2015年02月15日

シャッター街のその後に

小さな町を歩くのが好きだ。もともとそういうところを歩くと、そこはかとなく
寂しさがついてまわるものなのだけど、ここ何年かそういう思いが変に強くなってきた。
その土地の人や産物をみたいために商店街に行っても、あるのは “シャッター街”
ばかりだったりする。それは時の移り変わりを映しているだけだといえばそうなのだ
けど、シャッター街のそばに郊外に新しくできた総合スーパーの姿をみると、
あぁという気持ちになる。そら、そっちに行くよな、ぼくだってふつうはそこに行く。
なんでも揃っているだろうし、わずらわしいこともないだろうしね‥‥

だけど、誰しも考えることだろうけど、そうやって個人商店のようなところを
ことごとく駆逐した総合スーパーがいつまでも続くかというと、そうとも思えない。
先を競って新しいものに大挙するひとたちは、そこそこに歩いて、買えば、
おなかいっぱいになってしまってべつのものを探しはじめる。なにか新しいもの、
べつのものが欲しいのだ、無理はない。そうやっていつかは大規模スーパ−が
あった敷地は荒れ地になって草が生えているようなことになるのかもしれない。
もちろん、個人商店もない。

で、それでなにもないかというと、そうだとも思えない。ネット上でなんでも
できてしまうからだ。例えば、ネットで注文されたものを小型無人ヘリコプター等で
運ぶドローン配送システムが実用化されれば、超速だし、どんな遠隔地でもあっと
いうまに庭先に商品が届く。十年ほどしたら、それぞれの街には無人の小型機が
飛び交っているのかもしれない。

そういうことになると、衣食住のどれをとってもほとんど人と人とのパーソナルな
関係をもたなくてもよくなっていくのだろう。これは大学教育だって同じことで、
これからは大規模なオープンオンライン教育(MOOC)がどんどん進んでいく。
大学に行かなくても、授業の時間を考えなくても、交通費や学費を払わなくても、
好きなときに、わずらわしいことになしに、好きな授業を受けられるのだから。
小学生でも優秀なら大学の授業を受けて、中学生ぐらいで大学卒業資格をとる
ような人も出てくるだろう。それどころか、高校生ぐらいの年齢で大学教員に
なって、MOOC上での名物教授になる者も出てくるかもしれない。十分あることだ。
そんなわけで、MOOCにどうやって乗っかっていくか、どうやってカリキュラム
に組み込むか、そういうことにそれぞれの大学がしばらく頭を悩ませる時期が続く。
それ自体は悪いことでもなんでもなくて、そういうものだ。

そういう悩ましい時期、といっても10年ほどだろうけど、そういう時期がすぎたとして、
無事に残った大学はどういうかたちになるのか。オープンな領域がMOOCの専従に
なるとしたら、残るのはインターパーソナルな領域を受けもつものとしてだろうか。
個人商店などは明らかにその方向に舵を切っているところが見受けられるが、
大学がそちらに舵を切るには時間がかかるような気がする。といっても、
自分の大学はもともとできたときからそういう大学なのだけど。
あぁ、自分だけわかった人のような書き方をしてしまった。
posted by pilz at 12:32| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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