
記念講演会井上雄彦氏による親鸞屏風特別展示会
とあわせて、おこしください。

井上雄彦氏による屏風は、HP上の写真は左隻が映っているのですが、
ぼくがすごいなと思ったのは右隻部分で、そこには、
親鸞とともに多くの民衆の姿が描かれています。
10日(←訂正しました、汗)には、「対談〜屏風『親鸞』を語り合おう!」
があるので、ぼくはこれもきかせてもらうつもりです。真宗学科の学生が、
井上氏の屏風をどう読み解くか、それが楽しみなのです。

8日から大学は学園祭でもあります。お祭り続きですね。

この記事にはライトアップされた尋源館の様子を載せようと
思っていたのですが、カメラの設定をミスっていて、
うまく撮れていなかったのでした‥‥
(写真はライトアップ風景ではありません。)
posted by pilz at 21:07| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月03日

飲み会ではないにしても

飲み会ではないにしても、日が変わってしまうので、書いておくのですじゃ。今日も、いつもの席でNNのコーナリングの様子を見ていたのでした。明日は休みで、バラ色。
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2013年11月02日

「おもしろい」の憂鬱

なにがイヤかといって、1回授業を受けただけで
ぼくの授業を「おもしろい」やらなんやらとほめてくれる
学生ほど憂鬱なものはない。「おもしろかった」と、
1回目の授業が終わったあとに話しかけてくる人ほど、
ぼくを複雑な思いにさせるものはない。

こういう学生は、ほぼ「必ず」と言っていいほど、
3度目の授業には来るが、4度目の授業は居眠りをはじめて、
5度目の授業からは欠席するというようなことになるからだ。
そして欠席をとがめられて、2年ほどしたら、すっかり
手のひらを返して、“アンチpilz” になっている。

学生というのは年々タイプが変わっていって、
いちがいには言えないことが多いのだけど、
ぼくが教員になって以来、このタイプのひとは、
確実に一定数いて、いなくなることはない。

ちなみに、ぼくを好む学生は極めて少数なのだが、
そういう数少ない学生は、必ずといってほど、
少しずつぼくを知り、少しずつぼくを認めるようになる。

‥‥と書いていて、わかった。
たぶんぼくは、内心、人間みたいな複雑なもの、
そんな簡単にわかるわけないじゃないか、バ〜カ
と思っているものだから、すぐ飛びついて好きになったり、
絶賛を繰り返したりするひとが苦手で、そういうひとには、
よ〜く冷えた「近寄らないでね」光線を放出しているのだろう。
あんまりほめられたことじゃない。
posted by pilz at 22:49| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする