2014年05月10日

「意味をもつ」ということ。

小学校のころ寝ていた部屋の上の四隅には釘が打ち付けてあった。
それは茶色くさびていて、ほこりがたまっていた。無造作な打ち付け方から、
部屋にはもともとそのような釘はなく、あとから誰かがなにかのために取り付けた
であろうことはわかった。でも、あれこれ考えて、なんのためなのかは
わからないまま、いつも知らぬうちに夢の世界に入ってしまうのだった。

ちょっと暑くなってきた。夏になると、ときどきカルピスを飲みたくなる。
できるだけ長細くて透明のグラスに原液と水、そして氷を入れる。
氷の入ったカルピスをマドラーでかき混ぜる。氷がグラスに当たって、
カラカラと乾いたような澄んだ音を出す。ぼくにとってはこの音が
カルピスの味の一部であり、夏の音なのだ。

カラカラという音に耳を澄ましていたら、長く忘れたままでいた、
小学校のころよりもっともっと前の光景が不意によみがえってきた。
部屋には黒いベールがかかっていて、夏用のシーツがひいてある。
黒いベールは蚊帳(かや)なのであった。その一番奥がぼくの場所だった。
母がいて、父がいて、蚊帳のなかには言いようのない安心感があった。
思い起こせば、蚊帳の四隅はたしかに四つの釘で留められていた。

ひとつの全体のなかに誰も交代できない自分の位置を見つけたとき、
そのとき、ぼくらは自分の行動の全体に「甲斐がある」と感じ、
「意味をもっている」と感じるのだ。自分を認めることができるのだ。
これについては、また、もう少し詳しく個研で話すけど、
きっと大切なことだよ。


posted by pilz at 17:23| 京都 ☀| Comment(0) | 若いひとたちに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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