2014年10月19日

笑顔

遺影用の写真を選ぶ。こんなことはしたくはないが、しかたない。
いま選ばなければ、じきに選ぶ間もなくなってしまう。
笑顔を見て、いろいろなことが思い出されて、焦点がぼやける。
give and take やら等価交換やらでものごとを考えているのが日常だが、
けっきょく、お世話になったひとたちの誰ひとりにも、
なにも返すことができていないのだ。
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2014年10月18日

大学院入試はじまる

今日と明日は大学院やら社会人やら留学生やらの入試。
京都は抜けるような秋空で、大過なくすぎればいいと思う。
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2014年10月17日

今日は

冗談を言う気分になれません。
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2014年10月16日

「わかりません」

あまり好きな言葉ではなく、できるだけ避けるようにしているのですが、
老若男女、いろんな人に「わかりますか?」と問いかけてしまいます。
答えは「わかります」か「わかりません」かのどちらかですね。
でも、「わかりません」という答えには、たくさんのニュアンスがあります。

例えば。

1.「ソクラテスは紀元前何年に死んだのですか?」といった、
質問の意味はわかるのだけど答えることができない、という「ノーマル型」。
ごく普通のパターンですね。質問の内容によっては、答えられない人が
照れくさそうにしたり、あっけらかんとしていることも多い。

2.「ソクラテスが生きていたことにはどういう意味があったのですか?」
といった、「わかりますか?」という質問の「意味」がわからない
「哲学型(?)」。考える人のパターンですね(質問者が拙い場合もある)。
答えられない人が困惑した顔をしているのが特徴です。こういう人には、
美しい答えはいいから、どういう経路で答えが出なくて困っているのか、
を説明してもらいます。

3.高校生に多いのは、「抵抗型」。質問の意味がわかっていても
答える気がないか、そもそも質問を聞こうとする気のないパターンで、
答えられない(答えない)人の視線は時に宙を舞います。この場合、
「わかりません」は、「うざい」の尊敬語であることも多い。
解決すべき問題は、教科書以外のところにあるんでしょうね。

(この文章は意図的な再録です。)
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2014年10月15日

往生際

数字にひりひりした思いをしながら暮らさねばならない季節になってきた。
やるべきことはもうやったのだから気にしてもしかたないのだが、
往生際が悪いぼくは、どうも気にしてしまうのだ。それにしても、
「往生際が悪い」というのは恐るべき言葉だな。
ともかく、明日はひとつの結果が出るだろう。

今日はなにをしてもしんどかったのだが、風邪をひいてしまったらしい。
いろんなことがかたづいていないのに‥‥もういい。
すべてを忘れて、今日はさっさと寝る。
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2014年10月14日

ドングリ

11月にもなると、ぼくは毎年のように学生たちを連れて植物園にゆく。
紅葉を観て、その年の最後になるだろうキノコを観ながら、晩秋の森を歩く
学生たちを見ている。地面を覆い尽くす紅葉のあいだには
たくさんのドングリが混じっている。

いつだったか、ドングリをひときわ楽しそうに拾う学生がいた。
拾い上げて袖でこすれば、ドングリがぴかぴかと輝きはじめる。
「すごいきれい。せんせい、うち、これを宝物にするねん」。
忘れられない学生と、忘れられない一言。広島でお幸せに。
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2014年10月12日

存在を丸ごと肯定する、ということ。

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「センター長、これ、なんですか、ちょっと引きますよ!」
H課長にカバンのなかに入っているこれを見つけられ、言われた言葉である。

おそらく、課長はこれがぼくの趣味だと思っているのであろう。
もちろん趣味なのであるが、かといって、もともとあったキノコに
まつげをつけないと満足しないとか、ぱっちり目にしたキノコに毎日、
「今日も元気でしたか〜」とか、「そう、元気だったの、わかりまったけ」
とか、ひとりで話すのが趣味というわけではないのである。

ぼくはおめめがぱっちりしているという条件のもとでようやくにして
キノコを愛するのではなく、ただそこにあるというだけで、
そのキノコを愛するのだ。Yさん、説明しといてよ。

−−
「高大連携/関ヶ原フィールドワーク」が終わりました。
U課長のこんがり焼けっぷりがまた増しておりました。
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2014年10月11日

いろいろありまして。

昨日伝えたように今日はいろいろありまして、完璧な準備態勢の前に、
行き先を寸分違えることのないベルトコンベアに乗せてもらったジャガイモ
の気分でありました。いえいえ、ジャガイモが大切なのではなく、
準備力がすごかったとぼくは言いたいのです。
それとR長の笑顔がキュートであった。

公募制入試の模擬試験解説のあとに高校生が走ってきて添削して欲しいと
言ってきたのだけど、こんなことなら、教室にいたひとみんなの分の
添削をしてあげればよかった‥‥とちょっと後悔。

進学相談会ではHさんから疑惑の目を向けられる一幕もあった。
口惜しいので、この事件の詳細については、後日報告がなされるのである。
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2014年10月10日

明日は誰に会えるのか。

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(写真はG君がfacebookに貼っていたもの。)
明日は開学記念式典のなかで清沢満之エッセイコンテストの
一般部門の表彰(中高生部門は午後に尋源講堂で表彰式)。
開学記念式典が終わったら進学相談会。準備、お疲れさまでした。
受賞作品集は明日の式典で配布されます。

進学相談会で誰かに会えたら、うれしい。
「会う」ってどういうことなんだろうね。
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2014年10月09日

妖精のこと

ハイハイ、こんな時間にブログですよ。
どうでもいいのですが、これだけブログがひろがっていても、
ブログをすることを「ブログる」と言うのを聞いたことはあまりありません。
ドイツ語やフランス語でも「ブログる」に相当する語はあるのですが。
なんででしょうね。濁音が多すぎるのがよくないのでしょうか。

ブログが「ブログ」でなくて「ミューミュー」とかいう名前だったら、
「ミューる」とかになったのでしょうね。でも、「ミューる」になったら、
ほかの同音異義語のものとややこしくなるかもしれないですね。
すごいでしょ、ほかに同音異義語のものがあることを知っているのですよ。
これはあるとき、あまりにものを知らないぼくを哀れんで、
学生が教えてくれたのでした。はい、どうでもいいですね。

昨日は異様に酔ってしまいまして、いまも宿酔状態で
打ち合わせをしたG君やHさんに「こんなふらふらでスマヌスマヌ」と
謝っていたのですが、昨日の文章、じつは書いたことを覚えていないのです。

昨日の帰りはそらもう大変なことになりまして、ぼくは奈良方面に
行くような電車に乗って帰るのですが、最寄りの駅を乗り越して、
ついに奈良まで行ってしまいました。きわめてローカルな話題なのですが、
ぼくはこれまでどんなに泥酔しても西大寺という駅までしか乗り越した
ことがなかったのですが、ついに奈良まで行ってしまったのでした。
仕方なくタクシーで帰りましたが、行き先を告げた後、車内で寝てしまって、
「着きました」と運転手に起こされたぼくがみたのは、
どこかよぉわからん町でありました。
「ここはどこですか?」
「この一帯が●●です。」
「ここは●●ではありません。」
「私の知っている●●はこの一帯です。」

そうでした。ブログを書いたのを覚えていないという話でした。
昨日の文章を読み返してみると、「やっぱり酒は偉大です」と書いてあります。
これはいったいどういう意味なのか‥‥う〜ん、わからん。
ぼくにはなんか妖精のようなものがついていて、ぼくがぐだぐだで
ブログれん状態になったら書いてくれるのかしらん。
まぁええ、そういうことにしておこう。
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2014年10月08日

今日は

まだ北大路におりまする。なぜというに、とてつもなく酔っ払っておるからでありまする。めったに飲まない日本酒と焼酎のおかげでありまする。隣人先生に、「Mさんは酔っ払っても理性的やな」と言われましたが、ほとんど野獣でありました。すいません。隣人先生とご一緒させていただいたのは私の幸せでありました。やっぱり酒は偉大です。
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2014年10月07日

「相性がいい」の謎

魚と大根を煮たものを食べる。魚から出たダシが大根にしみ込んでおいしい。
こういうのを「相性がいい」と言うのだろうと思う。

相性がいいというのは、今ひとつわからない言葉でもある。
グルメとか食通と言われる人たちは、「ウニとホタテは海のもの同士だから
相性がいいんですよね」なんてことを真顔で言っている。出身地が同じであれば
相性がいいらしい。だったら、鴨とネギは永遠に結ばれないだろう
(ネギ畑に住んでいた鴨を除外する)。マグロとネギも、鯨と水菜(京菜)も
結ばれない星の下に生まれている。そういうものなのか。

魚と野菜との相性さえわからないのに、人間の相性なんて、
なんのことやらまったく理解できない。それでも、なにひとつ損害を与えられた
わけでもないのに、そばにいることさえ生理的に受け付けない、
相性が悪いなと思える人は確かにいるし、生理的にイヤだと思われている
のだろうなぁと思うこともある。そういう人には近づかない。
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2014年10月06日

知らない人から叱られる

電車のなか。昔使った講義用の原稿を読んでいる。
キリスト教のイエスをある観点から(宗教的でなく、合理的に)
理解したものだった。読んでいるあいだ、となりの男性からずっと
強い視線が向けられている、要は盗み見されていることに気づいていたが、
めんどくさいので隠すわけでもなく読み続けていた。

駅に着いて、その人が腰を上げた。これでゆっくり読める‥‥
ホッとしたその瞬間、その人は鼻息も荒く、言った。
「私はそうは思わない!」 座ったぼくを見下ろすその人の眼には、
憎しみがありありと浮かんでいた。「これはぼくの解釈ですから、
他の人がどう考えようと、ご自由です」。

その言葉を聞き終わらないうちに、その人は背を向けて去っていった。
なんだったのだろうか、あの盗み見の人は。
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2014年10月04日

プロプロプロプロ

ついにやりました。O部長とH課長の了承を得ましたので、
U課長の了承は得ておりませんがまぁよしとして、入学C長生活2年6ヶ月にして、
ついにわたしくは旅立ちの許可を得たのであります。沖縄に行くのです。
ゼミの卒業旅行であります。時期は秘密です。

なにを隠そう、わたくしの原動力の何%かは沖縄エネルギーなのですが、
これまでわたくしはC長でしたゆえ(いまもそうですが)、
あきらめておったのであります。が、今年の4年生とは2年生のときから
「うちのゼミの卒業旅行は沖縄なのだ、そうなのだ」と言い続けてきたのです。
その約束を守らないわけにはいきません。そういうわけで、
決死のお伺いを立てたのでした。

いやぁもう、いまから楽しみで仕方がありません。
このうれしさをどう説明したらいいでしょうか。そうですなぁ、
わたくしが犬でありましたら、うれしすぎて、しっぽを高速で振り回したあげく、
ヘリコプターよろしく、どこぞへ飛んで行きかねないぐらいの喜びなのです。
プロプロプロプロ。
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2014年10月03日

明日はなんの日

廊下をぷらぷら歩いていたら、向こうの方にUさんらが立っていて、
なにをしてんねやろ?と思ったら、自己推薦入試の準備中なのでありました。
そうでした、明日は自己推薦入試なのでありました。
ふつつか者のわたくしをお許しください。準備、お疲れさまでした。

さてそういうわけで、明日は自己推薦入試なのでありますが、
じつは昨日からわたくしはキノコ祭り中でありまして、ごきげんなのであります。
キノコは二次元氏からの差し入れでありまして、氏の差し入れを受け取ると、
半年間ぐらいはひぃひぃ言うほど働かされるので、危険だとはわかっているのですが、
そこはそれ、天然キノコをほれほれと見せられて「いらない」とは口が裂けても
言えないこの悲しい性、どうすることもできず、今日もキノコを食べるのでした。

そしてもうひとつ。明日、ここ大路小路にて、ひとつの発表をする運びとなりました。
センター長になって2年半、こんな日がくるとは夢にも思わなかったのですが、
ここでは早めにお伝えすることにいたします。
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2014年10月01日

誇りのストック

じっと手を見ていたら、小指の半月爪がすっかりなくなっていることに気づいた。
よく見れば、薬指の半月爪もわずかになり、親指の半月爪も子どものころの記憶の
半分になっていた。手の指すべてに大きな半月爪があることが幼いころからの自慢だった。
半月爪のない大人たちに比べて、自分の方が健康に違いないと息巻いてもいた。

かつてあったはずの体力は見る影もない。誰よりもよいと長く誇っていた視力も
すっかり落ちた。ささいではあっても、長く誇りに感じてきたことが、歳を重ねるにつれて、
逆に薄皮を剥ぐように剥がれ落ちてゆくことを知るのは切ないものだ。
剥がれ落ちたあとに残ったものは、いかにも頼りない。

人には一定量の “誇りのストック” が必要なのかもしれない。
特定の誇りが一つあるということだけが大切なのではなく、その誇りが失われたあとにも
それに代わりうるものが、“保険” としてあることもまた大切なことなのだ。
そのような一定量のストックの上にして、ようやく精神は安住するのかもしれない。

小指の半月爪はなくなった。去るものを追うのは芸風ではない。
残るは、白魚のような指、第二関節を曲げることなく曲がる指の第一関節、
両親指の弓矢の的のような見事な渦状紋(シャーペンの先を当てて「当た〜り」と
ひとり遊びすることができる)ぐらいか。そうだ、指相撲も負けたことがない。
当分、新たなストックを仕入れる必要はなさそうだ。
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2014年09月30日

「ひかえおろう!」

親しくもない人になれなれしく触れられるのはイヤだ。もう少し正確に言おう。
親しくもないのに触れてこようとする人の、その心のありようがイヤなのだ。
触れることはなんでもない。いや、ときにはウェルカムとさえ言ってもいいが
(気持ち悪いぞ!)、そういうなれなれしい人にはたいてい、触れること以外に
本当の狙いがあるからだ。ぼくは「いつも直球勝負!」なのだ(ウソをつくな)。
そういう意味では、一時期だけスピーカーつきの車で駅前とかに陣取って、
見も知らずの人たちに見境もなく握手を求めてくる人たちは苦手だ。
無視することにしている。どうせ時期限定で愛想をふりまく人たちなのだ、
どおってことはない。

手どころか、肩を抱いてこようとする人もいる。そうそういるわけではないが、
いれば決まって、あるていど歳を喰った男性だ。

学生のころ、汚いけど、学生に圧倒的な人気を誇っていた飲み屋に入り浸って
いたことがある(いまもときどき使う)。ある日、その日も終電まで飲んで、
真っ赤になって店から出てきたときに、なんともキザな、見ず知らずのおっさんに
いきなり肩を抱きすくめられてこう言われた。「ねぇキミ、この汚い店、
すごく学生に人気があるようなんだけど、その理由、教えてくれない?」
その瞬間、きわめて温和であると多方面から高い評価を受けているこのわたくしが、
プチッと切れたのだ。そのとき、わけもわからずわめき散らした言葉が、
あまりにもマヌケで、いまだに忘れられない。「ひかえおろう!」
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2014年09月28日

大谷大学新聞社オープンキャンパス・レポート9月21日分

新聞社による恒例のレポートです。

「学寮の魅力」からはじまっていて、今回も大谷大学らしかった。
最後は、Gによる記事。進学相談会はまだ年内に2回あるけど、
年内のOCは終わりということで、新聞社のOCレポートも今年最後になる。
今年1年の新聞社によるすばらしいレポートに感謝します。
(サンキュー、また来年も頑張ってね。
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2014年09月26日

今日は

K課で飲んでおりましたな。お腹がいっぱいで苦しい。
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2014年09月25日

バランス

チューリップを長く苦手にしてきた。葉っぱや茎(?)に比較して
あまりにも花が目立ちすぎるからだ。「わたくしこそ花です」といった
自己主張の強い花は、敬して遠ざけることにしている。

テレビを観ていたら、チューリップの自生地が映し出されていた。
映像を見て、なにかがちがう、と思った。プランターにひしめくように、
庭の一角を真っ赤に埋め尽くすように咲いている日本のそれとはちがうのだ。
自生地では、ほかの花やたくさんの緑にまじって、いいぐあいに野生の
チューリップが点在している。そうした草原のさまは美しいと思った。

自生地から引き抜いて来て、チューリップからすれば心外なほどの密度で、
狭い囲いのなかに並べて無理な自己主張を強いているのは人間なのだ。
チューリップよ、ぼくが悪かった。
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2014年09月23日

ハートの坊さん

忘れかけたころに会う坊さんがいる。今朝も電車で会った。どうして
覚えているかというと、いつも落ち着かない風に電車のなかを見回し、
貧乏揺すりなんかをしており、 “聖職者” という感じにはほど遠い人だからだ。

今日も、いつものように無精ヒゲを生やして、なにかをつぶやきつつ、
片方の地下足袋の親指と人差し指のあいだには朝顔の葉っぱ(ハートの形)を1枚、
はさんでいる。どこの草むらに踏み込んだら、そんなところにラブリーな
葉っぱをはさむことができるのか‥‥と考えていたら、
ぼくは朝からおかしくてしかたなかったのだ。

電車は混んできて、座っている坊さんは決まりが悪そうだ。
坊さんは、ほっぺをぷるぷるさせておどおどきょろきょろしている。
前に白髪混じりの50歳ぐらいの女性が立った。坊さんよりも少し歳下ぐらいか。
座席から坊さんはちらりちらりと女性の顔を見ている。迷いに迷ったあげく、
ついに坊さんは立ち上がり、一目散にどこかへ行ってしまった。

座った女性の前には、ハートの形の葉っぱが1枚落ちていた。
posted by pilz at 23:07| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月22日

2014年のオープンキャンパスを終えて

昨日は酔っ払った記事で失礼をいたしました。
いや、失礼と言えば、その前に、OC後の茶話会でスタッフに
お礼を言っていたぼくはしっかりとゴマ団子のゴマをつけたまま、
みんなの前でしゃべっていたのだった。あーぁ、もう。

日曜日のOCの速報がアップされていたので、貼っておきます。

9/21オープンキャンパス速報

今回のOCではGと何回かすれちがったのだけど、
4年生の彼は今回が最後のOCということで、もうごちゃごちゃ言わず、
後輩記者たちの様子を見守っているのだ、というようなことを言っていた。
一昨年に彼が声をかけた高校生がいまでは編集長になっていて、
見かけによらず思慮深い(失礼だ!)Gは感慨深げな顔もしていたが、
ぼくがC長になったのは新聞社がOCにかかわりはじめたときだったから、
ぼくはぼくで、よい時期にC長をやらせてもらえたと思っている。

新聞社による8月末のOCのレポートと、新聞社ブログを。

8月23・24日オープンキャンパス大谷大学新聞社レポート
(大谷大学新聞社ブログ・〈大谷電子版〉)

2014年09月21日

今日は

今年最後のOCの日であり、卒業生との飲み会の日でもありました。オーキャンスタッフがつくってくれた縁を生かせるように努めねば。
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2014年09月20日

「自分を待っているのは誰なのか?」

今日は父母兄姉懇談会。在学生の保護者が全国から来学。
なんにんの方と話すことになるかわからないが、教員たちに会いに、
教員たちから語られる子どもや兄弟の姿に会いに、
遠路はるばるやって来られるのだ。参加しないわけにはいかない。

といっても、秋の土曜日に来て、日曜日を観光にあてる方もおられる。
それはそれでよいではないか。この時期のこの地には、萩が咲き、
彼岸花が咲いている。よい話ができて、よい気分で京都の街を
歩いてもらえることをめざす。

保護者の懇談会が終わってからは、在学生と面談、続いて、
卒業生の来学。在学生には在学生の都合があって、
卒業生には卒業生の都合がある。

仕事をするには、「自分を待っているのは誰なのか?」
「自分は誰を待たせているのか?」というという視点が、
たとえそれが大いなるカンチガイと境を接する営みであるにしても、
必要だと思うし、こういう視点のないひとにぼくは関心を示さない。
posted by pilz at 10:01| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

「ごめんなさい」

盲導犬オスカーの事件のことを調べていたら、
全盲の人が、電車などで誰かとぶつかったときは相手がどんな
ひとかわからないから、とにかく謝ることにしていると言っていた。
たしかに、電車のなかで大きな声で「ごめんなさい」を
繰り返す全盲らしきひとを見かけたことがある。

たしかに、込んだ電車のなかでぶつかったからといって
すぐさま殴りかかってくるひとなどめったにいないにしても、
いま当たったひとがそのひとでないとは言えない。
謝っておくに越したことはないのだろう。
ひとより多くの「ごめんなさい」を言わねばならないこと
は、いったいどのような気持ちなのだろうか。

そして、ひとよりも多く「ありがとう」を言わねばならない
苦痛もあるのだろうと思う。
posted by pilz at 23:27| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月18日

書くということ

書きたいと思うことはあるが、忙しさにかまけているうちに、
強い思いもいつのまにか色あせてしまう。記事にしたいと思うことはあるが、
はたしていまこんなことを書いてよいのだろうかと迷っているうちに、
いつのまにか、なにごともなかったかのようにすっかり忘れてしまう。
そういうとき、つくづく自分は忘れる生きものなのだなと思うし、
それでよかった、と胸をなで下ろす。

書くとはどういうことなのだろうか。
自分以外の人に自分の思いを伝えるというのはまずあるだろうけど、
自分自身にとってはどういう意味があるのだろうか。
ぼくは中程度のナルシストだから、自分が書いた文章(論文を除く)
を読み返すのが好きだ。書いた文字はぼくが消そうとしないかぎり、
書いたときそのままのかたちで残り続け、ぼくが訪れるのを待っている。

「本は自分が読むのをじっと待っていてくれる」と書いたひとに
共感したことがある。待っているのは書かれた文字であり、
文章に包み込まれた自分の感情なのだと思う。書くことによって
ぼくは自分の思いを明らかにし、書かれた文字は、
ぼくがその思いと折り合いをつけるまでの時間を与えてくれる。
そうやって、ぼくは自分の感情を制御しようとする。
posted by pilz at 22:00| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

超短距離走

いつも、人との距離感はむずかしいと思います。それは自分自身の問題でもありますし、
仕事上でいやというほど直面する日々の難問でもあります。人にはそれぞれ
安心できる人との距離感があり、目立って長距離の人、目立って短距離の―というかゼロ、
ときに相手にめり込んで距離が “マイナス” にさえなっている―人がいることは、
ご承知の通りです。

ほうっておけばいいのですが、ほうってはおけない境遇を選んだ身の上。
わずかな経験から言うと、長距離な人をほどほどの距離に近づけることは
比較的容易だと思いますが、距離がゼロないしマイナスの―トラックを逆走しそうな?
―超短距離な人を遠ざけるのは、至難の技だと思うのです。

家族も学校も捨て去って危険な男に向かって突進する学生を “説得” できたことは、
ただの一度さえありません。それは自分の仕事の範疇を超えていることだと知りつつも、
やはり下手に説得しようとして敵視されることもしばしばなのです。

――
3日ほど東京での写真を載せましたので、
「東京に行ってきたのでしょう?地震は大丈夫でしたか?」
と聞かれることがあったのですが、それらは以前に撮った写真で、
東京に行ってきたわけではありませんので、念のため。
posted by pilz at 18:37| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月13日

Geschlechtergerechtigkeit: Herausforderung der Religionen

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ここの住人は研究をしている気配がないのですが、一応、研究者なので、
それと、日本でも宣伝するようにという指令があったので、
たまにはその方面のことを。

この本には、Philipps-Universität Marburgでの講演に、
少し手をいれた私の論文が載っています。
Genderimplikationen in Symbolen des Göttlichen
in buddhistischen Traditionen Ostasiens という論文です。
その内容の説明は‥‥手間がかかるので、拒否します。

というわけで、私は明日から、清沢満之の弟子の何人かが
育った地に調査に行ってきます。ぼくは思想家が育った地に行かないと、
その地の人や気候風土を肌で感じないと、うまく文章が書けないのです。
あっそっか、ぼくがカントについてついぞよい論文が書けなかったのは、
彼の地 Königsberg(現在はロシアのカリーニングラード)に
行ってないからなのか。
posted by pilz at 21:27| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月12日

サンドイッチ

墓参りに行ったら、ちょっと規模は小さくなったとはいえ、
A屋はいまも店を続けていて、通りすぎる際に少しのぞき込んだら、
あのおばさんがいた。たちまち、一つの記憶がよみがえってきた。

小学生のころ、A屋は最先端の菓子店で、地域の少年たちを集めて
繁盛していた。A屋には最初、眉間に大きなほくろのあるおばあさんがいて、
ぼくは仏さんのような人だと思っていた。あるときから、おばあさんに
代わっておばさんが店番をするようになったのだけど、その方も、
悪ガキたちが品定めしているのを黙って見ている、
とても柔和な観音さまのような人だった。

ある日、ぼくはサンドイッチが欲しくなって、100円玉を握りしめ、
A屋に駆けつけた。2種類のサンドイッチがあった。

「これ、いくら?」
「110円」
「こっちはいくら?」
「120円。えぇわ、100円に負けたげるわ」
「いいです」

そうして、ぼくはまた来たばかりの道を手ぶらで帰って行った。
おばさんは、ぼくが100円しか持っていないことを見抜いて、
そう言ってくれたのだろう。おばさんのやさしい言葉を、
ぼくはいまでも感謝してる。だけど、その日を境にして、
ぼくがA屋に行くことはなかった。
posted by pilz at 23:51| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月11日

今日は

飲んでおりましたな。いえいえそんな心外な、ちゃんと任務を完了してからのでことであります。なになに?いったいどこで、誰と、何を、どのようにして飲んだのか、ですって。そんなこと、ただで教えられますかいな。ぼくの好きな「縄のれん」のかかっている店でのことでありました。

いま思い出したのですが、エッセイコンテストの審査が終わっておりません、がびーん。まぁ明日になったら自然となんとかなるでしょう(なるか!)。
posted by pilz at 23:14| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする