2015年03月04日

“小さな孤独” のススメ

ひとりでいることにも意味があると思っています。引きこもりやニートが問題になっているわけですが、だからといって、ひとりになってはいけないということにはなりません。生涯をつうじてひとりというのは極端ですが、ときにひとりになること、“小さな孤独” は必要だと思っているのです。

どんどん複雑になる社会で生きてゆくのはくたびれる作業です。たくさんの情報を受け取り、それを処理しながら取捨選択をしてゆかねばなりません。情報を受け取るアンテナには個人差があります。テレビやラジオのアンテナはたくさんの情報を受信できるものがよいに決まっていますが、人間のアンテナの場合、あまり性能がよすぎるのも考えものです。入ってくる情報が多すぎると、処理できずにCPUがパンクしてしまうからです。そういう意味では、ちょっと鈍なアンテナをもっている方が生きるには楽なのかもしれません。

運悪く(?)性能のよいアンテナをもってしまった人はどうしたらいいのでしょうか?処理能力を高めようとするのもひとつの手ですが、容易なことではありません。手っ取り早いのは、新しい情報を受け取ることをときにしばらく休んで、処理作業に没頭できるひとりの時間を作ることでしょう。

ひとりでいることを異様に嫌う人がいます。グループ活動や団体行動が人間であれば絶対にしたがわねばならない命令であるかのように迫ってくる人がいます。いつも誰かといることを強迫観念のように感じている人さえいます。さびしさを恐れているからでしょうか? それとも、非生産的であることを恐れているからでしょうか? もしそうだとしたら、そういう恐れは、“小さな孤独” には必ずしもあてはまらないでしょう。自分自身との対話に豊かさを感じる人がいて、新しい情報をいったん遮断することが、社会で生活してゆくために必要であると感じている人がいるからです。

「ときどき、人間が誰もいない場所に行きたくなる。誰も自分を知らないような土地に行きたくなる」と言う人は、ひとりやふたりではありません。 いずれも、すぐれたアンテナをもった人たちです。小さな孤独を利用してうまく乗り切ってくれればと思います。
posted by pilz at 20:38| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする