2015年01月18日

プルプル

ヨーイドンで走っても、周りのスピードの方がはるかに、ばかりではないが、いくぶんなりと速い。ほんの少しスピードを上げても、差はじわじわひろがっていく。逆走しようと走りはじめたら、プルプルとなにかが鳴っている。いったいなにが鳴っているのか‥‥もぉと思ったら、ホテルの目覚まし時計だった。
posted by pilz at 23:48| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

リスニング試験の今後について深い瞑想をしていてはっと目が覚めたら、前にG長がおられましたな。窓の外は雨が降って、晴れて虹が出て、雪が降っていた。(朝の記事は消しました。暗かったゆえ。)
posted by pilz at 21:50| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月16日

センター入試

明日からはセンター試験ということで、今日からは市内で外泊。2年前のこのパターンのときにはその後風邪をひいて、卒論試問と一般入試のスケジュールが悲惨なことになった。とにかく風邪をひかないようにしなければならない。
posted by pilz at 06:59| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月15日

南部戦跡

なんとなく前の記事はゼミあたりから誤解を招くような気がするのだが、しょはんの理由があって、数年前にべつの場所に書いたものを今日、再録しただけのこと。

卒業旅行のさいに沖縄のどこに訪れたいかと聞いたら南部戦跡と答えた。こんな学生がたしかにここにはいるのだ、すごいだろうと、誰彼となく伝えたい。
posted by pilz at 23:46| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自分は、ほめられて伸びるタイプなんです」

ここ何年か、そういうセリフを学生から聞くことが多くなってきた。そういう学生はどの先生にもそういうことを言っているのか、それとも、年を追うごとに教室でのぼくの態度が厳格になってきたことへのバロメーターなのか、わからない。

ほめるべき点に気づかないわけではない。ぼくは一人ひとりの学生をレーダーで追尾してデータを収集している。極めて陰湿なのである。気づいていればほめればいいのだけど、ぼくは不良教師なのでほめない。あからさまにほめてくださいと近寄ってきて、はいそうですかとほめるような、ひねりのないことは恥ずかしくてできない。ほめてください、とはあからさまに言わないにしても、いろいろなカモフラージュ(嘘)を交えつつほめてくださいとアピールしてくるのもいるが、やはりほめない。気づかぬふりのタヌキになる。その程度のカモフラージュでぼくの目をごまかせると考える了見の浅さが気にいらないのだ。だからよけいにほめてやらない。結果、そういう学生たちからは徹底的に嫌われる。

とはいえ、まったくほめないわけでもない。ほめるべき点があり、かつ本人が気づいていない場合には、黙っているわけにもいかないのでほめる。気づいていても本人が認めきれずに迷っていると思えるような場合にもほめる。ぼくのレーダーはそのために平和利用されているのである。けっきょく自分をほめてしまった。
posted by pilz at 22:00| 京都 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

ポンズの争い

鍋の季節になりました。鍋といえば、わたくしはポンズをこよなく愛しております。だいたいポンズを食して2日間ぐらいはご機嫌ですので、今朝のヤツはなにやら機嫌がいいなと思ったら、前夜はおそらくなにものかをポンズにひたひたして食べていたのでしょう。もっと書こうと思っていましたが、眠いので寝ます。(-_-)zzz
posted by pilz at 23:26| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月13日

今日は

ゼミのコンパでした。飲みました。すごく印象的な言葉がありましたが、すっかり忘れました。ごめん、悪かったを繰り返した追いコンでした。できないなら、ゼミなどもたなければいいのだ。
posted by pilz at 23:49| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

「てぃんぬむりぶし」

okinawa01.jpg
冬が深まっていよいよ空気が澄んできて、星空が美しくなってきた。
この山里には街中ほど光がないから、冬にはそれなりに美しく星が輝く。
それでももっと昔には、濁りのない澄み切った空気のなかで、
数えられないほどの光が満天に輝いていたのだろう。

ときどき沖縄に行きたくなるのは、この山里よりも美しい
星空を見たいためでもある。できれば、ずっと昔、琉球人たちが
見たような満天を埋め尽くす星を見られればよいのだけど。

沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」ではこう歌われている。
天(てぃん)ぬ群(む)り星(ぶし)や
読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが
親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や
読(ゆ)みやならん

(天に群れなす星の数を数えることができても、
親からの教えを数え切ることはできない。)
満天の星を前にしても、なおそれよりも親からもらう教えの方が多い、
と歌うことのできた琉球人の礼節には、どうしようもなく惹かれる。
posted by pilz at 22:52| 京都 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

「そんなことはありませんよ」

daigaku11.jpg
いかん。これまでもなんどか言ったけど、どのネタがすでにここで
書いたことがあるネタなのか、いよいよわからなくなってきた。
それはぼくの老いにともなう記憶混濁によるものが大きいが、
そればかりでなく、もともといくつものブログを並行して書いているし、
このブログだけでも相当数の記事を書いているのだから。
さらには、それら記事のうちの何回かは酩酊状態で書いているのだから、
こんがらがって重複しても無理はないのだ。

そんな言い訳をしようとしていたけど、よくよく考えれば、
繰り返し書こうとするのは、それだけぼくの頭によく浮かぶことで、
自分にとっては大切なことなのだろうから、繰り返して聞いてもらおう
としてもいいのだ。さまざまことを言うのもいいけど、大切なことを
はっきるさせるために繰り返し言うのもよいではないか。

ぼくが西谷先生の授業を受けたのは先生の最晩年で、
90歳のちょっと手前ぐらいのころだった。そのころの先生の授業は
毎回2時間も3時間も続いて、それが1年続いたが、先生の話が行き着く
のはいつも同じ場所のような感じだった。そのころは、先生もかなり
ボケてらっしゃるのかなと思っていたし、じっさいそうでないわけでも
なかったのだと思うけど、ある一定の境地にまで行ってしまうと、
焦点がはっきりして、同じことを言うしかないのかもしれない。

先生にはたくさんのおつきのひとが付いてらして、
気安く話せるような感じでもなかったが、1年間で一度だけ、
ぼくに向かって強く話しかけてくださったことがあった。

そのとき読んでいたのは先生の主著の『宗教とは何か』だった。
ある議論で「ぼくはカントを研究しようと思っています」と言ったとき、
おつきの先生たちはいっせいに、「それはむずかしい」と言った。
(カントをやっていては宗教を勉強するのはむずかしい、の意味。)
だが、その言葉に間髪入れず、西谷先生は「そんなことはありませんよ」
とおっしゃった。そのときぼくは、おおげさな話でもなんでもなく、
いろいろな意味で「救われた」と思ったのだった。
posted by pilz at 22:12| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

私はイカになりたい。

いまでこそ納豆が好きだが、大学に入るまで好きではなかった。
ぼくが小さなころは納豆を食べる習慣は関西にはあまりなく、幼いころは、
ときどき母が鶴の子納豆とかいう納豆を食べていたのは知っていたが、
一口もらって、もういいやと敬遠していた。

それが大学に入って好きになったのは、関西以外の地方出身の
友だちと居酒屋に行って、「イカの納豆和え」というものを食べたときだ。
美味そうに食べる友人につられて食べてみると、けっこういけた。イカは、
食べ慣れない納豆のクセを絶妙に緩和して、いや、クセを緩和しただけでなく、
緩和しつつ納豆のよさをそこはかとなく知らせて、ぼくに好きと思わせたのだ。
それ以来、少しずつ納豆を食べるようになって、いまでは大好物になった。

居酒屋では納豆単体では食べようとは思わなかっただろうから、
納豆を食べられたのはイカのおかげだったと思うが、いまからおもえば、
小さなころはさして好きでもなかった酢の物を好きになったのも、
イカの入った酢の物のおかげだったような気がする。

イカは好きなのだが、かといって、他のどのような食べ物よりも好き
というほどイカ命のファンでもない。が、イカが入っていることで、
単体では受けいれにくい他のものを好きになるきっかけとなった。
こうしたイカのような役割をいつも果たしてくれる物や人はいる。
そして、ぼくもできればイカのようになれればと思う。
posted by pilz at 23:28| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月09日

午前様の星空

ある人が、「酔ってよいことは?」と聞かれて、「酔っぱらって帰ると星がきれい」と答えていたのだが、そんなことはあるまい、と思っていた。だが午前様になって、かつ千鳥になりながら夜空を見上げると、なるほどいつもきれいなのだ。夜半には生活の光が消え、漆黒の闇に包まれて星の光も美しく見えるようになる、ということなのだろう。午前様の見上げる星空が美しいのは、そういうことなのだ。
posted by pilz at 23:52| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月08日

願われるということ

ひとにお願いするのがあまり好きではない。頭を下げるのがいやだからとかそういうのではない。必要であれば、頭を下げることぐらいなんでもない。そうではなく、何度も何度も願われる側の気持ちが気にかかるのだ。なにかに願いをかけるとき、ひとは身をかがめ、低めねばならないが、他人が自分よりも身を低める姿を繰り返しみせられることは苦痛ではないか、ということなのだ。例えばなにかの間違いで、たくさんのひとがぼくに願いをかけて、額を地面につけんばかりにしている光景をみなければならないとしたらそれは苦痛だし、恐怖以外のなにものでもない。そういう意味では、毎日毎日、何億ものひとたちの願う姿をみることの痛みにたえられるのは、それこそ神的存在か、まったく別の考え方をすれば、そういった光景に痛みを感じる能力を欠いているという才能を与えられた(gifted)特殊な人間だけではないか‥‥そんなことを考えていたりする。
posted by pilz at 22:01| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月07日

1秒のチャンス

どこかで凶悪な犯罪が起きた場合、犯人が住んでいた近所の人たちが、
犯人がどんな人だったのかを説明するインタビューに答えることがある。
答えはだいたい決まっていて、「特に派手なような様子はなかった」とか
「ふつうに挨拶できる子だった」とかいった、わかったような
わからないようものが大半になる。

犯人像は一向に浮かび上がらないが、ここから一つのことが言える。
派手かどうか、挨拶できるかどうかが親しくない人を判断する際の
大切な基準になることだ。人の心や性格なんて外見や言葉の端々から
推測することしかできないのだから、ずいぶんといい加減なことで、
そしてこのいい加減さがひょっとすると若い人の一部を失望させている
のかもしれないけど、親しくもない人の心を推測するには、
どうやってみたところで、目立って派手であるかどうかとか
人並みの挨拶ができるかどうか、ぐらいしか基準はないのだ。

まともに話し合える人なんてそうそういるわけではないとしたら、
人と人の関係のほとんどはさして親しくもない関係にすぎない。
そういう意味ではたかが1秒ほどの挨拶もあなどりがたい機会だ
と言えば、あまりに計算高いか。
posted by pilz at 23:46| 京都 ☀| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

聞思館

monshi02.jpg
最初にここに来たのは、西谷啓治先生の授業のときだった。
posted by pilz at 23:37| 京都 ☁| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

無題

korira.jpg
posted by pilz at 22:41| 京都 ☁| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

執念と、なんくるないさぁ

困った。もう明日から大学がはじまってしまう。まだ論文はしっかり書けてないし、もっと困るのは、完璧なものに仕上げようという執念が弱まっていて、「いつかどこかで直したらなんとかなるさぁ、なんくるないさぁ」などと思っていることだ。なんかしらんが心はすでにパラダイス状態で沖縄に飛んでいて、「きしもと食堂」で沖縄そばをすすりはじめてしまっている。もちろん、そばに責任はないが、執念なしに研究なんてできまへんねんで。それ、そこで卒論を書いている4年生たちよ。
posted by pilz at 16:41| 京都 ☁| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月03日

青空

sora04.jpg
ただ青空を貼りたかっただけ。
posted by pilz at 23:25| 京都 ☀| Comment(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月02日

南原繁『国家と宗教―ヨーロッパ精神史の研究―』

「南原繁」を知るひとは少ないだろうけど、ぼくのなかでは名著。
ぼくが名著というのは、こちらの思考をどこまでも刺激してくるものなの
だけど、もうひとつ必要なことがあって、それは、「わかっている」
「知っている」「すでに解けている」「もう済んでいる」といった類いの
こちらの思い上がり、独断を木っ端みじんにしてくれるような本のこと。

学生時代にこれを読んだときには、南原の哲学の知識がすごくて、
そのころのぼくはカントの考察で自分よりもできる政治学者なんておるまい、
と高をくくっていたので、これを読んで、心底、南原に怯(おび)えた。
おもえば、高名な学者を相手にして、思い上がりもいいとこなんだけど、
若気の至りとお許しください、どこかすがすがしいぐらいの思い上がり
でしょ?と、あまり反省の色もなくどこかに向かって頭を下げる。

そしてもうひとつこの本の好きなところをあげれば、
理性論によって平和の可能性をぎりぎりのところまで考えていること。
勉強不足を盾や矛にして人間の理性をあげつらうことは誰にでもできるけど、
そういう平和の可能性をプラトンからドイツ観念論ぐらいまでを参考にして
誠実に考察していて、ぼくは、南原さんというのは立派な方だと思った。

けっきょく本を好きになるというのは、少なくともぼくにとっては、
著者を好きになることなのだろう。この本が岩波文庫に収録されていたことは、
先日知った。これを来年度、ゼミで読むテキストにしておけばよかった‥‥
(残念ですが、この本をまったく哲学の知識のないひとが独力で読むのは
難しいと思います。誰かいっしょにこの本、読みませんか?)
posted by pilz at 22:14| 京都 ☀| Comment(0) | 好きな本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

餅が食べたい。今年、ぼくの家は正月らしきことの準備をしなかった。
年賀状も、おせち料理も、正月飾りも、それらしきことがない。
そんなわけで、数の子やらお雑煮やらは食べなくてもいいのだけど、
餅フェチでもあるぼくは、せめて餅単品のオーダーはしたいのだ。

餅といえば、清沢(満之)さんは餅が好きだったようで、
かき餅(わかりますか?)の焼き方なんかにも自信があったらしい。
華美さは求めなかったが、素朴なお菓子のようなものは好んだようだ。

清沢が学生時代に宿舎の仲間たちと嵐の夜に暇だからとくじをして、
負けた清沢が「藤村」でお菓子を買ってきたという話がある。
藤村(藤むら)は漱石の猫や鴎外の雁にも出てくるから、
当時はよほど有名な菓子舗だったのだろう。ぼくが近くに住んでいた
ときにも藤むらは本郷三丁目の交差点の近くにあったが、
シャッターは降りたままで、もう菓子を買うことはできなかった。

今年は、清沢や清沢の弟子筋に当たるひとたちのことももう少し書こう。
哲学科で日本哲学を教えているのだから。できれば、こういうことを
学びたくて大学に来た学生とともに勉強をしたいと思う。
posted by pilz at 17:45| 京都 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月31日

大晦日

今年はこれが最後の記事になります。今年もなんとか書き続けることができたわけですが、休まず毎日書けばよい、というわけでもありません。意味のないことをただ闇雲に長く続けるのは、ムダ以外のなにものでもないのです。ともかく書く、ということだけが先行してしまっていて、内容のともなわない記事ばかりになっているこのブログをどうするか‥‥考えることはありますが、もう少し記事を重ねていくことなると思います。

元旦にかけては大荒れの天気のようですね。窓から、風の音が聞こえてきます。今年も大路小路をお読みいただいた方々に御礼を申し上げます。よい年をお迎え下さい。

posted by pilz at 23:27| 京都 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする