2014年09月30日

「ひかえおろう!」

親しくもない人になれなれしく触れられるのはイヤだ。もう少し正確に言おう。
親しくもないのに触れてこようとする人の、その心のありようがイヤなのだ。
触れることはなんでもない。いや、ときにはウェルカムとさえ言ってもいいが
(気持ち悪いぞ!)、そういうなれなれしい人にはたいてい、触れること以外に
本当の狙いがあるからだ。ぼくは「いつも直球勝負!」なのだ(ウソをつくな)。
そういう意味では、一時期だけスピーカーつきの車で駅前とかに陣取って、
見も知らずの人たちに見境もなく握手を求めてくる人たちは苦手だ。
無視することにしている。どうせ時期限定で愛想をふりまく人たちなのだ、
どおってことはない。

手どころか、肩を抱いてこようとする人もいる。そうそういるわけではないが、
いれば決まって、あるていど歳を喰った男性だ。

学生のころ、汚いけど、学生に圧倒的な人気を誇っていた飲み屋に入り浸って
いたことがある(いまもときどき使う)。ある日、その日も終電まで飲んで、
真っ赤になって店から出てきたときに、なんともキザな、見ず知らずのおっさんに
いきなり肩を抱きすくめられてこう言われた。「ねぇキミ、この汚い店、
すごく学生に人気があるようなんだけど、その理由、教えてくれない?」
その瞬間、きわめて温和であると多方面から高い評価を受けているこのわたくしが、
プチッと切れたのだ。そのとき、わけもわからずわめき散らした言葉が、
あまりにもマヌケで、いまだに忘れられない。「ひかえおろう!」
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2014年09月29日

秋のゼミ遠足・食欲の秋なのだ、の巻

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トルコアイスのドンドルマですね。なかなか渡してくれないのだ。
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青島ビール。
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「せんせいってタピオカとか認めなさそう」と言われた。ちぇっ。
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この黄色くて丸っこいものの謎は、ついに次回、明かされるのである。
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2014年09月28日

大谷大学新聞社オープンキャンパス・レポート9月21日分

新聞社による恒例のレポートです。

「学寮の魅力」からはじまっていて、今回も大谷大学らしかった。
最後は、Gによる記事。進学相談会はまだ年内に2回あるけど、
年内のOCは終わりということで、新聞社のOCレポートも今年最後になる。
今年1年の新聞社によるすばらしいレポートに感謝します。
(サンキュー、また来年も頑張ってね。
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2014年09月27日

秋のゼミ遠足・当日速報なのだ、の巻

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焼小籠包をパクつく学生たち

(今日は眠いので、これぐらいにしておく。
が、このあと、どんな写真が貼られるか、わからない。
わはは、覚悟せよ)。
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2014年09月26日

今日は

K課で飲んでおりましたな。お腹がいっぱいで苦しい。
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2014年09月25日

バランス

チューリップを長く苦手にしてきた。葉っぱや茎(?)に比較して
あまりにも花が目立ちすぎるからだ。「わたくしこそ花です」といった
自己主張の強い花は、敬して遠ざけることにしている。

テレビを観ていたら、チューリップの自生地が映し出されていた。
映像を見て、なにかがちがう、と思った。プランターにひしめくように、
庭の一角を真っ赤に埋め尽くすように咲いている日本のそれとはちがうのだ。
自生地では、ほかの花やたくさんの緑にまじって、いいぐあいに野生の
チューリップが点在している。そうした草原のさまは美しいと思った。

自生地から引き抜いて来て、チューリップからすれば心外なほどの密度で、
狭い囲いのなかに並べて無理な自己主張を強いているのは人間なのだ。
チューリップよ、ぼくが悪かった。
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2014年09月24日

「命の一滴 いただいて〜岩手・漆の里の四季〜」 (ハイビジョン特集)

コマーシャリズムやいっときの流行を追いかけ回すのは好きではない。
こういうのがNHKにも最近目立つようになってきて、NHK大好きなぼくは
いったいどうしたらよいものか困っていた。いっそ捨ててしまって
きれいさっぱり忘れてしまおうか、などとも思っていたのである。

ところが、「命の一滴 いただいて〜岩手・漆の里の四季〜」 を観てしまった。
「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」(NHKスペシャル)は鳥肌の立つ
秀作だったが、これも出色の出来だった。どちらも、命についてまじめに考
えたいと思っているひとには格好の番組だと思えた。やはり、NHKとは
観ざるをえないものの名なのだ。優秀なピーナッツのひとつふたつもあれば、
それだけで柿の種一袋も食べられるのである。

「命の一滴」は、国産漆の大半を生産する山里で働く漆かき職人の1年を中心に
編まれている。6月にはじまる漆かき作業の前に職人は服装やすべての道具を新しくし、
神に祈り、神妙な面持ちで山に入る。漆かきは生きた漆の木肌に傷をつけることで
樹液を採るが、職人はそれを「殺生」とも「生殺し」とも表現していた。
殺生だという意識と、それでもやらねばならぬ生業(なりわい)であるという意識との
せめぎ合いがそうした面持ちを作るのだろう。穏やかに自宅で話す、
幾星霜を経たかのような職人の顔もまた印象的であった。

長野県にはキノコ狩りを「殺生」と表現する地方があると聞いたことがある。
posted by pilz at 22:00| 京都 ☔| Comment(0) | キノコ的逸品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月23日

ハートの坊さん

忘れかけたころに会う坊さんがいる。今朝も電車で会った。どうして
覚えているかというと、いつも落ち着かない風に電車のなかを見回し、
貧乏揺すりなんかをしており、 “聖職者” という感じにはほど遠い人だからだ。

今日も、いつものように無精ヒゲを生やして、なにかをつぶやきつつ、
片方の地下足袋の親指と人差し指のあいだには朝顔の葉っぱ(ハートの形)を1枚、
はさんでいる。どこの草むらに踏み込んだら、そんなところにラブリーな
葉っぱをはさむことができるのか‥‥と考えていたら、
ぼくは朝からおかしくてしかたなかったのだ。

電車は混んできて、座っている坊さんは決まりが悪そうだ。
坊さんは、ほっぺをぷるぷるさせておどおどきょろきょろしている。
前に白髪混じりの50歳ぐらいの女性が立った。坊さんよりも少し歳下ぐらいか。
座席から坊さんはちらりちらりと女性の顔を見ている。迷いに迷ったあげく、
ついに坊さんは立ち上がり、一目散にどこかへ行ってしまった。

座った女性の前には、ハートの形の葉っぱが1枚落ちていた。
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2014年09月22日

2014年のオープンキャンパスを終えて

昨日は酔っ払った記事で失礼をいたしました。
いや、失礼と言えば、その前に、OC後の茶話会でスタッフに
お礼を言っていたぼくはしっかりとゴマ団子のゴマをつけたまま、
みんなの前でしゃべっていたのだった。あーぁ、もう。

日曜日のOCの速報がアップされていたので、貼っておきます。

9/21オープンキャンパス速報

今回のOCではGと何回かすれちがったのだけど、
4年生の彼は今回が最後のOCということで、もうごちゃごちゃ言わず、
後輩記者たちの様子を見守っているのだ、というようなことを言っていた。
一昨年に彼が声をかけた高校生がいまでは編集長になっていて、
見かけによらず思慮深い(失礼だ!)Gは感慨深げな顔もしていたが、
ぼくがC長になったのは新聞社がOCにかかわりはじめたときだったから、
ぼくはぼくで、よい時期にC長をやらせてもらえたと思っている。

新聞社による8月末のOCのレポートと、新聞社ブログを。

8月23・24日オープンキャンパス大谷大学新聞社レポート
(大谷大学新聞社ブログ・〈大谷電子版〉)

2014年09月21日

今日は

今年最後のOCの日であり、卒業生との飲み会の日でもありました。オーキャンスタッフがつくってくれた縁を生かせるように努めねば。
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2014年09月20日

「自分を待っているのは誰なのか?」

今日は父母兄姉懇談会。在学生の保護者が全国から来学。
なんにんの方と話すことになるかわからないが、教員たちに会いに、
教員たちから語られる子どもや兄弟の姿に会いに、
遠路はるばるやって来られるのだ。参加しないわけにはいかない。

といっても、秋の土曜日に来て、日曜日を観光にあてる方もおられる。
それはそれでよいではないか。この時期のこの地には、萩が咲き、
彼岸花が咲いている。よい話ができて、よい気分で京都の街を
歩いてもらえることをめざす。

保護者の懇談会が終わってからは、在学生と面談、続いて、
卒業生の来学。在学生には在学生の都合があって、
卒業生には卒業生の都合がある。

仕事をするには、「自分を待っているのは誰なのか?」
「自分は誰を待たせているのか?」というという視点が、
たとえそれが大いなるカンチガイと境を接する営みであるにしても、
必要だと思うし、こういう視点のないひとにぼくは関心を示さない。
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2014年09月19日

「ごめんなさい」

盲導犬オスカーの事件のことを調べていたら、
全盲の人が、電車などで誰かとぶつかったときは相手がどんな
ひとかわからないから、とにかく謝ることにしていると言っていた。
たしかに、電車のなかで大きな声で「ごめんなさい」を
繰り返す全盲らしきひとを見かけたことがある。

たしかに、込んだ電車のなかでぶつかったからといって
すぐさま殴りかかってくるひとなどめったにいないにしても、
いま当たったひとがそのひとでないとは言えない。
謝っておくに越したことはないのだろう。
ひとより多くの「ごめんなさい」を言わねばならないこと
は、いったいどのような気持ちなのだろうか。

そして、ひとよりも多く「ありがとう」を言わねばならない
苦痛もあるのだろうと思う。
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2014年09月18日

書くということ

書きたいと思うことはあるが、忙しさにかまけているうちに、
強い思いもいつのまにか色あせてしまう。記事にしたいと思うことはあるが、
はたしていまこんなことを書いてよいのだろうかと迷っているうちに、
いつのまにか、なにごともなかったかのようにすっかり忘れてしまう。
そういうとき、つくづく自分は忘れる生きものなのだなと思うし、
それでよかった、と胸をなで下ろす。

書くとはどういうことなのだろうか。
自分以外の人に自分の思いを伝えるというのはまずあるだろうけど、
自分自身にとってはどういう意味があるのだろうか。
ぼくは中程度のナルシストだから、自分が書いた文章(論文を除く)
を読み返すのが好きだ。書いた文字はぼくが消そうとしないかぎり、
書いたときそのままのかたちで残り続け、ぼくが訪れるのを待っている。

「本は自分が読むのをじっと待っていてくれる」と書いたひとに
共感したことがある。待っているのは書かれた文字であり、
文章に包み込まれた自分の感情なのだと思う。書くことによって
ぼくは自分の思いを明らかにし、書かれた文字は、
ぼくがその思いと折り合いをつけるまでの時間を与えてくれる。
そうやって、ぼくは自分の感情を制御しようとする。
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2014年09月17日

超短距離走

いつも、人との距離感はむずかしいと思います。それは自分自身の問題でもありますし、
仕事上でいやというほど直面する日々の難問でもあります。人にはそれぞれ
安心できる人との距離感があり、目立って長距離の人、目立って短距離の―というかゼロ、
ときに相手にめり込んで距離が “マイナス” にさえなっている―人がいることは、
ご承知の通りです。

ほうっておけばいいのですが、ほうってはおけない境遇を選んだ身の上。
わずかな経験から言うと、長距離な人をほどほどの距離に近づけることは
比較的容易だと思いますが、距離がゼロないしマイナスの―トラックを逆走しそうな?
―超短距離な人を遠ざけるのは、至難の技だと思うのです。

家族も学校も捨て去って危険な男に向かって突進する学生を “説得” できたことは、
ただの一度さえありません。それは自分の仕事の範疇を超えていることだと知りつつも、
やはり下手に説得しようとして敵視されることもしばしばなのです。

――
3日ほど東京での写真を載せましたので、
「東京に行ってきたのでしょう?地震は大丈夫でしたか?」
と聞かれることがあったのですが、それらは以前に撮った写真で、
東京に行ってきたわけではありませんので、念のため。
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2014年09月16日

無題

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2014年09月15日

無題

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2014年09月14日

オーギョーチ

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2014年09月13日

Geschlechtergerechtigkeit: Herausforderung der Religionen

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ここの住人は研究をしている気配がないのですが、一応、研究者なので、
それと、日本でも宣伝するようにという指令があったので、
たまにはその方面のことを。

この本には、Philipps-Universität Marburgでの講演に、
少し手をいれた私の論文が載っています。
Genderimplikationen in Symbolen des Göttlichen
in buddhistischen Traditionen Ostasiens という論文です。
その内容の説明は‥‥手間がかかるので、拒否します。

というわけで、私は明日から、清沢満之の弟子の何人かが
育った地に調査に行ってきます。ぼくは思想家が育った地に行かないと、
その地の人や気候風土を肌で感じないと、うまく文章が書けないのです。
あっそっか、ぼくがカントについてついぞよい論文が書けなかったのは、
彼の地 Königsberg(現在はロシアのカリーニングラード)に
行ってないからなのか。
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2014年09月12日

サンドイッチ

墓参りに行ったら、ちょっと規模は小さくなったとはいえ、
A屋はいまも店を続けていて、通りすぎる際に少しのぞき込んだら、
あのおばさんがいた。たちまち、一つの記憶がよみがえってきた。

小学生のころ、A屋は最先端の菓子店で、地域の少年たちを集めて
繁盛していた。A屋には最初、眉間に大きなほくろのあるおばあさんがいて、
ぼくは仏さんのような人だと思っていた。あるときから、おばあさんに
代わっておばさんが店番をするようになったのだけど、その方も、
悪ガキたちが品定めしているのを黙って見ている、
とても柔和な観音さまのような人だった。

ある日、ぼくはサンドイッチが欲しくなって、100円玉を握りしめ、
A屋に駆けつけた。2種類のサンドイッチがあった。

「これ、いくら?」
「110円」
「こっちはいくら?」
「120円。えぇわ、100円に負けたげるわ」
「いいです」

そうして、ぼくはまた来たばかりの道を手ぶらで帰って行った。
おばさんは、ぼくが100円しか持っていないことを見抜いて、
そう言ってくれたのだろう。おばさんのやさしい言葉を、
ぼくはいまでも感謝してる。だけど、その日を境にして、
ぼくがA屋に行くことはなかった。
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2014年09月11日

今日は

飲んでおりましたな。いえいえそんな心外な、ちゃんと任務を完了してからのでことであります。なになに?いったいどこで、誰と、何を、どのようにして飲んだのか、ですって。そんなこと、ただで教えられますかいな。ぼくの好きな「縄のれん」のかかっている店でのことでありました。

いま思い出したのですが、エッセイコンテストの審査が終わっておりません、がびーん。まぁ明日になったら自然となんとかなるでしょう(なるか!)。
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2014年09月10日

ミーニャ

何度か猫を飼っていました。ミーという聡明なメス猫については
いつぞや書きました。真っ白だったミーのあとは黒と白のオス猫を
飼いました。家族はまたも「ミー」と呼んでいたのですが、
ミーといっしょにされるのがイヤで秘かに「ミーニャ」と呼んでました。
「ニャ」には「バカ」の意味を込めていたのです。いつも洗練された
身のこなしで、自分で引き戸を開けて、お手もできたミーとはちがって、
“才能” らしきものはこいつのどこにも見当たらないようでした。

ヒマさえあればメス猫を追いかけまわします。メスの取り合いをして
負けて傷を負ってくるものだから、年柄年中、赤チンを塗ってやらねば
ならないのです。赤と白と黒の三毛猫でした。瀕死の重傷を負って
きたこともあります。メスをめぐって命を賭(と)すなど、つくづく
畜生のやることはわからん、と思ったものです。看病しましたが、
治った頃合いをみて、平手で顔をバンバン叩いてやりました。

伸びたヒゲはいつもきれいにハサミで切り、眉はマジックで書いて
やっていました。ほかにも 各種 “虐待” を加えたのですが、
良い子が見ているこのブログでは、そんなこと口が裂けても
言うもんですか。

メス猫とのデートを楽しんだあとは、早朝にぼくの布団に潜り込ん
できます。すっと潜り込めばよいものを、どういうわけか足先から
ぼくの体をじわじわ一歩ずつ踏んで胸元まで上がってきて、
顔の横から布団に入ってくるのです。ミーニャなりに、
その一歩一歩でなにかを表現していたのでしょう。

メス猫を追っかけてしばしば行方不明になり、その度に戻ってきた
のですが、最後はいつのまにかいなくなりました。その意味では
ミーと同じでした。ぼくは多くのことを人から学びましたが、
猫からもなにがしかを学んだように思います。
posted by pilz at 23:20| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月09日

無関係

「保険料が三分の一になるご提案です」。
「私には関係がないようなので、けっこうです」。

そう断って、「関係がない」という言い方でよかったのか
わからなくなった。保険の契約をするつもりはないにしても、
もっと別の言い方はなかったのだろうか。

とつぜんドアをノックした見ず知らずのひとのことだから
気にする必要もないのに、変にいつまでも気になって困った。
posted by pilz at 23:46| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

ノートをとるということ

聞くということが受動性ばかりで成り立っているという意見が多くて困ってしまう。
そういう考え方からすると、いわゆる座学はイコール受動性という話になって、
必ずといっていいほど、講義ばかり受けていてなんになる‥‥という単純な話になる。
ひとの話を聞くというのは、それをどのように受け止めれば自分のものにできるかを
いかにすれば自分にとって理解しやすいように意味づけることができるか、
言いかえれば、いかにうまく自分の認知構造に結びつけるかを瞬間瞬間に判断して、
自分にとって有利な形式へと入れ込もうとするきわめて能動的で、戦略的な取り組みなのだ。
いってみれば、そこにはゆっくり座ってじっとしているひまなどない。

こういう能動的な思考作用というのは、ノート一つのとりかたにも反映されるし、
さらには学問の方法にも反映される。以前、おそろしく難解な講演を聴いている
ドイツの大学の学生たちのノートのとりかたを見て、そのムダのないエレガントさに、
一人ひとりちがう工夫のあとに、これは一種の芸術なんじゃないかと思ったことがある。
そして、自分の認知構造を知るというのはけっきょく自分を知ることにほかならないから、
この意味で、学習するとは自分を知ることからはじまるといえて、ドイツの学生たちは、
よく自分を知ることができるように訓練されているな、と思ったのだった。
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2014年09月07日

9月21日は今年最後のOCなのだ。

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(写真をクリックしてください。)
ということであります。ミニオープンキャンパスみたいなのは、
何回かあるけどね。写真手前に写っているのは、わがゼミ4年生のY君。
いつもめんどくさいことをわれさきに引き受ける、歩く責任感。
彼には記憶にある限りずぅ〜とお世話になりっぱなしで、
最初のうちはなんとか借りを返そうとしていたが、
いまではもうムリだとあきらめている。
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2014年09月06日

完全アウェイでしか得られないもの

本日のB高校での高大連携授業を終える。いつも思うけど、
自分の大学を出て、他の高校で授業をするのは恐ろしくむずかしい。
どんな生徒がいるのか、何年生なのか、どういう授業の位置づけなのか、
どういう校風がある学校なのか、教室はどうか、その照度はどうか、
室温はどうか、マイクはどうか、スクリーンは、チョークは‥‥
実際に授業をしてみないと、なにもかもわからないからだ。

だがこういう “完全アウェイ” の状況で失敗を重ねて、
悔しい思いをして、現地の状況に合わせていこうとする作業のなかで、
得られるものは多いと思う。さして自慢することはないが、おそらく、
この大学でぼくほどアウェイの経験を重ねてきた者はいないだろう。
そしてきっと誰もこの経験に追いつくことはできないだろう。
誰かが追ってこようとしても、それ以上の速さでぼくは前に
進んでいくだろうからだ。どうだ、まいったか。

そんなこんなでHさんが高大連携プログラムの記事を
あげてくれていたので、その紹介。

http://www.otani.ac.jp/news/nab3mq000003i75i.html
https://www.facebook.com/otaniuniversity
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2014年09月05日

明日は

新しい高大連携講座。Hさんとの道中。もう並木道のりんごも色づいているのだろう。りんごは「リンゴ」よりも「りんご」がいい。やっぱり、りんごは丸いものなんだなぁ。
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2014年09月04日

エッセイコンテスト

朝からチェック作業をはじめたG君、まだチェックに当たっておりまする。ぼく、さっさと帰りまする。あんなよぉけぇあるエッセイ読むの、しんどいもん。
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2014年09月03日

アカガエル

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2014年09月02日

スイスイ入試

入試は中身だけでなく名称が大切だという話になる。
大谷大学のWEB出願は「スイスイ出願」と銘打っているが、
そんな感じだろうか。例えば‥‥

■ わくわく入試
→時々、大当たりする、カランカラン

■ しとしと入試
→6月ごろの入試

■ わんわん入試
→犬好きのあなたに‥‥

■ イライラ入試
→なかなか思う通りに解けない問題ばかり

■ イケイケ入試
→20歳前後の‥‥

■ わいわい入試
→グループワークで判定

■ ぎりぎり入試
→3月末日の入試、
合格しても入学式に間に合わないのが難

■ へとへと入試
→とにかくハードで‥‥

■ つるつる入試
→すべりやすく、めったに合格しない
だが‥‥これ以上言うと、9月いっぱいで首になりそうなので黙っておく。
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2014年09月01日

秋の虫

9月になってしまった。1923年の今日は関東大震災が発生した日。
震災の前には異様な数の赤トンボが飛んでいたと祖母は言っていた。
記憶というのは意外に嘘をつくものだが、本当にそうだったのだろうか、
いまでは、いかにしても調べようがない。

秋の虫が盛んに鳴いて、カネタタキ(鉦叩き)もキンキンと鳴いている。
秋虫のなかでもカネタタキは寒さに強いらしくと、ぼくの住む山里では、
ときには、12月になっても鳴いているのを聞くことがある。
早く雌を見つけられたいいのに‥‥と思いながら、通り過ぎる。
posted by pilz at 23:08| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする