2015年02月28日

無題

ginza.jpg
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2015年02月27日

好きな花

enzian.jpg
この花は自分へ。
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2015年02月26日

葉と茎

今日は入試1日目。「海ブドウは茎が美味しいって知ってる〜?」みたいなことを言ったら、茎が好きだという人がいて驚いた。ひとりだけ変なのかなと思っていたから。よくよく考えると、ぼくは葉っぱより茎が好きなような気がする。ホウレンソウもそうだし、なんとか菜の漬け物みたいなものが出てきたら、はっと気づいたら茎ばっかり食べている。
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2015年02月25日

明日は

虐待的絆の形成に自分を虐待するような対象とのつながりであってもなにもないよりはマシだという心理が働いていると聞くと、なにも欲しないよりもむしろ無を欲するというニーチェの言葉を思い出す。そして、こういうことってけっこう身のまわりのどこにでもある気がする。楽しくない話をしてしまった。ともかく、明日、明後日は大学院と編入の入試なのである。沖縄での遊び疲れのとれない状態であってみれば、明日、深いメディテーションに落ち込むことは確実であると思われる。
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2015年02月24日

告白

今日もそこそこに仕事を放り出して、わたくしは縄暖簾をくぐったのでありました。あぁ、わたくしは罪人でありまする。帰ったらタンカンを食べよう。
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2015年02月23日

旅のあとに

というわけで、いつもの仕事に戻っております。方々に連絡して、旅行前に希望のあったお土産を各所に配る作業をほぼ終えました。ただ、海ぶどうを持って帰れなかったのが残念でした。それにしてもお土産ってどういう意味があるのだろう。土産を買うのが好きなひとと、土産にはほとんど興味がないひとがいるような気がする。それは今回の学生たちの様子を見ていてもよくわかった。ぼくはプレゼントをするのは絶望的に苦手なのだけど、お土産はひょいひょい買って配る。プレゼントとお土産、どこがちがうのかは知らないけどね。
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2015年02月22日

これでようやく

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ひとつだけ約束がはたせた。
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2015年02月21日

今日は

離島でヒトデやナマコたちとたわむれていたら時間を忘れて最終の船に乗り遅れそうになりました。ふだんにない全速走で走って、久しぶりに高校のクラブのトレーニングのときに吐きそうになったときの気分と重なった。けっきょくフェリーに待ってもらって!乗れたのであった。
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2015年02月20日

今日で

ゼミ生たちとの卒業旅行は終わり。どこにきても、ときどき青いよ〜青いよ〜と叫んでいても、けっきょく自分の立場を忘れることはできなくて、“引率” になってしまう。明日からはそういう堅苦しいことを忘れて、個人的に旅をする。
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2015年02月19日

空と海

が青いよー。青くて溶けてしまう、溶けてしまう。(すいません。)
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2015-02-18

semi01.jpg
まぁこんな感じです。うまくリサイズできないので、ざらざらですが。
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2015年02月18日

今日は

仕事をそこそこに投げ散らかして、センター長のデスクを後にしたのでした。先ほどまでみんなでステーキを食べておりまして、まだホテルには着きません。お腹いっぱいでありまする。パソコンを開けようとしたら、仕事はダメ、と注意されたので開けない。
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2015年02月17日

明日は

ついに行ってしまいますのじゃ。そうです。例のところです。わたしのこころはすでにトロピカル色。
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2015年02月16日

また、明日にしてくれる?

この時期、どうしても面談が重なってしまう。一人と話しているあいだに
数人の学生がノックすることもしばしば。しかたなく、予約順位、緊急度、
これまでの経緯などから、総合的に、かつ瞬時に取捨の選択をする。

予約順位を重視するが、緊急度によってはこれを覆すこともある。
予約順位を覆されて、ふくれて出ていった学生もいたような。
「ゴメン。また、明日にしてくれる?」。本当のことを言えば、
今日の相談に「また」の機会などないのだ。個研を後にする学生の足音を
聞きながら、今日の相談を明日にすりかえることの無意味さを想う。
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2015年02月15日

シャッター街のその後に

小さな町を歩くのが好きだ。もともとそういうところを歩くと、そこはかとなく
寂しさがついてまわるものなのだけど、ここ何年かそういう思いが変に強くなってきた。
その土地の人や産物をみたいために商店街に行っても、あるのは “シャッター街”
ばかりだったりする。それは時の移り変わりを映しているだけだといえばそうなのだ
けど、シャッター街のそばに郊外に新しくできた総合スーパーの姿をみると、
あぁという気持ちになる。そら、そっちに行くよな、ぼくだってふつうはそこに行く。
なんでも揃っているだろうし、わずらわしいこともないだろうしね‥‥

だけど、誰しも考えることだろうけど、そうやって個人商店のようなところを
ことごとく駆逐した総合スーパーがいつまでも続くかというと、そうとも思えない。
先を競って新しいものに大挙するひとたちは、そこそこに歩いて、買えば、
おなかいっぱいになってしまってべつのものを探しはじめる。なにか新しいもの、
べつのものが欲しいのだ、無理はない。そうやっていつかは大規模スーパ−が
あった敷地は荒れ地になって草が生えているようなことになるのかもしれない。
もちろん、個人商店もない。

で、それでなにもないかというと、そうだとも思えない。ネット上でなんでも
できてしまうからだ。例えば、ネットで注文されたものを小型無人ヘリコプター等で
運ぶドローン配送システムが実用化されれば、超速だし、どんな遠隔地でもあっと
いうまに庭先に商品が届く。十年ほどしたら、それぞれの街には無人の小型機が
飛び交っているのかもしれない。

そういうことになると、衣食住のどれをとってもほとんど人と人とのパーソナルな
関係をもたなくてもよくなっていくのだろう。これは大学教育だって同じことで、
これからは大規模なオープンオンライン教育(MOOC)がどんどん進んでいく。
大学に行かなくても、授業の時間を考えなくても、交通費や学費を払わなくても、
好きなときに、わずらわしいことになしに、好きな授業を受けられるのだから。
小学生でも優秀なら大学の授業を受けて、中学生ぐらいで大学卒業資格をとる
ような人も出てくるだろう。それどころか、高校生ぐらいの年齢で大学教員に
なって、MOOC上での名物教授になる者も出てくるかもしれない。十分あることだ。
そんなわけで、MOOCにどうやって乗っかっていくか、どうやってカリキュラム
に組み込むか、そういうことにそれぞれの大学がしばらく頭を悩ませる時期が続く。
それ自体は悪いことでもなんでもなくて、そういうものだ。

そういう悩ましい時期、といっても10年ほどだろうけど、そういう時期がすぎたとして、
無事に残った大学はどういうかたちになるのか。オープンな領域がMOOCの専従に
なるとしたら、残るのはインターパーソナルな領域を受けもつものとしてだろうか。
個人商店などは明らかにその方向に舵を切っているところが見受けられるが、
大学がそちらに舵を切るには時間がかかるような気がする。といっても、
自分の大学はもともとできたときからそういう大学なのだけど。
あぁ、自分だけわかった人のような書き方をしてしまった。
posted by pilz at 12:32| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月14日

杉山登志郎『発達障害のいま』

ひとにはそれぞれ本の読み方があるだろう。
おもしろいと思ったページを折るひと、箇所に付箋を貼るひと。
線を引くひと、決してひかないひと。ぼくは線を引くタイプ。

ぼくは通勤時間が往復で3時間かかるタイプなので、
だいたい往復で新書が1冊読める。1冊の本を読み切るのに持続する
集中力というか、読みたいという欲望の持続時間は2日間ぐらいなので、
1日目の往復で鉛筆で薄く線を引き、2日目の2回目の通読の際に、
薄く引いた部分でなお大切だと思える箇所があれば線を濃く太くする。
もし大切でない箇所に線を引いていたら消しゴムで消してしまう。
こうして読めば、大方のことは理解できる。

この2回の通読でしばらくその本は脇に置くが、必要な箇所を
みたい場合には、薄い線の箇所と濃い箇所をみればよいわけで、
10分もかからずに大切な部分を総覧することができる。

ただ、ときどき、あまりにも勉強になる本に出会うと、
1回目の通読のときには線が引けないことがある。
線を引く場所が多くなりすぎてしまうからだ。こういうときには
1回目に線を引くのは断念して、2回目に引く。

杉山登志郎氏の著作については『発達障害の子どもたち』で多くを学び、
もうそんなに目新しいことはないだろうと思っていたのだけど、
これを読んでまた勉強になった。EMDRにはもちろんびっくり仰天するが、
個人的には、「虐待的絆」(歪んだ愛着)について以前からわからずに
悶々としていたことについて、示唆を得たような気がする。

杉山氏の著書を読んでいて感じるのは圧倒的な臨床体験からくる
必要が氏の研究を促しているのだろうということ。ただし、
氏のかかわることが精神医学だから特別にそうだというのではなく、
どのような学問も、いまこの目の前にあること、いまここにいる自分に
とって切実な問題を解くためにあると思う。たとえ宇宙の彼方にある
もののことであっても、一度も会ったことのない存在のことであっても、
この自分にとっての切実な問題となることがあるのだ。
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2015年02月13日

霜柱を踏む

朝。近所の公園。久しぶりに立派な霜柱を見て感動する。踏んづけたときのクキクキという音が楽しい。氷が擦れ合う音なのだろうか。そこらじゅうを踏んでまわる。やっとこさできあがったものを一挙に踏み潰してしまうというのは、なんともきもちいいものだ。気づいたら小学生も同じことをしている。あわててやめる。
posted by pilz at 23:34| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

記念碑的ミス

衝撃のミスを犯す。3年もこの仕事をしているのに‥‥。このミスは失敗に彩られた自分史のなかでも、なお燦然と輝き続けて残る。
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2015年02月11日

「ドキュメント72時間」

対象をしぼって72時間の定点観測をするNHKの番組
定点観測といっても、なかみは人間ドラマ。前回の池袋の
金券ショップの様子はおもしろかった。いろんなひとが行き交う。
「行き交う」と刹那的な表現をしてはみるけど、あくまでそれは
ひとりの人間のこと。それぞれが小宇宙を抱えている。

ちょっと前に放送していた北大の自治寮の話も楽しかった。
北大の自由な学風のなかでたくましく育っていく学生たち。
100年以上の歴史があり、400人が暮らす。家賃は1万円ほど。
「自治」とは、自由と責任の謂いなのだ。あれをみて、
なにがなんでも北大でないと‥‥と思った高校生は全国に
あまたいただろう。そして、そんな北大の自治寮でも、
寮生たちとの交流よりも、個室での生活を望む者がだんだん
増えてきているというのも、考えさせられた。

ある一点にのみフォーカスしているようでも、そこには歴史の
積み重ねが反映されていて、また新しいものが流れ込んでいる。
そんななかで翻弄されたり、立ち上がろうとする姿がある。
誰なんだろう。こんな番組を制作しようとしたのは。
こういうのって、NHKの底力だと思う。
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2015年02月10日

今日は

kinoko14.jpg
くたびれました。
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2015年02月09日

いろんな

考えのひとがいる。なにかというと「相手は同じ人間だから」的な感じでなんとかなると思っているが甘い。アルマジロ同士やオオアリクイ同士ならまだしも、人間は簡単ではない。てっきり人間だと思っていたら、お人形さんだったり、天使だったり、はたまた妖怪だったりする。そう言う自分も妖怪でないという保証はない。こんな当たり前のことさえすぐ忘れてしまって困る。
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2015年02月08日

待つということ

今はすっかりやめてしまったのですが、釣りが趣味だったことがあります。
特に「投げ釣り」というのが好きでした。岸辺から餌をできるだけ遠くへ投げて、
広いエリアの魚をせしめようという釣り方です。投げ釣りの代表的なターゲットは
キスとカレイでした(魚の名前ですよ)。キスは春から秋、
カレイは主に晩秋から冬にかけての獲物でした。

同じ投げ釣りといっても、キスとカレイではまったく釣り方が違います。
キスは “動” の釣り。ひっきりなしに釣り場を移動しながら釣るのです。
春先のキラキラ輝く海で糸を垂らすのは気持ちのよいものでした。
釣れるキスもパールピンクに輝いています。「パールピンクの妖精」というのが
キスの別名なのです。そんなことを言っても、すぐ塩焼きにするんですけどね。

一方、カレイ釣りは “静” の釣り。動きが鈍く、餌を食べるのもうまくない
カレイを釣るには、粘りが必要でした。ちょうどこの時期、寒風吹きすさぶなか、
鼻水を垂らしながら、ひたすら魚信(あたり)を待つのです。でも、待つというのは、
じっと果報を寝て待つというのではないのです。刻々移り変わる潮の流れとか、
水温の変化とか、風向きとか、ポイント(餌の位置)とか、餌の鮮度とかいったこと
に常に注意を向けながら、ありとあらゆる可能性の芽に網を張り巡らし、
打てるだけの手を打ったうえでひたすら待つのです。

ぼくはカレイ釣りが下手でした。ついぞ、たくさん釣れたという記憶がありません。
待つとことができなかったからでしょう。教師の仕事には待つことも必要です。
入学式やオリエンテーションで見かけてから何年も待ち続ける学生もいます。
でも、今でも待つのは苦手です。
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2015年02月07日

雪山

一般入試第1期の最終日。ほんのわずかな時間のメディテーションにもかかわらずYさんにチェックされ、センター長として入学制度をメディテーションすることのむずかしさを再認識する。これで第1期は終わったが、この一週間、この一週間が山なのだ。遭難せずにいくつもの雪山を乗り越えることができるかどうか。
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2015年02月06日

キノコ記念日

一般入試3日目。G君から文藝コンテスト一次審査用の応募作品の束を見せられ、その分厚さに天を仰ぐ。今日はまことに珍しいことに課長がキノコ話に乗ってきたので、キノコ記念日とする。いずれにせよ、半笑いの二次元氏ほど恐ろしいものはない。
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2015年02月05日

今日は

一般入試2日目。雪が降るかと心配したが、大丈夫だった。若干のメディテーションもあり。文藝コンテストの応募者数が判明。それについては明日書こう。
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2015年02月04日

今日は

一般入試の初日でありました。入試業務をへろりと放置してから、卒業生と飲みましたな。楽しかった。次は、沖縄で飲もう!
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2015年02月03日

豆を投げつけられませんように。

しまった‥‥「今日は早く帰ってくるように」とのキツイお達しを受けていたにもかかわらず、それをすっかり忘れていて、また遅くに帰ってしまうのです。思えば今日は節分なのでありました。あぁいかん、いかんことです。
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2015年02月02日

美と崇高

夜中、手紙をポストに投函する。空気が澄み渡り、星空がぞっとするほどきれいだ。しばらく見とれる。こういうのを、崇高(すうこう)と言うんだろうなと、ふと思う。ふつうに美しい「美」と、ちょっと怖いような美しさの「崇高」を分ける人がいるのだ。小さな花や牧歌的な風景の美しさはふつうの美だけど、そびえ立つ山並みとか、波打つ海原の美しさは崇高ということになる。

なぜ星空は崇高なのだろうか?まず、星空は美しいんだけど、宇宙の空間的な広がりに比べて、自分が圧倒的に小さいことが恐怖心にもなる。自分もそうだし、自分から見れば無限の広がりをもつと思える地球でさえ、宇宙のなかでは点にすぎないのだろう。次に、宇宙は時間的にも圧倒的な広がりをもっているから、それに対する自分の生涯の時間的な短さも恐怖心になる。宇宙がはじまったのが何億年前かはよく知らないけど、ともかく気の遠くなるほど昔からあることはまちがいない。ぼくが見た一瞬の星の光も、何千年、何万年、場合によっては何億年の旅をしてきた光なのだ。それに比べれば、自分の生涯のなんと短いことか。

何千年、何万年前の星の光を見ることは、過去を見るのに似ているかもしれない。そう考えると、星空を見るとしんみりすることの理由もわかる気がする。ぼくの場合、過去は、失敗の記憶の束なのだ。もちろん、よい記憶もあるが、どちらかというと失敗の記憶が優勢で、過去は全体として苦い記憶に彩られている。澄み切った星空に自分の失態を重ね合わせて正視しようとするなら、夜空を見上げて、しんみりするのもわからないではない。すばらしい記憶に満ちた過去の持ち主なら、星空を見上げて、にやけることができるのだろうか。
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2015年02月01日

揺さぶり動かす喜び

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こういうことを言うと多方面からお叱りを受けるのを百も承知で書けば、ほんらい、多くの学校は「わかるようになった」という喜び自体を第一に求めていて、それが結果としてどうなるかは二の次にするところなのだと思っている。

ぼくの母はあまりにも貧しくて小学校もほとんど行けなかったひとで、漢字どころか平仮名もまともに書けず、ましてやアルファベットなど読めなかったから、働いていてもことあるごとにバカにされていたらしい。よほど悔しかったのだろう。仕事から帰ってきて、夜半、泣きながら、台所にあったテーブルの上で文字の練習をしていたことを覚えている。

あるとき、ぼくが学校でならってきた文字を教えて、それが自分でも読めたとき、えもいわれぬうれしそうな顔をしたことがあった。わかったときのその嬉しそうな表情を、ぼくは忘れることができない。

大学というと、最高学府で、例えば専門学校とは違うということが言われたりする。そういう言葉はえてしてあぐらをかいた大学人の口実である場合が多いのだけど、最初に書いたように、多くの大学とは、とにかくなによりもさきに「わかるようになった」「自分でできるようになった」「おもしろい」という喜びを求め、それにまず専従するという意味での専門学校なのではないかと思っている。

「わかるようになった」でどうなる、「自分でできるようになった」でそのさきはどうなるのだ――そう言うひともいるかもしれない。それはそのとおりなのだが、ぼくに言わせればこの喜びはとても根源的で、なにかを揺さぶり動かすタイプの喜びなのだ。この喜びが沁みれば、あとは自分でも喜びを求めて、べつの新しい問題を立て、工夫しながらそれを解き、わかった喜びを知ってもらいたいがためにそれを自分以外のひとに知らせる――という一連の動きは出てくる。逆に言えば、この喜びを知らなければ、なにもはじまらないのだ。

いまでも実家の台所には粗末なテーブルが置いてあって、表面には母が練習していた文字のあとが窪んで残っている。めったに帰らなくなった実家だが、たまに帰ると、その窪みを手でなぞりながら思う。ぼくが大学院に行って、大学の先生になったのだよと言ったら、どんなに母は驚くだろうかと。大学院と言っても、意味がわからないだろうけど。
posted by pilz at 23:02| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする