2015年02月08日

待つということ

今はすっかりやめてしまったのですが、釣りが趣味だったことがあります。
特に「投げ釣り」というのが好きでした。岸辺から餌をできるだけ遠くへ投げて、
広いエリアの魚をせしめようという釣り方です。投げ釣りの代表的なターゲットは
キスとカレイでした(魚の名前ですよ)。キスは春から秋、
カレイは主に晩秋から冬にかけての獲物でした。

同じ投げ釣りといっても、キスとカレイではまったく釣り方が違います。
キスは “動” の釣り。ひっきりなしに釣り場を移動しながら釣るのです。
春先のキラキラ輝く海で糸を垂らすのは気持ちのよいものでした。
釣れるキスもパールピンクに輝いています。「パールピンクの妖精」というのが
キスの別名なのです。そんなことを言っても、すぐ塩焼きにするんですけどね。

一方、カレイ釣りは “静” の釣り。動きが鈍く、餌を食べるのもうまくない
カレイを釣るには、粘りが必要でした。ちょうどこの時期、寒風吹きすさぶなか、
鼻水を垂らしながら、ひたすら魚信(あたり)を待つのです。でも、待つというのは、
じっと果報を寝て待つというのではないのです。刻々移り変わる潮の流れとか、
水温の変化とか、風向きとか、ポイント(餌の位置)とか、餌の鮮度とかいったこと
に常に注意を向けながら、ありとあらゆる可能性の芽に網を張り巡らし、
打てるだけの手を打ったうえでひたすら待つのです。

ぼくはカレイ釣りが下手でした。ついぞ、たくさん釣れたという記憶がありません。
待つとことができなかったからでしょう。教師の仕事には待つことも必要です。
入学式やオリエンテーションで見かけてから何年も待ち続ける学生もいます。
でも、今でも待つのは苦手です。
posted by pilz at 22:37| 京都 ☁| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする