2014年12月31日

大晦日

今年はこれが最後の記事になります。今年もなんとか書き続けることができたわけですが、休まず毎日書けばよい、というわけでもありません。意味のないことをただ闇雲に長く続けるのは、ムダ以外のなにものでもないのです。ともかく書く、ということだけが先行してしまっていて、内容のともなわない記事ばかりになっているこのブログをどうするか‥‥考えることはありますが、もう少し記事を重ねていくことなると思います。

元旦にかけては大荒れの天気のようですね。窓から、風の音が聞こえてきます。今年も大路小路をお読みいただいた方々に御礼を申し上げます。よい年をお迎え下さい。

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2014年12月30日

終わらないプロセス

今日は四十九日法要だった。関西では実際の49日目の前日に
四十九日法要をするというのは、この歳になるまでわかっていなかった。
初七日、二七日、三七日‥‥とあって、毎日、御詠歌をあげていくわけだけど、
ぼくは仕事を言い訳にして、そういうことをしっかりしたわけではない。

わけではないが、一連の法要ということで感じるのは、
やはり死というのは点ではなくプロセスだ、ということ。
死に面したひと自身がやがて迎える死を受容するプロセスというのではなく、
ここで言っているのは、先立たれて残されたひとたちにとっての死。

さまざまな法要というのはそうしたプロセスなのだろうと思うし、
もっと言えば、たったひとりの人間の49日間の法要で終わるようなプロセス
でもなく、ぼくらが生きているということはつねに誰かに取り残される
ということで、そうしたひとたちから、その度に揺り動かされはしても、
答えられない問いを投げかけられることなのだから、おそらく、死とは、
どうしても経験せざるをえない肉親や我が子や親友といったひとたちとの
痛切な別れを経てもなおかつ終わることのないプロセスなのだろうと思う。
なんかわかりにくい文章になりました、申し訳ありません。
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2014年12月29日

「毒キノコの赤ちゃん」

kinoko11.jpg
なになに?「キノコブログという名前があるぐらいですから、
年末ぐらいはキノコの写真を貼って欲しい」ですって。
わかりました。そういうことなら、年末はとてつもない大作を
書こうかとも思っておったのですが、その切ない願い、わからないでもありません。
御意にしたがいませう。
というわけで、本日は「毒キノコの赤ちゃん」です。
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2014年12月28日

「ちびも積もれば山となる」

昨日「探偵!ナイトスクープ」への調査依頼のことを書いたけど、
ぼくにも、調査して欲しいと思っていることがひとつある。

中学生のときのこと。ぼくと友人たちは休み時間になるたびに、
“じゅんどろ”(泥棒と巡査に別れてするあれね)を全力でしていた。
あんまり全力でするものだから、一日の走行距離は相当なもので、
どんなに走っても、すぐにけろっと体力が回復してしまうような年齢だったけど、
さすがにあるとき疲れてしまって、巡査から逃れるために、プレハブの教室に
逃げ込んだ。そこは生徒が多かったときに使われていたもので、もう使われずに、
なんでもかんでも不要なものが置かれた物置のようになっていた。

そこでしばらく休んでいると、うずたかく積み上げられたノートがあること
に気づいた。大学ノートのようなものだった。表紙を見ると、
「ちびも積もれば山となる」と書いてある。「塵も積もれば山となる」を
もじっているらしいそれは、自分のことを「ちび」と称するある一人の生徒が
書いたものらしかった。開けてみると、さまざまな科目の自習ノートで、
一ページ一ページ、びっしりと学習したあとがあった。そのノートが
100冊以上あった。尋常ではない量だった。もっとあるようだったが、
置かれているがらくたが崩れたようになっていて、向こうの方にあるノートの
数を数えることはできず、そうこうしているあいだに昼休みも終わって、
ぼくは教室に戻らなければならなかった。

そのノートは、ぼくよりも何年か前に在籍していたある生徒が、
小さな自分でも頑張れば大きななにごとかをなしとげることができる、
と考えてもくもくと勉強をして、その成果として先生に提出したであろう
ものであった。そして、それがいつしか忘れられて、物置に放置されたままに
なっているのだった。ひょっとすると、それを受け取った担任の先生は
もうその学校にはいなかったのかもしれない。

どういうわけか、いまでもぼくは中学生のときに見たそのノートのことを
ときどき思い出す。そして、いったい「ちび」とはどんなひとで、
そのひとはいまなにをしているのか、猛烈に知りたくなるのだ。
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2014年12月27日

「関西人ホイホイ」

しまった、思いっきり昼寝をしてしまった‥‥
けっこう長い時間をかけてどこかの校長先生たちと話していて、
「おれって、今日もがんばって仕事してるよな‥‥」と思っていたら、
それがすべて夢で、時計をみたらすでに16時であった。
こういうのを「惰眠を貪る」と言うのだろう。

寝てしまったのは、昼ご飯を食べて、ハードディスクに録りためた
「探偵!ナイトスクープ」を観ているときだった。
関西以外の方がどのくらい実感できるかどうかわからないが、
これは身のまわりの調べて欲しいことがあれば調査を頼むような
番組で、関西人にはひろく浸透している。

そういうわけで、自分では解決できないような調べものができたときは、
関西人の何%かは探偵!ナイトスクープに依頼したら調べてくれるやろか、
と、自然と、頭のなかで考えたりもするのだ。いやそれだけではない。
なにかおもしろいネタをつくって、自分で不思議を見つけて、積極的に
売り込んでいこうか‥‥という気持ちにもさせるような番組なのだ。

こういう関西人における探偵!ナイトスクープの位置づけというのは、
どういう風な言葉づかいで表現したらいいのだろうか。
壺?精神?魂?バイブル?原点?‥‥わかるようでわからん言葉になる。
ネットで検索をかけてみたら、「関西人ホイホイ」というのがあって、
笑った。そういえば、ネコホイホイってあったよね。
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2014年12月26日

忘れ物禁止

久しぶりに論文を書く。もういつぶりなのか。
3年前に書いた論文を読み返していて、当時は完璧なできだと
思っていたものにいくつもの誤りをみつけて衝撃を受ける。
史実の誤りもあるし、誤字脱字もある。

ひごろ、卒論指導のときには誤字脱字をうるさく指導しているが、
じぶんのことを考えると、エラソウに言えた義理ではないのである。

なにかというと、ひとはミスをするものだということを忘れてしまい
そうになるが、教員が自分でも研究ができているということは、
そういう “忘れ物” をしないで適切な学生指導ができる‥‥
という意味でもよいことなのかもしれない。
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2014年12月25日

今日は

忘年会でした。クリスマスをものともせず、忘年会です。「基本、ツンツン系です」とG君に評されましたな。ふんぬ、ならば、新年からはめっちゃフレンドリーなセンター長になってやる。毎朝、部署に行って「どお、今朝のG君の調子は?ほぉ、そうなんだ」。みたいな感じで‥‥すいません、ウソをついてしまいました。
posted by pilz at 22:09| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月24日

エポック

今日はクリスマスイブかな。ぼくの大学ではあんまり関係ないけど、
キリスト教系の大学なんかはイルミネーションをつけていてキレイだ。
日本ではいつごろからクリスマスが受けいれられるようになったのか、
よお知らんけど、ある日あるときからどこぞの商戦に組み入れられて、
それに一般家庭のひとたちが、楽しければなんでもいいと、
あえて乗っかるようになってきたのだろう。

クリスマスほどおしゃれな感じがしないから無理かなと思っていた
ハロウィンも、時期になると街が黄色と黒ベースになって、カボチャも
そこここに置かれるようになって、年々浸透していっている感がある。
明治だか大正だかわからない時期にクリスマスが受けいれられていったのと
同じように、ぼくらはいま、ハロウィンという文化が浸透していく
エポック(意味は調べて)に居合わせているのだろう。

そうそう。酔っ払いのおっさんのイデア先生が、先日、シュトーレンを
買ってきていて、「モンゴルでもドイツ風にクリスマスを祝うのか、
すごいなー」とぼくは感動していたのだけど、じつはイデア氏はドイツに
行っていて、「ケルンの大聖堂がよかったー」なんて言っておった。
ちぇ、なんだよ。なんか知らんが、つまんないぞ。
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2014年12月23日

ハタハタが食べた謎の甲殻類

ハタハタを食べる。お腹が膨らんでいて、中には赤い、エビっぽいのが
ぎっしり詰まっている。ハタハタがアミエビ(ちっちゃなエビみたいなもの。
たまに塩辛として売ってます)を食べてるのか、よくあることだ。
アミエビまで食べてしまおう。ルンルン♪

二匹目。またもお腹ポテポテ。もう一度確認。んっ?何かがおかしい
(と潜在意識が訴える)。よく見ると、赤っぽいやつがアミエビにしては
丸っこいような(この辺で現実逃避したくなりはじめる)。じろじろ見る‥‥
ギョエー!アミエビではなくて、フナムシっぽいやつではないか!!
三匹目なんか、お腹に入りきらなかったと見えて、口からもフナムシっぽい
やつがあふれ出ている。にわかにホラー映画の世界。しばし逃走する。

フナムシ状の生き物は苦手なのだ。ハタハタも、もうカンベンなのだ。
でも、考えれば、魚介類大好きのぼくは、フナムシっぽいのやら、
本物のフナムシやら、ゴカイやらを間接的には食べているにちがいない。
直接的にはぜったいヤなことも、間接的には何とも感じないのだ。
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2014年12月22日

今日は

飲んでました。なにをとりあげたらいいのかわからないほどいろいろありまして、困ったことです。あえてあげれば、なんでしょうか。鍋が美味しかったです。幹事さん、ありがとう。
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2014年12月21日

「物事は‥‥

自信があったうえではじめるものなのですか?」と問われた。
非常にむずかしい問いだと思ったが、反射的に、「いいえ、自信とは、
やりはじめてからじょじょにできあがるものなのではないでしょうか?」
と答えた。やや無責任な気もするが、及第点の答えだろう。
できるかぎりの準備をすることが必要なことは言うまでもないが、
完璧な自信を待っていてはなにもはじめられない。
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2014年12月20日

鷲田清一先生について

お待たせしました。鷲田先生についてお話しできるようになりましたので、
こちらでお知らせすることにします。といっても、ぼくが書くよりも、
べつの方が書いている記事の方がよいと思うので、参照してください。
鷲田先生は2015年度からは大谷大学の客員教授となられます。
先生の研究室は4階のあの場所、そのままです。
(「中高生からの問いに」vol.9)
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とり松のばらずし

barazushi.jpg
今日のキノコ的逸品は、とり松のばらずしにございます。鯖やら鮭やらで遊んでいて、思い出しました。京都市内の鯖寿司は有名ですが、丹後地方にも鯖を「おぼろ」にして、他のものを合わせてばら寿司(ちらし寿司)にする文化があるようですね。

小さなころはばら寿司を好まなかったのです。なにゆえにバラバラのものを食べねばならないのか、はじめから統一感がないと宣言してどうするのだ‥‥とか思っておりました。でも、歳とともに好きになってきて、いまでは大好きになりました。なかでも、これはとても美味しくて、よく買い求めます。どういう風に美味しいかですって?そうですね、ベースは鯖なのですが、いろんなものの食味のバランス、ハーモニーがいいのです。ハーモニーがわかる年齢になってきたのですかね。新幹線の京都駅に売っていますから、よろしければどうぞ。
posted by pilz at 18:59| 京都 ☔| Comment(0) | キノコ的逸品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月19日

「センター長、デスクを選ばず」

会議が終わる度に持ち帰った資料を乱雑に積んでゆくものだから、デスクの上がゴミ捨て場のようになってしまった。「センター長、どうしたんですかっ」などと言っておるが、 汚デスクに積み重なった資料のなかから、差し迫るつぎの会議資料を奇跡的に発掘して会議室に走る‥‥というのがぼくの日常なのだ。そう、ぼくや隣人先生クラスになると、いかに乱雑にみえるフィールドであっても、そこに秩序や法則性をみいだすことができ、かつ、そこから利用可能ななにものかを瞬時に抽出することができるのである。乱雑さは自信の現れであると言ってもよい。「弘法、筆を選ばず」ならぬ「センター長、デスクを選ばず」といったところか。決まった。
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2014年12月18日

ありがとう。

今日は年内のゼミの最終日。大学は来週までだから、卒論相談と、3年生のテーマ発表(哲学のテーマを自分で選んでプレゼンをする)の相談に、ひごろは顔をみせない学生も個研にやってきました。昼休みには今日も会議があって昼食つきでありましたが、お弁当のふたを開けて驚きましたな。昔、「オレンジ色の憎いやつ」というのがありましたが(知りませんか、はぁ、そうですか)、オレンジ色っぽいものが横たわっておりました。箸でつっついたら、それは鯖ではなく鮭でした。ありがとう、しゃけ。
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2014年12月17日

ありがとう。

出口が見えませんね。進みません。このごろではほんまに出口があるのかどうかもわからなくなってきました。寒さが身にしみるのです。いつも思うのですが、昼休みに昼食をとりながら会議をすると議論は破滅的にはならないような気がします。鯖、ありがとう。
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2014年12月16日

今日は

早々に仕事を放置いたしまして卒業生と飲んでおりました。他のことにはウソをつけても、自分の使命をめざそうとする根源的な欲望にウソをつくことはできない。ウソをつけば、フランクル的に言えば実存的空虚に陥ると思う。ちなみに、ピーター・フランクルではない。
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チャレンジなんて、したくない。

学生が「チャレンジなんて、したくない。自分は大きな変化なぞ望まない。
平々凡々がいい」と言っていた。なにごとにもチャレンジせずに現状維持にのみ
努める人は人間として大切ななにかを欠いている‥‥といった自己啓発重視の
風潮のないでもないこのご時世におもしろいことを言う、と思って聞いていた。

とはいえ、ぼく自身はそれをおもしろいと感じても、挑戦しないことや
現状を変えようとしないことを人に薦めたりはしない――と言えば、
さすが人が能力を伸ばすのを手助けしようとする教育者ですねぇなどと
言われるかもしれない。

ぼくが考えているのは、なにを “新しいこと” と考えるか、なにを
“チャレンジ” と考えるかは人によって違う、というそれだけのことなのだ。
火星旅行のみが人がなすべき唯一の挑戦だと考える人もいれば、学校へ行く
道筋を一本違(たが)えることがとてつもない挑戦だと感じる人もいる。
チャレンジしたくないと言った人も、たぶんその言葉とは裏腹に新しいことに
挑戦しようとしているのだろう。たとえぼくの目にはあまりに “微細” な
変化に過ぎて見えないとしても――とぼくは思い込んでいる。
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2014年12月15日

「お疲れさまです」の意味

授業(教室での多数を相手にする指導、の意味で使ってみる)
や学生指導(研究室等での個別の指導、の意味で使ってみる)が終わると、
学生から「お疲れさまです」と言われることが多くなった。「あざーっす」
(ありがとうございますとの区別がつかない)と発音する学生もいる。
ほとんど、クラブやアルバイトさきでの乗りなのだろう。

昔はなかった用語法だし、少し引っかかりがあるので自分ではなるべく使わない
ようにしているが、やはり使わざるをえない。これ以外にひとをねぎらう言葉が
思いつかないのだ。なにに引っかかっているのか、以下に箇条書きにしてみる。

(1)授業にしても学生指導にしても、ぼくはボランティアでやってるわけではなく、
実質的には、学生たちが払う学費から給料をもらってやっていることなのだから、
学生がぼくの行為をねぎらう必要はない。(もちろん、学校は利潤追求を至上命題
とする企業ではないから、そんなこと承知したうえでなおねぎらってくれる気持ちこそ、
大学らしい心のやりとりだと思っている。)

(2)授業にしても学生指導にしても、ぼくは給料が欲しいからやっているのではなく、
個人的動機としては、趣味の一環としてやっている(こういうことをいうと、職業意識
がないとか難癖をつけるひとがいるだろうが)のだから、ねぎらう必要はない。
これはとくに学生指導に当てはまる。

(3)教室での授業ごとき、大した仕事量でもなく、また特別にむずかしいことではない
(ちなみに授業をバカにしているわけではない。学生指導とは困難さのレベルが違う
と言っている)ので、ねぎらう必要はない。(学生指導には高度の能力が必要
だと思うが、(1)(2)の理由からねぎらう必要はない。)

というわけだが、ひょっとすると「ねぎらう」には「労(ねぎら)う」だけでなく
「祈(ね)ぐ」の意味も含まれているのかもしれない。だとしたら、学生たちは
「お疲れさまです」という言葉で、「もっとしっかり授業や指導をして欲しい」
と言っていることになり、やや(゚◇゚)~ガーンとなり、
にわかに問題は緊迫の度を増してくる。
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2014年12月14日

無題

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2014年12月13日

「BGMにすると哲学論文が一週間で書ける音楽」

ときどき、音楽を聴きながら仕事をすることがある。
音楽のおかげでどんどん仕事がはかどることもあるし、
てんでダメな文章を書いてしまうこともある。

その昔、きわめて独創的な研究を仕上げようと、当時好きだった
ビーチサイドで聞くような音楽をじゃんじゃん流しながら、
ひと夏をかけて300,000字ほどの論文もどきを書いたことがある。
もちろん、“ビーチサイドでの夏” が過ぎて、できあがったものを見て
アホかっ!とゴミ箱に投げ捨てたというオチなのである。
あのときは本当にひと夏をふいにした。27歳の夏だった。

「BGMにすると哲学論文が一週間で書ける音楽」とか、
「聞きながら卒論を読むと翌日の試問のときにやさしくなれる音楽」
とかがあれば、ちょっとぐらい値が張っても買うと思う。
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2014年12月12日

明日は進学相談会と‥‥

明日は進学相談会と入試というウルトラCな組み合わせの一日。
一般入試の対策講義があったようななかったような気がするけど、
もう今日はくたびれたので、沖縄をしてから、寝まする。
寝まするが、寝る前に今日の感想をふたつ。

・やっぱり自分ひとりではなーんにもできない。
・冷血っぷりをほんの少しなんとかしなければならない。

対策講義で『2015入試資料』を使うことを伝え忘れておったことに
いま気づいた。誰か、この記事を読んだ方、
なんとかしておいてください。
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2014年12月11日

海苔巻き

哲学科の1年生全員が集まっての懇親会。前でワッシー先生が話している。「教員には二つの顔があって、教室での顔と個人研究室での顔です‥‥」。いろんなタイプの個人研究室の様子の話が続いて、それを聞いてぼくが「うんうん」とうなずいていると、近くの1年生からつっこみが入る。「せんせー、いつもいないじゃないですか」。がびんとなって、海苔巻きを喰った。
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2014年12月10日

無題

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2014年12月09日

今日も

改行なしです。今日は勉強をして、それからいつもとは違うひとたちと飲む機会をいただいたのでした。幸せ者ですね。明日からはまた、働きます。
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2014年12月08日

今日は

改行をしません。このごろ、携帯でのブラインドタッチがどんどん早くなっていっているような気がします。ほとんど将来性のない技術ですけどね。スマホのことはよくわかりませんが、スマホ族が増えて通勤電車のなかでよかったと思うのは、若いサラリーマンが新聞を広げなくなってきたことです。みな、ネットでニュースを読んでいるのでしょう。朝の通勤電車というのはわずかな自由空間をめぐる闘いですから、新聞紙大がスマホ大になったというのは大いなるスペースの節約なのです。合わせて、男子高校生のでかいボストンバック、なんとかならんやろか。あのどでかいバッグには、教科書とか体操服以外のものも入っておるのだろうな、なぁニャン吉よ、そなたは元気にしておったか。
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2014年12月07日

こんちゃん

oronamin.jpg
石山寺の近くにて。こんちゃん(大村崑)ってすごいなと思う。
ぼくが小さなときからこんちゃんで、いまもこんちゃんなのだ。
なにを言っているのか、わからないね。
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2014年12月06日

無題

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meaningless
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2014年12月05日

高大連携協定調印式

今日は携帯からではありません。パソコンからです。ゆえに改行します。
はい、そんなことはどうでもいいですね。今日の重要な行事は、
京都翔英高校との高大連係協定の調印式でした。

Hさんが苦労して準備して実現に至った調印式ですが、肝心の本人は、
他校との高大連係業務で、式に居合わせることができなかった‥‥
という涙なしには語れない物語なのです。

小さな花がひとつ咲くためにも、たくさんの方々の、長い長い、
がんばりの積み重ねがなければならない。そういう多くの人がいたことを
忘れないでおこう‥‥そう感じた式でもありました。
posted by pilz at 19:30| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月04日

今日も

あっという間に過ぎましたな。卒論提出まで1ヶ月ほどになった4年生たちには焦りの色がみえておりました。昨日の記事に遊び心のことを書いたら、Nさんが「センター長、あたし、プレッシャーでしゅ」みたいなことを言っておって、「考えすぎですよ、どーどー」みたいな感じで答えたのでした。ともかく、センターは忙しそうなので、ぼくはじゃまをしないように、ぬき足さし足で入るのでした。
posted by pilz at 21:50| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする