2014年12月01日

困った相談と悪

相談をよく受ける。相談にもいろんなタイプがあって、
的確なアドバイスを求めて来るものもあれば、自分のなかに答えが
はっきりあってそれを見つけ出して認めて欲しくてやって来るもの、
「ただ、そうかそうかと聞いてくれればいい」というのもある。

思わず白旗を振って降参したくなるような相談もある。恋愛の相談だ。
もっとはっきり言えば、ちょっと困った男―誰が聞いても明らかに
公序良俗から外れるような―と交際している女性の相談だ。
このタイプの相談者がアドバイスを求めることはない。答えはすでに
決まっていて、「別れたら」の一言は、言うだけ無駄なのだ。
なんの策もなく、えんえん話を聞かされ続けることになる。
話を聞いてもらった相談者は気分爽快になって、ちょっと困った男の
もとにイソイソと戻り、破滅的な交際を続ける。

この場合、ぼくは、いわば破滅的な交際を影で支える功労者というわけなのだ。
“悪を見て抑制できない者” が悪なら、“悪を見て抑制できない者を見て
抑制できない者” もまた悪になるのだろうか?
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2014年11月28日

欠礼

今日は仕事が休みで、お彼岸に行けなかった墓参りにようやく行った‥‥
と言いたかったのだが、4つに墓のうち2つにしか行けなかった。
残り2つのうちの1つは、おおげさに言えば人類で参るのはぼくだけで、
ぼくが参らなければ無縁墓になってしまう。「無縁」なんて絶望的な言葉
は使いたくないので、なんとかして次の機会をつくることにしたい。

でもこう考えながらいつも思うのだけど、そう言っている自分自身、
おそらくもう30年もしないうちに“無縁さん”になってしまうのだろう。
そしてこうも思う。ぼくは自分が無縁になることの寂寞をなんとかしたくて、
無縁仏になりそうな先祖の墓に参っているのかもしれない、と。

みなさま、年始の挨拶は失礼させていただきます。
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2014年11月27日

第二代「魁・センター長ボックス」

astronomie.jpg
にございます。本ではございません、ボックスです。以後、お見知りおきを。
初代は調定式の際にわたくしが使用いたしますキノコペンを入れるのに
やや難があったことから、第二代にバトンタッチしたというわけです。

第二代の名は「Astronomie」と申します。“Astronomie” は
英語の“astronomy” に相当するフランス語(ドイツ後も同形)で、
「星の法則」を明らかにするもの、つまり天文学の意味なのですよ。

「魁」(さきがけ)は「北斗七星の第一星」の意味ですから
よくマッチした名称です。高校生のみなさんはご存知ないかもしれませんが、
実際、ぼくは星の王子さまみたいな存在ですから、その意味でも
よく実態に即していると言えましょう。
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2014年11月26日

無題

papa07.jpg
冷静さというのとはちがうが、もう少し粘り強く言葉を選ぶことができなかったのかと反省する。
ただ、それをしようとしたら会議は5時間になっただろうから、むずかしいところではある。
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2014年11月25日

「赤い靴」

以前、「どんぐりころころ」の歌詞をまちがえていて、
「どんぶりこ」なのに「どんぐりこ」と覚えていたという話をしたような、
しなかったような気がします。ほかにもぼくは童謡でいろいろまちがえていて、
「赤とんぼ」では「負われてみたのは」を「壊れてみたのは」と覚えていました。
なんとも悲惨な歌詞だなぁと思っていたのですが、やはりまちがいでした。

野口雨情が作詞した童謡には「赤い靴」というのがありますね。
「赤い靴はいてた女の子」ではじまる童謡です。これもまちがえてました。
「異人さんにつれられて」というのを「ひいじいさんにつれられて」
と覚えていたのです。「行っちゃった」となっていますから、
極悪なひいじいさんだったのだろうな、と思っていました。

以前、村上春樹はこの歌詞の覚え間違いについてアンケートをとっていて、
答えには「知事さん」「にんじんさん」「いい爺さん」とかがあって、
きわめつけは、「イージーさにつれられて」というものでした。
最後のなんかはありえないと思っていたのですが、とある高校で聞いてみたら
「Easyさん」と「EZさん」というのがあって、びっくりしたものです。
「Easyさん」というのは聞いて思わず鼻が出ましたが、後者なんかは、
「B'z」の影響なのかもしれませんね。ちがいますか、はぁそうですか。

ふだん学校では正確にものを覚えることが求められるわけですが、
ときには、どういうふうに覚えまちがえるかというまちがえかたについて
いろいろ考えても、得るものがあるのかもしれません。
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2014年11月23日

「シャボン玉」

植物園に行ったら、シャボン玉が禁止になっていた。
広い芝生のうえに座って、シャボン玉をつくって飛ばしたい子ども
もいるにちがいないが、いろいろ事情もあるのだろう。

シャボン玉とは、なかなかうまくいかないものだ。
できるだけ大きくふくらませたいのだけど、むずかしい。
なるべく長く割れないように飛ばそうとするのだけど、
すぐに割れてしまう。幼いころ、ムクロジやエゴの木の実が
サポニンを含むと聞いて、それで強力なしゃぼん玉がつくれないかと
ムクロジやエゴの木を探して、方々を歩いたことがある。
近所にはムクロジもエゴも植わっていなかった。

あいらしいシャボン玉は、はじけて消えるものなのだ。
ぼくのなかでは、シャボン玉のあいらしさには「パチン」と、
あたかも音を立てるかのようにはじけることも含まれている。
野口雨情の「シャボン玉」ははかなく死んでしまった子ども
への思いを込めて書かれたという。

あるとき、割れにくいシャボン玉のつくり方を知らされて、
ひとがなかに入れるようなシャボン玉がつくられているのをみたとき、
子どもごころに、シャボン玉への思いが薄れたことを覚えている。
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2014年11月21日

今日は

2年生ゼミでフィールドワーク。植物園に行って、「美しいもの」をスマホで撮ってもらって、来週それを使ってプレゼンをしてもらう。そして合評して、順位を決めるのだ。

教室を出ると、いつもは気づかない学生の性質が見えて興味深い。ベンチに座るときの位置どり、写真の撮り方。きっと迷子が出るに違いないと予想していたら、やはり出た。そもそも待ち合わせ場所を間違えてしまって植物園に到着するかどうかも怪しいのがいると思っていたら、これもその通りだった。
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2014年11月19日

今日は

特になにがあったということではありません。昨日、空を見上げたら、オリオン座がきれいに見えて、あぁ冬に向かっているのだと思ったことです。
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2014年11月18日

雨情

野口雨情の新しい詩が発見されたらしい。雨情といえば「七つの子」を思い出す。
誰しも不吉さと結びつけたくなるカラスの声を聞いて、子どもを「かわい」と言う
親心ととった情の深さに、ぼくもまた、幼いころになんどとなくお世話になった。

秋、日が傾くまで遊んでしまい、不安な気持ちで田んぼのあぜ道を歩く子どもたちに、
「心配ないよ」と家路に向けてそっと背中を押してくれたひとりは、
雨情でもあったように思う。
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2014年11月17日

披露

ここに写真を載せると読者のみなさんはその意味を考えるようで、
東華菜館の写真を載せたときは学生からその意味を何度か尋ねられた。
が、ぼくもようわからんかったので「なんでやろ」みたなことを言っておいた。

二次元氏はこの写真の意味だけはわからなかったと言っていた。
これにははっきりとした意味があって、なにごとであれ、
二次元氏にまじめに対応すると「いいですねセンター長、それ、
とりあえず800字ぐらいにまとめてみて‥‥」みたいな感じで仕事を追加されると
かなわんと思った(ちなみに、このごろは二次元氏の嫁さんからも
仕事のオファーが来る、恐ろしいことだ)が、かといって、
ぼくから誠実さと上品さを取り去ったらなにも残らないので、
やさしく説明しておいた。

で、なんでこんなにみんな意味を考えるのかといえば、
ぼくがふだんなにを考えているのか得体が知れないからに決まっている。
わからんと困るだろうなぁと思うから、ここでちょっとぐらいは披露して、
仕事がしやすいようにしてもらおう、と思っている。
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2014年11月15日

幕の内男

今日の通勤電車はおかしくてしかたなかった。前の座席に幕の内弁当をじつに
幸せそうにバクバク食べている青年がいて、それだけでも十分におかしかった
のだけども、その隣に座ったおばちゃんが恐ろしげな顔で10秒おきぐらいに
その青年をにらみつけていて、いかにも度し難い(救いがたい)といった表情で
首を横に振っていたからだ。おばちゃんの “サイン” に永遠に気づきそうもない
脳天気な青年と、怒りにうち震えた般若のような表情のおばちゃんとの、
あまりの落差に笑えてしかたなかったのだ。

ぼくが隣にいたとしても、般若の面にはならないけど、青年にはそれなりの
違和感をもっただろう。玉子焼きを膝の上にコロコロされてもイヤだし、
マヨネーズをピュッピュッと飛ばされてもイヤだ。

でも、たぶんそれだけが理由じゃない。コロコロとかピュッピュッがなくても、
電車のなかで幕の内弁当を食べる人には違和感をもつと思うのだ。
隠そうとするわけでもなく、マナーでしばられるわけでもなく、
衆人環視のなかで欲望(食欲)丸出しのままでいられる “幕の内男” の
たくましさ(?)に、心のどこかでジェラシーを感じているのかもしれない。
世の中の倫理とかモラルとか言われていることのなかには、こういう種類の
ジェラシーがもとになっているものが混じっている気がする。
(この記事は意図的な重複投稿です。)
posted by pilz at 23:00| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

指定校制推薦入学

eringi.jpg
の日であります。なるほどエリンギさんの歯ごたえは魅力ですが、
なかなかどうして、天真爛漫な しめじ姉妹がいざ力を合わせると、
エリンギさんもたじたじとなったりします。
posted by pilz at 14:08| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

かっぱえびせん

umineko.jpg
以前、フェリーで佐渡島に行ったときのこと。
フェリーの乗客たちがさかんにかっぱえびせんを買っている。
なにかと思えば、ウミネコたちにやって遊ぶためなのだ。
新潟へと向かう出船前のフェリーの周りにはウミネコたちが乱舞していて、
取り憑かれたように、えびせん争奪戦をしている。

ウミネコの群れのなかには、トビ(鳶)もたくさん混じっていた。
かっぱえびせんに夢中になって油断しているウミネコを狙っているのだ。
なんどもウミネコに襲いかかっていたが、ウミネコもさるもの、
そう簡単に捕まえられるわけでもないようだった。

船の甲板には船に居着いているハトもいて、
かっぱえびせんを投げようとしてミスったひとが甲板にこぼした
かっぱえびせんをつついていた。ウミネコやトビとはちがって、
こやつらが飛び上がることはあまりなく、終始、歩いていた。

やがてフェリーが佐渡島の港を離れはじめて、トビは港のなかだけで、
港を出ると追ってこなくなったが、ウミネコは外海に出ても
追いかけてきた。乗客がずっとえびせんを投げるものだから、
いつまでもついてくるのだ。といっても、佐渡島から新潟までは
数十qあるから、ずっとついてくることはできないだろうと
思っていたが、なんと何匹かは新潟港までついてきた。

ほかの乗客が、ウミネコはああやってかっぱえびせんが欲しいが
ために新潟港と佐渡島の間を往復しているのだ、と言っていた。
それを聞いて、ぼくはウミネコの執念に感動したのだった。
そして、ウミネコの生き方と、トビの生き方、居着きのハトの生き方、
どれがよいのかと思い、人目もはばからず滂沱(ぼうだ)の
涙を流したのだった(ウソをつくな)。
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2014年11月12日

文芸奨励賞 入選者発表

毎年のことでもう言うのもイヤなのですが、文芸奨励賞の入賞者が
発表されておりました。いちおう5人の入賞者を予定しておりましたが、
今年のゼミからの入賞者はぴったり5人でした。

まぁまぁ、及第点というところですね。とはいえ、実力的に言えば、
わたくしのゼミであれば、過半数をしめるぐらいの力量があるでしょうから、
来年は7人入賞を及第点の目安とすることにしましょう。

なになに?「入賞者を出すコツはなんですか」ですって?
もうイヤですよ、せんせい。そんな王道はありませんってば。こつこつと、
学生たちと植物園に行ったり、遠足に行ったり、コンパに行って
酒をがぶがぶ飲んだりすることです。(そんなこと、関係あるかっ!)

失礼をしました。冗談がすぎました。ほんとうのことを言うと、
ぼくは日頃、学生をほったらかしにしている不良教師なのです。
それでも、ひとつだけコツらしきものをご教授いたしましょう。
「ひねらず、まっすぐに書け!」という指示です。
posted by pilz at 18:25| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月10日

虫のこと

今日はなにもせずに家でだらだらしていた。
目覚まし時計をセットせずにいつまでも寝ていてやろうと思って
いたのだが、「体のあちこちが痛くて、これ以上もう寝ておれぬ」
と思ってがばっと起きたら、7時でしたな。

清水の舞台から飛び降りて、諭吉を投げて手に入れた
『忍風カムイ外伝』(実写版じゃない)を観ていたが、
一気には観切れず、眠くなって昼寝をしようと思って寝た。
が、なんや知らんが、「なんにもせんで寝ていていいのか」という
情念が押し寄せてきて、お腹のあたりがしくしくなって、
ゆっくり寝てはおられず、中途半端に起きてしまいましたな。

もっと悠然と構えることはできないのかなと思っても、
根っからのものがちくちく揺り動かして、それを許さないのである。

昔のひとはこういう、いかんともしがたい、どうにも解せない
根っからのものを「虫」と表現したのだろう。ただ、「虫」と表現すると
「理性とはべつのもの」に聞こえるかもしれないが、
ここで書いている「虫」には理性からのものも入っている。
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2014年11月08日

そうかもしれない。

「なつかしい(懐かしい)」という言葉を長く間違えていました。
「なつかしい」は「心がひかれる」という意味なので、現在のことにも
使えるわけですが、過去のことにだけ使う言葉だと思っていたのです。
もちろん、「なつく」や「なつっこい」は現在のことにも使いますが、
「なつかしい」というかたちで現在のことに使うのは、いまではあまり
多くないのでしょう。こういう過去のことに向けての使い方が多くなるのは、
「なつく」が「馴れ付く」に由来することによるのかもしれません。

相手が人間と見れば誰彼なしに尻尾を振る、高度にひとなつっこいイヌなら
まだしも、ひとがなにかに「馴れ付く」ためには、すったもんだの時間経過が
条件となります。そうした時間のなかにはさまざまな思いが詰まっていて、
そうした過去の時間の重層のうえに、「馴れ付く」ということも起こったり、
起こらなかったりするのでしょう。

このごろ思うことがあります。ぼくがなつかしいと感じるのは、
こうした時間の重層が、なんとか隠そうとする努力にもかかわらず隠し切れずに、
音も立てずに漏れてくるようなひとのようなのです。ここには自分の層を
他人のものと同化しようとする危険な志向が働いているかのようです。
いちおう社会人なのですからこういう嗜好はなんとかせねばならないのでしょうが、
いかんともできず。まぁそれがばれてしまうようなドジは踏みませんが。
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2014年11月07日

南都北嶺

奈良で正倉院展が開催されている。毎年この時期だけど、
なんだかんだとあまり行くことがない。近すぎて、
いつでも行けるつもりでいるのがいけないのだ。
ぼくが住んでいるのは京都と奈良の境のような場所で、
窓からは奈良の若草山がよく見える。

毎朝、南都と境を接した山里を出て、電車に乗って、大学に向かう。
大学の正門は親鸞が修行した比叡山に向かって開かれている。
秋の近鉄京都線は奈良から京都に移動する旅行者でいっぱい。
ぼくはそんなひとたちを尻目に大学をめざす。
なんとぜいたくな通勤なのだろうと、ときどき思う。
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2014年11月06日

つづかない。

「明日は立冬」などと言っておる。
本当なのか嘘なのか、暦を覚えない自分にはわからない。
立冬とか冬至とかいうのがいつなのかはよくわからないし、
ときどき世の中が祭日だとか言っていても、それがなんの日なのか、
元旦とか大晦日とか子どもの日とかは知っていても、
それ以外のものは、ほとんどわからない。

なんでこんなことになるかというと、
ぼくは興味がないことは徹底的に覚えようとしないからだ。
というのも‥‥‥もっと書こうと思っていたのだが、
もう11時50分なので、今日はこれにて終了。
つづきはないのだ、うへへ。

そうそう、土曜日はホームカミングデー。
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2014年11月05日

はい

いま店をでました。すいません、また今日も少しだけですが反省して、今後の行動に生かすべく努めます。ときどきひとに「彼は子どもだから」みたいな言い方をするのですが、自分の精神年齢は9歳ぐらいなのです。と言えば、9歳に失礼か。
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2014年11月04日

修羅場

明日は修羅場が生じるような気がしてならないから、
ぼくはもう沖縄ちびちび時間に入って、現実を忘れることにする。
ちなみに、この修羅場を生じるにいたった根本原因は、
ほかならぬこのわたしの無能にこそある。

どうでもいいけど、修羅場というのは、
正義の神である阿修羅と力の神である帝釈天との戦いの場のこと。
帝釈天は阿修羅を含む他の神々を統率する神だから、
なんど戦いを挑んでも阿修羅は格上の帝釈天に勝つことができない。
その、阿修羅が連戦連敗する場が修羅場の意味。

正義がつねに負けるとはすさまじいストーリーをインド人は考える
‥‥と思うこともできるが、「自らが正義である」と思い込むことの
エゴイズムの問題を告げようとしているのだろう。

ちなみに、その後、修羅場がどういう風に転じて
男女の痴情のもつれに使われるようになったのかは、知らない。
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2014年11月03日

廻り合わせ

不思議なもので、大の苦手で避けてきたことばかりすることになる。
明日も長そうなので、寝る前にちびちびと沖縄することにする。
「旅に病て夢ハ枯野をかけ廻る 翁」
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2014年11月02日

世俗化の最前線から

20141102110230.jpg公募制推薦入試が終了。今日も一日居眠ってばかりいた。哲学科の教員というのは楽なもので、世間の人々は「哲学者が居眠りをするはずがなく、眠っているように見えても、じっさいには世界の平和についてメディテーションしているのだ」ぐらいに思い込んでいるので、ぼくはその思い込みを利用して、ぐーすかぴーと眠る、もとい、世界の平和についてメディテーションするのである。

それで今日気づいたことがある。それは、居眠る時間がほんの3秒ほどでも夢を見るということだ。で、何度も何度もこっくりするものだから、普段よりも多い夢を見ることになる。といっても、おそらく眠っているときには無数のというか、べったり夢を見ているのだが、8時間眠る普段であれば覚醒という “切り口” が少ないから、わずかな数の夢しか表面に出てこないだけなのだろうけど。あ〜今日もよく学んだ。
posted by pilz at 22:57| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

入試業務の世俗化

とある職員が「昔と違って入試に緊張感がなくなってしまった」と言っていた。
「入試が増えたからでしょう」とも言っておられたが、そうなのだろうと思う。
昔は年に1回か2回ほどの入試が、言ってみれば「聖なる儀式」のようなもので
それにかかわる者も「聖職者」のような立場だったのだろうが、いまでは
年がら年中入試をやっているかのような印象なのだからそういうことにもなる。

緊張感の希薄化は、若い教員の入試業務中の立ち居振る舞いなどにも
ときどき現れていて、入試も世俗化したのだなぁと複雑な気持ちになる。
(ちなみに、C員の業務にはぬかりはないので、念のため。)

入試だからと言って、いたずらに緊張ばかりしていている必要はもちろん
まったくない。だけど、緊張のオンオフの場所をまちがうと、いつか、
取り返しのつかないミスをするよ、と3年目になってそろそろ
緊張感のなくなってきたC長にも、厳重に説諭しておく。

―――
三浦光世さんがお亡くなりになった。
なんとしても会って声を聞きたい方のひとりだった。
とても残念。
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2014年10月31日

鉛筆

久しぶりに鉛筆を使った。久しぶりに使って感じたのは、
鉛筆というのは工夫の余地のあるものだなぁ、ということ。
書くにつれて芯が減っていって書き心地が変わってくるのだけど、
自分にとって心地よい芯の具合で書き続けられるように、
書いているあいだじゅう、筆圧やら鉛筆の角度やらのことを考えている。

ある程度使い続けると本体を削らないといけないわけだけど、
カッターナイフで削るとなると、簡単なようでむずかしい。
木の削り具合と芯の削り具合はちがうから、力加減を変えねばならない。
鋭く芯を尖らせれば細い字が書けるが、たやすく折れてもしまう。

鉛筆は書く道具でありながら、たんなる書く道具にとどまらず、
使う者に考えることを強いてくるものでもあるのだ。
昔から学習者の筆記具として使われ続けているものというのは
理由もなく残っているのではなく、やはりよくできている。

一方で、ふだんぼくはフリクションペン(消せるペン)ばかり
使っていて、それはそれでとってもとってもお気に入りなのだけど、
“書きならす” ためにそれほど手間がいるわけでもなく、
さしてなにも考えないままに使っている。
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2014年10月30日

今日は

わずかに飲んでおりました。会議ではまたもずけずけ話して、後味悪い思いをしているのは、ほかならぬ私なのです。すいません。Y(CのYさんではない。念のため)さん、いつも本当に酔っ払って書いておるのです。といっても、今日なんか序の口です。明日から公募制推薦入試であったような記憶が。
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2014年10月29日

残せるひとと残せないひと

もう我慢しきれずに沖縄本を買ってしまう。今日の帰りの電車の、
なんと楽しかったことよ。これをこれから何ヶ月か、
お布団に入ってから、ちびちび読みながら、寝入るのだ。

しばらく開けないでいたfacebookを開けると、
いろんなひとの記事が山ほど流れている。
土日はよい天気だったから、みんな行楽を楽しんだのだろう。
ぼくは最初の何件かの記事を少しみただけで、
ずっと下の方にある記事はもうみることができなかった。
そういうエネルギーがいまはないのだ。
いまあるエネルギーは部署の仕事と授業にだけ注ぐ。
わたくしめはもうなかなかいいねとかしないひとになりますが、
ふつつか者をどうかお許しください。

ちなみに、Fさんがキンドル本を出版していて、びっくりした。
ぼくはめったにひとをほめない(自分はほめる)けちんぼだけど、
これはうちの大学の学生たちにおすすめするのだ。
平板な内容ではなく重層的だけど、文章がうまいので、
さっと読めると思う。が、なにかが残るはずだ。
この、なにかが残るというのが大切なのだ。

話して書いて、それを聞いて読んだひとになにかを残せるひとと、
どれほど長く、多く、しばしば話し書いても、なにも残せないひとがいる。
この差は無残なほどにはっきりしているといつも思う。
posted by pilz at 23:19| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月28日

経過

近所で仕事をしているひとたちがつぎつぎと風邪をひいていっている。
ぼくも風邪をひき、おおかたは治っているが、咳が残っている。
若いころは咳など出なかったが、あるときから、
風邪をひくと必ずしばらく咳が残るようになったのだ。

幸いなことに大方の病気は治っているという意味では
若い頃と最初と最後は変わらないが、確実に経過は変わってきた。
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2014年10月27日

ムチでもニンジンでもないもの。

こういう話を聞いたことがある。たしか戦時中のころのこと。
家で飼われていた馬と少女は大の仲良しだった。あるとき、
少女が村の外れで疲れ果てて歩けずて泣いていたとき、その馬がやってきて、
あごをしゃくるようにして、少女に自分の背中に乗るようにうながし、
家まで送り届けてくれたという。たしか、その馬は、
戦時中の食糧補給のために軍に接収されたということだった。

ぼくがこの話を思い出していつも思うのは、
その馬はムチやニンジンによって動いたのではないということ。
馬は少女が好きだから少女を乗せて、1人と1匹の家に戻ったのだ。
こういう言い方をすると馬に失礼かもしれないが、
馬でさえそうなのだから、人間であれはなおさらのことだろう。
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2014年10月26日

「帰ってきたウルトラマン」

papa06.jpg高校生にはわからないかもしれないけど、わかるひとにはわかる番組。初代の「ウルトラマン」があって、そのウルトラマンが帰ってきたという設定だった。番組内容としてはこのシリーズの前の「ウルトラセブン」の方が好きだったのだけど、ぼくはこの「帰ってきた」という設定になぜか心癒される気がして、とても安心していた。

なぜそうだったのかをいまになって考えると、そのころの
自分にとっての問題と番組名が重なり合っていたからなのだろう。
そのころの自分には、自分がどこかへ行けるかどうかが大切なのではなく、
誰かが今日、帰ってくるかどうかがすべてを覆い尽くす問題だった。

自分のもとにいつ誰が帰ってきてくれるのかをまず心配するひとと、
自分がいつどこに行けるのかをいつも期待しているひととは決定的に違う。
ぼくはその後、後者のような志向も身につけるようになったが、
前者の志向がなくなることはないだろう。
といっても、べつに暗い話をしているつもりはない。
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2014年10月20日

特技

長野のりんごをいただいた。りんごをいただけるというのは
なにか特別のことのような気がするのは、ぼくだけなのだろうか。
りんごが手提げ袋に入っているというだけで、今日の帰りはうれしかった。
家に帰ってから、昨日から泣いてばかりいるひとにひとつ剥いて、
黙って渡した。ぼくはりんごを剥くのが上手いのだ。
posted by pilz at 23:01| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする