2014年08月31日

「人文系女子のすゝめ」

大学で発行された冊子が紹介されていたので、ここでも。
http://shingaku.mynavi.jp/cnt/ic/161/

とってもいいと思っているので、なにか気のきいたコメントをしようと
思いましたが、とんでもなくセンスのないコメントをしそうなので、
きっぱり黙っておきます。(´_`。)
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2014年08月30日

旅人

AO入試のグループディスカッションを前に緊張をほぐすため、
今年も幼児教育保育科は手遊びをみんなでやっていた。
キャベツが「キャー」で、しいたけは「シー」なのである。
受験生たちと先生が「キャー」と楽しそうにやっている。
そして恐ろしいことに、OさんとHさんまでやっている。
そう、すでに部課長が外堀を埋めているのである。

YさんとMさんに「C長もするように」と迫られるが、
あまりの恐怖に、C長にもかかわらず、審査会場から逃走する。
決して、しいたけが「シー」であることに怒ったわけではない。
いくらぼくが菌類好きだからといって、それぐらいのことで
怒るほど良識がないわけではない。

そうではなく、ただただ「キャベツでキャー」とか言うのが、
恥ずかしいだけなのである。それで体をくねったりするのが怖いだけ
なのである。もし、無理矢理にぼくに「キャー」でもやらせよう
ものなら、ぶくぶく泡を吹いて倒れると思う。そしてそれっきり、
二度とは大学には戻って来ずに、放浪の旅人になると思う。
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2014年08月29日

いらぬ負担

ひとと話すのが好きで、しかもふだん話すことのない高校生と話すとあって、
いつもオープンキャンパスではテンションがあがって困る。といっても、
学科相談で相談を受ける学生とは、その後なんねんもいっしょに
勉強していく場合があるので、慎重に対応することにしている。

気をつけてはいるのだが、そんなハイテンションのせいか、
一度、失敗をやらかしたことがある。ある年、高校生と長く話し込んだ
ぼくは、その学生が自分の大学の哲学科を受け、入学するにちがいないと
思い込んでしまった。そして、あろうことに「入学後に返してくれればいい」と、
哲学の入門書を貸してしまった。

けっきょく、その名も知らぬ高校生とは二度と会うことはなく、
もちろん本も戻ってこなかった。本など惜しくはないが、自分の思慮のなさで
高校生にいらぬ負担をかけたのではないかと、いまでも悔やまれる。
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2014年08月28日

貨物列車

seta.jpg引越業者に、このごろは電車では運ばないのですかと聞いたら、責任問題があるとかで、ほとんど使わないらしい。どういう意味の責任なのだろうか。

ときどき京都駅などで貨物列車が通るのを見るが、昔のようにいったい何両あるのかと思うような長いものはない。来たと思ったら、すぐに最後の車両が通りすぎてしまう。貨物を乗せていない空の車両も多くて、以前とは隔世の感がする。物資の運送の中心は電車ではなくてトラックになったのだろう。母の実家のすぐそばの瀬田川から、ガタンゴトンと陸橋を渡っていく貨物車両がいつまでも続くのを見るのが好きだった。

いまでも瀬田川に行くことがあると、長い貨物列車が来ないかと鉄橋の方を見る。
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2014年08月27日

緻密な計算

出張の際、高速バスのなかでなんとか準備ができないかと、考えはじめる。
コンセントがなさそうなので、パソコンでも使えるモバイルバッテリーを
アマゾンで探しはじめる。高速バスの乗車時間を確認して、
パワポのスライドが何枚作れるかを計算しはじめている。

そんな計算をしたり、アマゾンで買い物をする時間があるぐらいなら、
その時間にこそ準備をしたらいいのだが、心のどこかで、後回しにできることなら、
無理して今する必要はないと思っているアホな自分がいる。そうして、某日の
高速バスでは、極度の緊張感のなかで、全身総毛立つ恐怖の時間を過ごすことになる。

だけど、こうも考える。ひょっとするとぼくは、今無理してがんばるくらいなら、
どこにも逃げ場がなくて超絶的にがんばるしかない直前の時間に準備をした方が
はるかに効率がよい、と計算しているのではないか。その意味では、
ぼくはなかなかに計算高いのだ。そういうわけで、もう寝る。
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2014年08月26日

問いを投げかけてくるもの

問いを投げかけてくるものがあると思う。ぼくにとっては、
例えば(ぼくにとっての)名著がそういうものだ。読み終わったあとも、
ぼくになにかを問いかけてきて、すでに読み終えたはずなのに、
なにかよくわからないものがぼくをとっつかまえてしまって、
問いを投げかけ、迫ってくる。考えよ、答えよと。

ぼくが名著と認める本のなかには、ひょっとするとこの種の問いかけ
を生涯にわたって投げてくるのではないかと思えるようなものもあって、
その意味で、名著との出会いは “危険” で、読書なんて危なっかしいもの、
おちおちしてはおられぬ、のである。

ぼくにとっての映画の名作のいくつかも、そのようなものだ。
エンドロールのときに、そして、映画館を出たあとでさえも、
問いを投げかけてきて、おざなりな返答を許さない。

尊敬するひと、場合によっては、師と呼べるひとたちもそうだ。
ことあるごとに頭に浮かんできて、「それでよいのですか?」と問ってくる。
それでぼくは行為の選択肢を前にして、逡巡することになるのだ。

名著でも名作でも師でもないが、大学もまたそのようなものではないか。
「あなたはこの大学を卒業したものとして、いまなにをするつもりですか?」
「どのようにして卒業生としての責任を負うのですか?」と尋ねてくる。
もしそのようにして答えを求めてこない大学であるなら、そのひとは、
その大学を卒業してはいないのだ、と言ったら暴言だろうか。
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2014年08月25日

自分でよかった。

とても重い病気になった人が、「病気になったのが自分でよかった」
と発言していた。その言葉には動かされたのだけど、自分が同じことを
言えるのか?と問われれば、わからない。風邪ぐらいなら自分でよかった
と思えるだろうが、非常に重く辛い病気であれば、相手が大切な人でも、
自分でよかったと言える100パーセントの自信はない。

冒頭の人なら、「辛い病気だからこそ、大切な人でなく自分でよかったのだ」
と言うのだろうが、たぶん、ぼくは「自分でよかった」より、
「なぜ自分が?」ということにこだわって生きている。

相手が誰であろうと「自分でよかった」と言えるような人、
「なぜ自分が?」から「自分でよかった」への完全な転換ができている人とは、
どんな人なのだろう。
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2014年08月24日

哲学科で学ぶ −「哲学」って何だろう?

いきなりCKP先生のような題でしたが、今日もオープンキャンパスであります。
今日はCKPせんせの模擬授業があるし、大谷カフェもありますゆえ、
哲学科デーになるということになります(勝手に決めるな)。

哲学エッセイ集「凸凹本」の紹介がHPでされていましたので、
お知らせしておきます。


ここでだけちょっとネタばらしをしておくと(何回か尋ねられたので)、
エッセイのなかで一回だけ、ある職員さんのことが出てきますが、
それは稲垣さんのことですよ。内輪ネタかな。
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2014年08月23日

お祭り

バス停でバスを待っていると、公園の方からかちゃかちゃ音がする。
そうか、今日は地区のお祭りなのだ。よく見れば、夏草が茂っていた
公園の周りはきれいになっていて、辺りには、草を刈ったにおいが立ちこめている。
草を刈っておかないと、みんな地べたに座ったりできないからね。
大学は今日、明日とオープンキャンパス。
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2014年08月22日

見送るということ

ぼくらを乗せた電車が発車するまでの何分間か、その人はドアの外で
待っていた。やがてドアが閉まる。その人は手を振る。電車が動き出し、
正面の窓から見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。

思うに、見送るとは、相手の背中がすっかり見えなくなるまで
目をそらさず、その行く先に幸あれかしと願うことなのではないか。
ときどき、そのようなことを考えさせてくれる人に逢うことがあるが、
これはきっと幸せなことなのだ。

席に腰を下ろし、一息つく。動き出した列車の連結部分のドアは
すべて開いている。もうぼくらの車両はホームから離れているが、
まさか‥‥いや、もしやと思って、連結部分を越して、
一つ後方の車両の窓越しにちらりとホームを見た。!!
すでに小さくなってしまったその人は、相変わらず
こちらに向かって手を振っていた。

最寄りの駅に着き降りる。今度はぼくが見送る段になった。
ドアが閉まり、3回だけ手を振る。もう少し振ろうかと思ったが、
照れくさくなって、そそくさと改札へ急いだ。
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2014年08月21日

人間教育プログラム終了

人間教育プログラムの3日目が終了した。わずかと言えばわずか、
20名の高校生を相手にするプログラムなのだが、高校から預けられた
生徒たちを手厚く育成するプログラムとあって、その手間は相当なもので、
たくさんの人間が力を合わせることなにしはできないものなのだ。

押しつけがましいのは逆効果にしかならないが、高校生たちがこの事実に
できるだけ自然に気づいてくれるように‥‥と、ぼくはいくつか手を打った。
だって、自分が人に大切にしてもらっているという気づきなしに
人間的に成長しようたって無理なことなのだ。違う?

入学Cの業務は8月にもかかわらず過酷で、今日は、人間教育プログラム
と並行してAO入試が一次審査に入り、土日のOCの準備も進められていた。
そして、さらに恐ろしいことに、その合間合間に、ニタリと悪い顔をした
二次元氏が近寄ってきて、ぼくに原稿の督促をするのだ。
ぼくは泣きながら原稿を書いたのであった。
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2014年08月20日

空クジなしの人生?

福引を引く。「空クジなしやで〜」とおっちゃん、ニタリと笑う。
ガラガラを回すと白い玉。いつものことだが、前と後ろの人が黄色(2等)
だったので、今日はちょっと頭にきた。これまで何回ガラガラを回したか
知らないけど、一度も色付きの玉なんか出たことなかったぞ。
つくづく、くじ運なんぞ自分には関係ないと思う。

でも考えてみれば、ちょっとしたはずみですぐに命を落としてしまう
ような状況のなかで生き続けているというのは、一瞬一瞬のくじ引きで
よい色を引き続けているようなもんなんだろう。ただ、これは、
そもそも生きていることに肯定的な人の意見。そうでない人も、
いるだろう。
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2014年08月19日

猛スピードで走り抜けていくチャルメラ

ときどき自宅近くでチャルメラが鳴る。ぼくの住んでいるのは山里といった
ところだから、そこにわざわざ入ってくるからには、誰かが買うことを狙っている
としか思えないのだが、あっというまに通り過ぎてしまう。

そのスピードがもうほんとうに速くて、ドップラー効果が出ている
のではないか、と思うくらい速い。

ぼくはほとんどラーメンを食べない人なのだけど、
ごくまれには「いっちょ、食べてみようか」と思うときがあって、
チャルメラを追いかけようとするのだけど、猛スピードのチャルメラの姿を
見たことはない。もちろん、近所の誰かが食べているのを見たこともない。
あれは本当にラーメン屋のチャルメラなのだろうか‥‥
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2014年08月18日

柳田国男『遠野物語』

昨日、妖怪ということを書いていたときに思い出した本を。

クリアになりすぎてしまったときに、薄いヴェールをかけて、
気が遠くなりそうな気分を添加したくなったときに読む本。
まったく意味不明なことで、申し訳なく候。
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2014年08月17日

妖怪

randen.jpg
(写真は妖怪電車ではありません。)

どうもこのごろ、多くの人が忌避することについて記事を書いている気がする。
ついでだからもうちょっと続けよう。やめないもんね。

用があって年に一度、嵐電に乗るのだけど、
この時期は「妖怪電車」というのをやっているらしい。ポスターを見たら、
京都嵯峨芸術大学とタイアップしているようで、学生たちが妖怪に扮している。
楽しいのは、運賃が大人200円、子ども100円、妖怪50円になっていること。
乗客が妖怪に扮して乗れば安くなるのだ。「誰からも一見して妖怪に見えること」
が条件らしいのだが、それってどういうことだろう。扮しなくても妖怪に
見えるひとは50円ってことだよね。

テレビでも妖怪電車の様子を流していたけど、学生扮する妖怪を見て、
小さな子どもたちはえらい勢いで泣いていた。いまのぼくならへらへら喜ぶが、
小さなころなら、テレビの子どもたちと同じように泣いていたかもしれない。
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2014年08月16日

長谷川集平『とんぼとりの日々』

shiokara.jpg
今日は本の紹介です。長谷川集平の絵本。
長谷川集平の絵本としては、森永砒素ミルク事件の被害者でもある氏の
少年時代の体験を描いた『はせがわくんきらいや』が有名かもしれませんが、
ここでは『とんぼとりの日々』を紹介します。(長谷川さんは現在、
京都造形芸術大学の客員教授なのかな?)

と思いましたが、本のストーリーは書けないので、別の話を。

幼いころ、トンボ捕りに凝ったことがありました。その形をかっこよい
と思っていたのでしょう。慣れると水平に飛んでいるトンボでさえ捕れる
ようになるのですが、あるとき、そうやってトンボを捕って覗き込んだ
虫取り網のなかで、トンボの胴体と頭部が離れてしまっていて、
その複眼がこちらを虚ろに見ていたのでした。

子どもは子どもながらに悪いことを悪いことだと感じるのだと思いますが、
そのとき感じた、戯れに命をもてあそんだことへの悔恨の念が痛烈で、
それ以来、今日まで、ついぞ虫取り網を手にする気になれません。
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2014年08月15日

終戦記念日

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「やっぱりね」と「だよね」のために。

oc2014082324_hi.png
(↑バナーは、次の8月23日と24日のOCのもの。)

遅くなったけど、新聞社による8月2日3日分のOCレポートのことを。
いろんなことを考えさせられて、ここにどれをとりあげればいいのやら。
感じたことがあまりに多いので、以下、箇条書きに。

・B高校祭り。
・学習支援室のT先生の授業風景に涙が出た。
・谷大カフェのT君の授業風景に涙が流れた。
・学寮の寮監を一度ぐらいやっとけばよかった。

「谷大カフェ」というのは、W先生が授業ではじめた「哲学カフェ」を
哲学科の助教たちが続けていて、それをOCでは、たくさんのひとに
興味をもってもらえるようにとそういう名称にしている。
8月24日にも実施されるので、興味のあるひとはどうぞ。

このレポートを読む前に、HPにある2010年度からのOCの記録を読んでいた。
大学の一時代を画したような学生たちが載っていて、あぁ、あっ、わぁ‥‥
と思いながら読ませてもらった。つるつるヘッドのY君やら、なぜか、
CKP先生が大学説明をしていることがあって??となったり‥‥
そういう可能性があるなら、なんどかやってもらっておけばよかった。
こういうアーカイブスをずっと、どこかに残しておけたらいいね。
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2014年08月14日

芙蓉(ふよう)

fuyou.jpg
ブログを書いていて、文章についてときどき問われることがふたつある。

ひとつは、「なぜ個人的なことを書くのですか?」という問い。
ぼく自身の過去の、ひとに知らせられそうもない個人的なことを
なぜ書くのか?という問いだ。この問いには、
「問い自体が誤っているよ」と答える。

誰しも、誰にも話せそうもない過去など山のようにあって、
ぼくも同じことで、書けそうもないことは一度も書いたことがないから。
書けないことは決して書かない。ただ、それだけ。

もうひとつは、「なぜ過去のことをよく書くのですか?」という問い。
これには、「時間が経ってこなれないと文字にできないから」と答える。
でも、「こなれる」とはどういうことだろうか。

幼いころ、芙蓉は嫌いな花だったが、いつのまにか嫌いではなくなっていた。
このプロセスをぼくはうまく説明できない。
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2014年08月13日

極めて希なアオダイショウ

鬱陶しくてしかたなかった髪をようやく切る。
帰りに道ばたの石垣の隙間からアオダイショウが顔を出していた。
目の部分が白っぽくて、死んでいるのかと思ったら、
息を吹きかけたら、ズズーとめんどくさそうに少しだけ動いた。
目の部分が白かったのは、脱皮の前だったのかもしれない。

昔、蛇の抜け殻は金運を招くといって母が財布に入れていたことが
あったが、いまそんなことをするひとはいないだろう。
財布から諭吉と蛇の抜け殻をズズーと引き出されたら、
蛇の嫌いな店員は腰を抜かしてしまうかもしれない。

どうでもいい話だが、家内が小さいころ、
郷里で30センチほどある “大ナメクジ” を見たらしい。
もちろん、30センチもあるナメクジはいないから、
それはツチノコにちがいない、と断言したのだった。

アオダイショウを見たのは久しぶりだったから、
以前に比べるとずいぶん蛇が減ってしまったのかなぁと思って、
そうにちがいないと思い込んでいたが、よくよく考えれば、
こちらが蛇のいるようなところには年々近づかなくなってきただけで、
蛇の数が年々減っているかどうかなんて、わかったものではない。
単純なまちがいだが、ぼくにはこういうまちがいが多い。
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2014年08月12日

下駄

hiru.png
春の遠足にとある山に登ったときの、学生一名のあしもと。
もちろん、「山登り」という了承のもとに彼は参加した。
いろいろいて、楽しい。

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2014年08月11日

食用ホオズキ

ippin07.jpg
記事を投稿後にべつのものにしてしまうというおきて破りをします。

昨日の記事があまりにもつまらなく、論理的に破綻していて、
そして、どうにもこうにも腹にも据えかねることに、知りもしない世界を
上から目線で評価するかのような書き方をしていたので。
――

ホオズキが美味しいわけがあるまい‥‥と思っていたのですが、
ためしに食べてみて、その品のよい甘さに驚いたのでした。
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2014年08月10日

長所の短所、短所の長所

長所とか短所というのはどういう観点から言うことなのだろうか。
「社会生活で自他を益することが比較的多いか少ないか」ということだろうか。

だとすれば、ときには長所が他人を傷つけることはあるし、天賦の才能が
自分や他人をはなはだしく傷つけることもないではない。
だけど、長所というのはひとの役に立つことなのだと思い込みがちだから、
そういうことにはなかなか気づくことができない。長所を利用するときにこそ、
それがひとを傷つけないかどうか、事前に点検しないといけない、
ということになるだろうか。そういう意味で危険なのだ。

逆に、短所が他人を勇気づけることがあるとも言えるのだが、
短所が人に役立つとは想定しにくいことだから、短所というのは、
それをもっていることで思い上ってしまうということはあまりない。
そういう意味では安全なのだ。

と書きながら、自分の長所はなんだろうと考えていたのだが、
な〜んにも思いつかなかった。
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2014年08月09日

新聞配達のこと

わ〜い、いま石垣島からで〜す@ピルツ、なんてこと、あるわけないじゃないか。
もちろん、自宅におるのです。今日明日と、自宅でいろいろございまして。

雨の日も風の日も、風邪の日も、大路小路を書いておりますが、
いったい誰が読んでいるのでしょうね。よくわかりません。昨日、
「ぼく、(ついに)センター長のブログ読みました」みたいなことを
自慢気に言うのがいて、「お前はいままで読んだことがなかったのか?」
と、心のなかでつっこみを入れましたな。まぁそんなこんなも、
いまとなれば懐かしい、貴船での夏の思い出であります。
どんなことでも、思い出話にできればそれでいいのです。

けっこうきびしく雨が降っておりますゆえ、外に新聞を取りに出てゆく
ことができません。できないですが、新聞を配達しているひとは、
新聞を一枚一枚ていねいにナイロン袋に入れて、配ってくれているのでしょう。
ネットの時代になって、紙のものを一軒一軒に配って回る‥‥といった仕事は、
どんどんなくなっていくのかもしれませんが、さびしい思いがします。
つながり、きずな、新しいネットワーク‥‥等々とどこでも言うておりまして、
それはそれで必要なわけですが、こういうところにある人とのつながり、
もともとあるネットワークに気づくことも大切なような気がしますよ。

ぼくの友だちには、早くに父親をなくして、若いころから新聞配達をしながら
家計を支えてきたようなのがいます。大学時代からの親友です。
ぼくももうすっかりおっちゃんになって、ときどきあまりにも早く起きすぎて、
朝、手渡しで新聞をもらったりするとき、しみじみ、その友人のことを思い出して、
元気にしてるやろかと思い、また新聞に、やつを育ててくれてありがとう、
という気持ちがほかほかとわいてくるのです。
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2014年08月08日

馬鹿者のバカンス

しまった‥‥やってしまった‥‥A高校の講座の最終まとめ、
大学でのプレゼンの日だったのに‥‥それを忘れてしまっていたのだ。
パンにバターを塗るように、どこかじぶん以外のところに責任を
なすりつけてやろうと思ったが、それはどだい無理な話で、
馬鹿だったのはぼくひとりなのである。いったい、
この大学で高大連携推進室長をしているのは誰なんだい?

ふぬぅ、この自責の念をいったい、どこにぶつければよいのか。
これをなんとかせぬことには、申し訳なくて、夜もおちおち眠れぬ。
そうだ、自身を、沖縄の離島へ島流しの刑に処することにしよう。
(たんにバカンスに行こうとしているだけではないか。)
posted by pilz at 17:11| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月07日

蝶々が舞って

今日は不安定な天気だった。講習が終わる直前になって風雨が降り出した。
女子高生たちといっしょに高校の玄関のところで雨が止まないかと待っていた。
まもなく電車が出る時間。ぼくはもう少し待とうと思っていたら、
生徒たちは待ちきれずに雨のなかに出て行った。

風ですぐに傘がだめになってしまっている。そのうちひとりが、
傘をさしてもムダだと思ったらしく、傘をさすのをまったくやめて、
大雨にあたるがままで、きゃーきゃー言いながら楽しそうに踊りはじめた。
もうやけくそなんだろうか。そのさまは、なんとなく蝶々が舞っている
ような感じで、しみじみ楽しかった。

ぼくは女子高生に遅れること2分で学校を出た。
もうすっかり雨はやんでいて、やっぱり経験値において、女子高生とは
比較できないものがあるなと、ご満悦で無人の駅に向かったのであった。
posted by pilz at 23:52| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月06日

今日は

これからB高校。先月のように生徒相手に授業に行くわけではない。先生たちを相手にした講習なのだ。今日は会議で居眠りばかりしていた。申し訳ない。
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2014年08月05日

居合わせたかった。

今日はA高校での授業でお茶の試飲会、飲み比べ会がある日だった。
どんな顔でA高校の生徒や先生がお茶を飲んだり、お茶文化について
考えたりしていたのか、その場に居合わせたかった。
Uさんも行けないことを盛んに悔しがっていた。

苦労して授業をここまでこぎつけたHさんが行って、
「楽しかった」と言っていたから、それで満足する。
posted by pilz at 23:25| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月04日

人差し指は覚えている

右手の人差し指にはふたつの傷あとがある。ひとつは釣り上げたタチウオに噛まれたあと。大阪湾の夜の防波堤でのできごと。噛まれたあとも根性で釣り続けた。もうひとつは、ずっと記憶をさかのぼる。小学校に入ったばかりのころであったか。近所には小さな水路があって、緑の藻が生え、細長い魚が泳いでいた。澄んだ水の底には、とこどろころ赤やオレンジ色が塗られた瀬戸物の欠片が沈んでいるのがみえた。

あるときぼくらはそれを拾い上げ、壁に投げては割っていた。隣にいた、誰であったかもう覚えていない少年が欠片を投げたとき、指先に強い痛みが走った。ぼくは指先に流れる赤い血をみて家へ走って帰ったように思うが、それは曖昧な記憶で、夢であったか現実であったか、わからない。記憶でたしかめることはできないが、指の傷はそれが事実であったと語っている。思い出すことはできないが、きっと泣いて帰ったぼくに驚いたひとがいて、手当してくれたひとがいたのだ。ときどき人差し指をみて、傷あとをなぞってみる。
posted by pilz at 23:42| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月03日

うつむきかげん

kinoko03.jpg
今日はこころなしか、うつむきかげんです。
なにであれは、彼女を元気づけられるのでしょうか。

ちなみに、当方は、これからビアガーデンでございます。
posted by pilz at 18:02| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする